第二十話 お説教
限界まで圧縮された力が凛音の装甲内で暴れ狂う。
もはや出し惜しみは無しだ。
その暴れる力を一切押さえつけずに解き放つ。
それはまるで一つの弾丸、いや、砲撃だった。
紫の光を噴出しながら、凛音はただ真っ直ぐに赤犬に向かって飛び込んでいった。
残光が尾を引くほどの速度。
ただの右とび蹴り、それが赤犬の反応速度を超えて彼女の腹部に突き刺さった。
「んんんんんぐうううう!!!」
血の様な赤い閃光が着弾地点から迸る。
実際それは血だったのかもしれない。身体をくの字に折り曲げながら、赤犬は後方へとはじけ飛ばされる。
「ぎいいいいい!!!」
その痛みに耐えるためか、赤犬は顔面を覆う牙を嘗て無いほどに食いしばった。
両手の爪で虚空を掴む、吹き飛ぶ身体にブレーキをかける。
だが、吹き飛んだ赤犬を、凛音はとび蹴りの勢いのまま追っていた。
全身から放たれる紫の火花が勢いを増す。
ブレーキの分だけ距離が更に縮まる。
赤犬は咄嗟に両腕でガードを固める。だが凛音はそのガードごと顔面を粉砕する勢いで膝蹴りを放った。
両腕が顔に、牙に食い込む。べぎり、と何かが圧解する音が響いた。
両腕が砕け散っている。
だが、赤犬は、本来なら彼女を襲うはずの激痛を回避していた。
犠牲となったはずの彼女の両腕が、何故か下方から凛音の首を狙って襲い掛かる。
凛音は一気に上空まで飛び上がると、赤犬の身体の少し向こう側へと着地する。
振り上げられた赤犬のそれは、一回り細くなっていた。
二重に展開された装甲を使用しての脱皮回避。その不意を付いた攻撃も、ノータイムで回避行動を行う凛音の前に空を切っていた。
赤犬の両手を覆うように光が滲み出る。それを見過ごす凛音ではなかった。
着地の姿勢のまま、独楽の様に身体を回転させ、赤犬の、二の腕付近を蹴り飛ばした。
今度こそ、装甲を貫いて、その下にある生身の腕の折れる音が響く。
「ぎゃあああああ!!!」
吹き飛ばされ、宙に浮いていた赤犬の身体がさらに浮くほどの衝撃が、唯の蹴りから繰り出される。
赤犬は、自分の浮いた体と地面の間に凛音が素早く割り込んでくるのを確認した。
虚空を蹴って、飛びのこうとする。だが、その伸ばした足を凛音は掴んだ。
そのまま、全身のばねと、噴射によって加速された力と勢いで、赤犬は地面に叩きつけようとする。
赤犬は、激突前にブレーキをかけるため、その両手で空中に爪を立てていた。
ただの床との激突だった。装甲には殆ど損傷がないだろう。
しかしこのまま地面に叩きつけられるのは不味い気がしていた。
それは最早むなしい抵抗だった。
力を増した凛音の勢いをとめることが出来ず、爪は空間に引っ掛けられたまま粉砕されていった。赤い光が地面までの軌跡を描く。
そして屋上に叩きつけられる。床との接触では装甲に対してダメージは行かない。
だが叩きつけられた衝撃で、赤犬の身体が地面にめり込んでいた。
凛音はそんな赤犬の身体の上へと圧し掛かると、馬乗りの体勢へと移行した。
一方的な攻撃を予期した赤犬はそれを阻止するため、自分の両足を相手の腰の後ろへと回す。
そしてそのままがっちりと、足首を組み合わせた。
締め付けられたの凛音の胴体部に火花が散る。
振りかぶりの少ない左のパンチが振り下ろされる。
座った体勢では十分な威力は出ない。
だが、ほんの僅かな距離でも、その威力は噴射によって極大化されている。
赤犬の胸部に凛音の左拳が突き刺さった。
装甲に拳をめり込ませたまま凛音は残った右腕で再度攻撃を仕掛ける。
狙いは顔面のようだった。
