第二十九話 蕎麦くいねえ!
天導学園第三女子寮の504号室。現在、葵と凛音の部屋であるその場所に、彼女らを含めた四名が入室していた。
リビングに備え付けてあるダイニングテーブルの椅子は、元々四脚あったため不足は無い。そこに、葵を除く三名が鎮座していた。
机の上には、割り箸、お湯の沸いた電気ケトル、冷たい水の入った大き目のコップ、これでもかといわんばかりに特大のボウルへ盛り付けられた蕎麦の山、流石に八人前程しか茹でられていない、そして摩り下ろされた山葵が小山となって置かれている。
「お待たせー」
葵が台所からボウルいっぱいの刻み葱を持って歩いてくる。
そしてそれを、テーブルの上へと追加する。それが置かれた瞬間、あまりの葱の量に約一名を除いて、座っていた人間はその顔を引きつらせた。
「静流さんはこれでいいんだっけ?」
葵は台所へ戻ると、一本の葱を四等分に切り分け、それをお皿に乗せたものを持ってくる。そしてそれを静流の前へと置いた。
「ありがとうございます。切らなくても大丈夫でしたが、この方が食べやすいですね」
静流は笑顔でそれを受け取る。
彼女の前には既に麺ツユが準備されていた。他の席の前にはそれぞれ黒い器とガラスの器こそ用意されているものの、そこにツユはまだ入っていない。
「結局、ガラスなんぞ使うとるんは自分だけやん」
「葵……信じてたのに」
「ガラスの方は夏になったら、カキ氷とかににちゃんと使うってば」
葵は麺ツユを器の四分の一ほど、三人分の容器に注いでいく。
「薄めるのは、水とお湯好きな方を使ってね」
食事の準備が出来上がる。四人は手を合わせて食事前の挨拶を行った。
「葵さん、準備をまかせてしまって」
ぼりぼり。
「すみませんでした。ありがとうございます」
ぼりぼり。
静流はツユに切り分けられた葱を浸すと、それをむさぼりながら話している。
「ほ、包丁とか一本しかなかったし、大丈夫だよ」
葵はそれに気圧されながら答える。
「静流は食いながら話すのやめーや」
ずるずる。
「お前もやってんじゃねーか」
ずるずる。
「自分もやっとるやん」
ずるずる。
蕎麦を啜りながら会話を続ける二人を見て、葵はため息を吐く。
「もう……まあ、いいか」
葵は山盛りの刻み葱をツユに投入し、ボウルから蕎麦を取ると、そこに浸して一気に啜る。やや辛い、ぴりりとした葱の風味が蕎麦のそれと合わさり、鼻を抜けていく。程よい硬さに茹でられた蕎麦が喉を通るたびに、気持ちの良い喉越しが感じられた。
葵は、上手く調理出来たことに対して満足げに微笑む。
今度は山葵を麺ツユに混ぜて食べる。辛い。だが、その辛さはチューブの山葵とは異なり、舌や鼻に長く残ることは無い。一瞬の辛味の後、口内全体から鼻に向けて一気にそれが抜けていく。残るのは、爽快感だけだった。
「意外と沢山食えそうやな。旨いわ」
ずーずー。
「葱が美味しい」
もぐもぐ。
「葱ばっか食うなや」
隣り合った席の二人は一々言い合いをしているが、それは本気で言い合いをしているわけではなく、唯じゃれ合っているだけなのだと、誰の目にも分かった。二人とも、笑顔だ。
そしてそれを尻目に静流は凄まじい速度で食事を続けている。お皿に盛り付けておいた葱は既に無くなっていた。
「静流さん、葱はまだ一本残ってるけど、食べる?」
「お願いします」
葵は席を立つと台所へ向かう。冷蔵庫から半分に切った葱を取り出すと、それぞれの先端部をやや切り落とし、簡単に水で洗う。そして先程の静流の食べ方を思い出すと、二つに切られたままの葱を台所のカウンター越しにテーブルへと見せる。
「このままでもいい?」
静流はグッと、右手の親指を立てて答えた。それを見て笑みを浮かべながら葵は席に戻る。
四人は、寮での暮らしや、自分達の身の回りの物をどこで購入するかなど、これからの生活について話しながら食事を続けた。
「家具はあるっちゅう話やったから、服とかしか持ってきとらん」
