第三十八話 供美のナンパ
葵が訓練のためにペットショップを訪れた翌日、彼女はまたそこへやって来ていた。
一回駄目だったからといって諦めては訓練にはならない。その考えの下、葵は勇気を出して再度挑戦を行うためにやって来ていたのだった。だが昨日と違うのは、今日は葵の周りに付き添いがいないということだった。
放課後、凛音達三人は何か話があるということで、葵だけが一旦先に帰るように促されていた。
その事について、葵は若干の寂しさを感じていた。だがその理由が、恐らく何か問題があって、自分に余計な心配を掛けないためという凛音達の気遣いによるものだと理解していたため、彼女は先に帰ることに合意したのだった。
葵は心に浮かんだ寂しさを振り払うかのように小さな気合を入れると、昨日と同じ位置からペットショップを攻める事にした。柱の影にスタンバイし、そこからじわりじわりと顔を覗かせて行く。傍目から見れば、完全に不審者の動きであったが、子犬を見ることに全身全霊を掛けている葵は周囲のそういった視線に気づいていなかった。
あともう少し、と朱音の妨害を阻止しながらじりじりと顔を出していく葵。そしてついに顔を全て柱から出そうとしたその瞬間だった。
「葵、捕まえた」
「ひゃん!!」
唐突に首筋にひんやりとした指先の感触を感じ、葵は悲鳴を上げた。慌てて後ろを振り向くと、そこには先日凛音達と格闘ゲームで対戦を行った金髪の少女が存在していた。そしてその彼女の両手が、葵の首をやさしく包んでいる。
葵の悲鳴を聞いた金髪の少女は、眼帯で隠れていないほうの目を驚きで見開くと、首に触れていた両手をぱっと離す。
「驚かせたか。ごめんな。あんた、葵……であってるよな?」
「あの、そうですけど……あなたは昨日のゲームの人、ですよね?」
ゲームの人、という言葉にぴくりと反応した少女が、右手を柱に向かってゆっくりと突き出す。そして掌をそのまま柱へと付けた。柱を背にしていた葵は自分の顔の横に置かれた少女の腕と、その行為によって距離が近まった彼女の顔へと交互に目をやっている。
「ゲームの人じゃなくて、松永って言うんだけど」
少し意地悪そうな笑みを浮かべながら、少女は自分の名前を告げる。
「松永さん……下のお名前は……?」
「葵こそ、上の名前はなんていうの?」
少女は残った左腕の人差し指をピンと上に立てるジェスチャーを行う。
その言葉に、葵は自分のフルネームを告げる。それを聞いた少女、松永供美も自分の名前を葵へと告げた。
「あの、それじゃあ、供美さん……」
「なんで下の名前? あんた多分高一でしょ? 私の方が年上なんだからさ」
先程よりもさらに意地悪な笑みを浮かべながら供美は自分の顔をさらにずいっと葵へ近づける。
「じゃあ、あの、松永さん。私に何か御用ですか?」
サドっ気を出して葵を困らせてやろうとしていた供美だったが、余りにもあっけらかんとした葵の対応に毒気を抜かれてしまったのか、少し困ったような表情をしながら柱に置いていた自分の右手を引っ込める。
「あの、この間さ、また会えたら首のそれ……」
「この間のって、本気だったんですか?」
葵は驚きの表情を浮かべると、その後思わずクスリと頬を綻ばせた。その表情に、供美は思わずドキリとしてしまう。
「松永さんは、ここに何をされに来たんです?」
「私は、あれだ、暇つぶしだよ。ついでに昨日見た顔を見つけたからナンパでもしようかと……」
「私、ナンパされているんですか!? じゃあ、立ち話もなんですし、あそこでお話でもしませんか?」
葵は先程同様、驚きの表情を浮かべる。だがその後に続いたのは、思いがけない供美の言葉に対して心から楽しそうに笑う、笑顔だった。
ベンチを指差す葵を前にして、供美はいつの間にか主導権を握られている感覚に陥る。供美が昨日見た限りでは、葵はおとなしそうで、押せば押すだけ引くようなタイプに感じられた。だが、実際はどうも違うようだと供美は認識を改めた。それと同時に、葵という少女に対して興味が増していく自分を認識していた。
供美は葵が指差したベンチへ共に向かう。彼女が目的としている弁当のセール時間まではまだまだ余裕があった。供美は、昨日の様に無駄にお金を浪費して同居人達の不興を買うよりは、目の前の少女と話をして時間を潰すのが得策に思えた。