「そうなの? それにしても入学式ぎりぎりの引越しだったんだね」
葵が口元を拭きながら尋ねる。
「あー……。それはな、ちょいめんどい話なんでまた今度な」
「あれだろ。テレビでもやってたけど、爺さんがさらわれて……」
「えっ!? それってこの前ニュースでやってた話!?」
葵はつい先日のニュースを思い出す。自分達の学園の入学式に出席するために訪問していたお年寄りの男性が、何者か達に誘拐されたという事件だ。
「めんどい話言うたやろ! やめやめ!この話はお仕舞い!」
「篤子ちゃんと私が負けちゃった話ですね」
「負けとらんわ! 向こうが人質なんぞ使いおるから!」
「資料読んだけど、三対二になるとこだったんだろ? 引いてもらえてラッキーだったな」
凛音の言葉に、篤子は悔しそうに口元をゆがませる。どうやら図星を突かれたようだった。
「二人ともアニマトゥーラを持ってるのは知ってたけど、無茶は駄目だよ」
葵は心配そうに篤子と静流に話しかける。
それを聞いた二人は一瞬気まずそうな顔を見せる。
「あんな……葵は、うちらがこんなんでも平気? 監視とか、聞いとるんやろ?」
「全然平気だよ? 正直私には、それくらい必要って思う」
葵は自分が引き起こした惨事を思い出していた。入学式の最中の説明や、自分以外の新入生達が、道すがら第二校舎の事故について話すたび、その行いに慙愧の念を抱えていた。
自分には、その手に余る力があり、それをきちんと管理してもらえるということが寧ろありがたく、申し訳ないというのが葵の本音だった。
ただ、葵と一緒に居る『妹』は、やや不満げだったのだが。
それを聞いた二人は安心したように微笑む。
凛音はそれを横目で見ながら、どこか誇らしげに蕎麦を啜っていた。
「そういえば、二人は私の妹について聞いてるの?」
葵は質問を行う。ある意味では一番重要なことかもしれなかった。
二人の答えはYES。山形善治から、事の次第や葵の現状について話は聞いているとのことだった。
「善治が許可したんだから、まあ、いいけど。絶対他の奴に話すなよー」
凛音が不満げな顔で言い放つ。
「それは……誓って話さんわ。葵はええ子やし、もうダチやからな。ついでに自分も」
篤子は最後の辺りで少し顔を赤らめながら答える。
「私も、葵さんと一緒においしいご飯をこれからもっと食べたいです」
静流は、もう殆ど食べ終わっている葱をその手に持ちながら答えた。
「ちょっといい話風やったのに、その葱! 葱が邪魔やねん!」
「篤子ちゃん! 葱は必要ですよ!」
篤子の突っ込みの声がリビングに響き、その後に楽しげな笑い声が続いた。
「その妹なんだけど、今まで女の子らしい名前で呼ばれてなかったんだ」
ひとしきり笑った後、目じりをぬぐいながら葵が話し出す。
「赤犬って、装甲名のまま呼ばれてたんやっけ?」
「うん、それでね」
「あ、葵。その話はまた今度……」
「えー? 大事な話だから今言っておきたいな」
凛音がやや顔を赤くしながら遮ろうとするが、それは葵の意思を変えるには至らない。
「私と凛音ちゃんで決めたんだけど、これからは『あかね』って呼ぶことにしたの」
「あかねちゃんか。なんて字ー書くん?」
名前の漢字を尋ねた篤子の横で凛音の顔がさらに赤くなる。
「あかは、『朱』って字で、ねは凛音ちゃんの字をもらって『音』にしたの」
朱音。それが葵と身体を同じくする妹の新しい名前だった。
「え、ええやん。なんか娘とかの名前を付けるニュアンスをびしびし感じるけど……」
「いいだろ! 別に!!」
「何をいきなりキレとんねん!」
「この部屋に定礎って置かれてませんかね? 塔が建ってそうなんですが」
「ねーよ!!」
再度、笑い声が響く。葵は、自分の中の妹も楽しげな感情を発しているのを感じた。
これから、一緒に楽しい思い出を沢山作ると決めたその妹が、笑っている。
それだけで、たとえようも無く幸せな気分だった。
そして楽しい食事の時間は、瞬く間に過ぎて行った。
結局、食べ過ぎて動けなくなった篤子と凛音を置いて、葵たちが洗い物を済ませることになった。
最終的に蕎麦は、静流が半分以上食べてしまっていた。
それから四人は制服から着替えることにした。葵と凛音は中学のジャージを普段は着用しているが、見栄もあって、最初に用意していたルームウェアを着用する。
篤子と静流は隣の自分の部屋で着替えているようだ。
「自分、白黒好きやな」
「それ、私も思ってた」
「今度、これと似たような服でパンダの奴を買ってあげましょうか?」
「い、いいよ別に……それにしても葵は相変わらずキュートだぜ」
着替え終わった四人はそれぞれの服装を見て感想を言い合う。凛音は白いフリースを肌着の上に着ており、葵は前に一度着たきりのカーディガンを着ていた。
篤子は、黒いスパッツに黄色いジャージというラフな格好だった。ジャージはシンプルなデザインだが、通気性の良い素材でできている。
静流はデフォルメされた熊のフードが付いているパーカーを着ていた。アンダーは、やや丈があるショートパンツを履いている。
「荷解きもまだやけど、どうせたいした荷物も無いしまだここにおってええ?」
篤子の言葉に葵は了承の言葉を返す。そのまま四人は、テレビゲームに興じたり、凛音の熱い解説付きで特撮番組を見たり、夕飯の時間に、やはり静流が大量にご飯を食べたりしながら一緒にすごした。
昼とは異なり、篤子と凛音が洗い物を済ませると、いつの間にか外はすっかり日が落ちてしまっている。静流は不満げだったが、お昼を食べ過ぎた所為で夕飯を食べるのが遅くなってしまっていた。
「そんじゃ、そろそろ御暇しよか」
「そうですね。そろそろお風呂の時間ですし」
「うん、また明日」
「登校も一緒なんだろ? 時間の連絡とか必要か?」
その言葉に葵はメールアドレスの交換をしていなかったことを思い出す。二人にアドレスの交換を申し出ると、快く承諾してくれた。実は密かに練習していたため、操作にはよどみが無い。
凛音は、その提案にあわてて携帯を探す。
「自分、アドレス交換に何時間かかっとんねん」
「うるさいなー! 慣れて無いんだよ!」
連絡先を交換し終わり、葵と凛音は玄関で二人を見送る。
直ぐ隣の部屋に行くだけなのだが、新しい友人達との別れは少しの寂しさを二人に与えた。
「楽しい人達だったね」
「ああ、そうだなー。デコの方はやかましいって感じだったけど」
その言葉に葵は笑う。そして、仲良しなくせに、と凛音の頬を突いた。
「でも、アニマトゥーラを持ってるって事は、辛い事もきっとあったんだよね?」
「まあ、そうかもな。程度の違いはあれ、一回は死に掛けてるわけだし」
その言葉に、葵はより一層、今の自分の思いを強める。
たとえ、辛い過去があったとしても、過ちを犯してしまった身でも、それを正して生きていくことが自分に出来ることなのだと。勝手な言い分かもしれないが、そうして生きていくことが、償いになるのではないかと感じていた。
あの二人や、隣に立つ少女の様に、いつかは自分もこの力を世の中のために役立てられるようにしたいと、そう願っていた。
凛音は、そんな思いを秘めた葵の様子を見て声を掛ける。
「あお……」
「すまん! 風呂! ちゅうかシャンプー貸して!」
「家具はあるのに洗面用具が無いとは……」
だが、その声は激しく開いたドアと、けたたましい声に遮られる。
「いやー。参った参った。風呂洗おう思ったら、なんも無いのな」
「流石にシャワーだけで済ませるのは勘弁です」
凛音と葵は顔を見合わせ、呆れたように笑った。自分達もすっかり洗面用具のことを忘れてしまっていた。
「いいよ。着替え持ってきなよ。わたし、風呂洗っちゃうからさ」
凛音は二人を迎え入れ、風呂場へ向かった。
四人の夜は、まだまだ続く。
次は恐らくレッツバスロマン3となります。
パンチとキックは旅に出ております。