互いにベンチへと腰掛けた二人は、目の前を歩いていくショッピングセンターに訪れた客達を眺めながら会話を始める。
「前に松永さんを見かけた時は、あそこで子猫を見てましたよね。お好きなんですか?」
「ああ私、猫派だから」
その言葉に葵は同意を返す。そして今度は、葵がペットショップにいた訳を聞かれると、自分が犬嫌いであることと、それを克服するために特訓をしていた旨を伝える。
「葵は犬が嫌いか……。私は蜘蛛が嫌いだな。朝見るのも、夜見るのも無理」
「私も蜘蛛は苦手です……。部屋に出たら、きっと一緒に住んでいる子にどうにかしてもらうと思います」
一緒に住んでいる子という話に、供美は昨日見かけた他の三人を思い浮かべる。その中の誰かだろうかと話を聞いたところ、葵はポニーテールの少女と一緒の部屋に住んでいる事を教えてくれた。
「高校か……私は結局一年しか通えなかったな。今年で十八歳なんだけどさ」
「そうだったんですか……。じゃあ今はお仕事をされているんですか?」
葵の質問に、供美は胸がチクリと刺されるような感覚を覚える。だが、その質問に悪意が無いことは分かっているため、何とか答えを返そうとする。
「今は……家にいる爺さんの介護というか、世話みたいなことをしてる」
決して嘘は言っていないはずだ、と供美は心の中で誰にでもなく言い訳を行った。供美の答えを聞いた葵は心から感心しているようで、彼女を褒め称えている。その言葉に、供美は居た堪れなくなって話題を変える事にした。
「そういえばさ、この辺で、私も良くは分からないんだけど、肥料とかって買えるとこある?」
「肥料ですか? ガーデニングとかされるんですか?」
供美は、同居人に頼まれている品物で、自分では使わない事を話す。葵は少しの思案の後、近くにあるホームセンターなら恐らく購入できるであろう事を伝える。
その答えに、供美は眉を顰めた。
供美にとってホームセンターは行って気分の良いところではない。それは恐らく同居人も同じだろう。
警察を含めその関係者や、今回の事件の担当官に顔が割れている二人が外に容易に出れないため、現在供美が買い物一切を全て行っている。
だが、肥料の件はその理由以外にも、単純に彼らがそこへ行きたく無いためではなかろうかと供美には思われた。
供美が渋い顔をしていると、葵の持つ携帯が着信を示した。
一言供美に断りを入れて葵はその電話に出る。
凛音ちゃんどうしたの、と葵は供美の横で会話を続ける。それを供美は僅かな嫉みの感情とともに聞いていた。そしてそれに気づくと、心の中で自嘲した。
自分に真っ当な人生などもう望めるわけも無い。今の自分は正真正銘の犯罪者なのだから、と。
通話を終えた葵が、そろそろ帰らなければならない事を伝えてくる。供美はそれに対してそっけない反応を返す。これで目の前の少女との関係も終わりだな、と供美はベンチから立ち上がる葵を眺めながら諦観していた。
だが、立ち上がった少女の口から発せられたのは、彼女にとって思いもよらぬ言葉だった。
「松永さん、私このあたりの時間にここを利用しているので、もし会えたらまたお話しましょう」
可愛らしい笑みを向けながらそう告げると葵はぺこりと一礼を行う。そしてそれを聞いて呆然としている供美を置いて、葵はその場から立ち去っていった。
葵の後姿を眺めながら、供美は自分の心中に広がる感覚が何なのか、暫く整理がつかなかった。そしてそれが、淡い期待の様な物だと判断できると、自分で自分に呆れてしまった。
自分のような奴が、一体何に期待しているのだろうか、それは無駄な期待だ。
そう自虐的に結論付けると、供美はベンチから立ち上がる。
時間はいつの間にか随分経っていて、弁当に半額シールがそろそろ貼られる頃合だった。
供美は自分たちが監禁している老人のリクエストを思い出すと、面倒くさがりながらもそれを探すことにした。だが、同居人たちのリクエストは無理難題だったため無視をすることにする。
「爺さん、風呂に入れられないからウェットティッシュとかタオルも買って行こうかな」
そんな独り言を呟くと、供美はスーパー区画へと足を運ぶのだった。