そのまま上半身を起こそうとする赤犬だが、突き出された左拳が邪魔で起き上がれない。
食い込んでいるため、横にずらすのも困難だった。
左手に干渉しようとするたびに攻撃が顔面に飛んでくる。
自分の両足の爪を地面に食い込ませて、その力で後ろへ逃れようとするが、その足の動きを抑制され、地面が足に付かない。先ほど叩きつけられた際に破損した両手の爪もまだ修復が終わっていない。
赤犬は両足の爪を中空に立てた。そのまま蹴りだすように力をこめる。
爪を使えない状態だったが、それに合わせて両手も地面を押し出すように動かす。
赤犬は、自分を抑えていた左手の拘束から逃れた。その勢いで身体が凛音の馬乗りからも脱出する。
地面を滑りながら後方へと逃れた赤犬は、その距離を確保した。
だが、立ち膝の状態であったにも拘らず、凛音はそのままの姿勢で前に跳んだ。
普通ならばありえない動きに赤犬は対応が遅れる。そのまま胸に向かっての膝蹴りを受けてしまう。
再度、地面に倒れる赤犬。胸の上には膝が乗ったままだった。
その体勢から凛音は素早く胴体を押さえ込んでくる。
そして、そのまま、全力で殴り始める。
5分もの間、凛音は殴り続けた。反撃を行おうとする赤犬の動きは完全に制圧され、それを許されることは無かった。
赤犬はガードに徹し、抵抗をやめて動かなくなりつつある。
凛音は跨っていた自分の身体をどかすと、すっくと立ち上がった。
そしてそんな赤犬をボールに対して行うように蹴り飛ばした。
吹き飛ばされた先で、赤犬がよろめきながら何とか身体を起こしていた。
「ごんな゛……ごんな゛やづにわだじが!!」
言葉に血を混じらせながら赤犬が叫ぶ。
「お前の負けだ……。おとなしく変身を解いて葵を解放しろ」
ゆっくりと凛音が近づく。だが
ごぶっ
突如装甲のスラスター各部から血があふれ出した。
「ぐっ……」
片膝を立て、その場に凛音が崩れこむ。
装甲限界突破の代償。荒れ狂う力の反動が現れていた。
凛音も既に限界が近い。凛音は意識を失いそうになる自分を奮い立たせた。
あと、もう少しだ。
30秒もなかっただろうか、だがそれはこの場においては長すぎる時間だった。
気が付くと赤犬がすぐ側まで来ていた。
身体と、装甲の損傷は、やや回復していた。だが、度重なる損傷によって、その装甲は維持出来る限界へと近づいている。顔を覆っていた牙も、殆ど残っていなかった。もう、何もしなくとも装甲から赤い光が離れていっている。
「私が、葵を守るんだ……」
肩で息をしながら、赤犬は拳を握り込んだ。だが、その拳の爪は、赤い光の粒子となって消えていく。もう限界だった。
「ああ゛あああ゛あ゛ああああ゛ああ!!!!!」
既に満身創痍の身体を無理やりに動かして、赤犬が爪のないその腕を振りかぶる。
その姿は、駄々をこねる唯の子供の様にも思えた。
だが、その攻撃が、突然止まる。
砕かれた牙の下から覗く、赤犬の真紅の瞳が一瞬の戸惑いの後、驚きに満ちた光を放つ。
「ごめんなさい……。私、全部あなたの所為にしていた」
赤犬が呟く。
いや、その声は赤犬のものではない。
それは葵の声だった。
彼女を縛る力が衰えたためか、葵が表に出ていた。
「あなたは、私が人を憎んだり、怒ったりしないって言ってた」
「でもそれは違う。全部あなたに押し付けてただけだったんだ」
葵は言葉を重ねる。
「人から嫌われるのが嫌で、分からない振りをしていた本当の気持ち」
「貴女はそれを私の代わりに表現していただけなのに、私はそれから目を逸らし続けた」
葵は話し続ける。赤犬の身体は腕を振り上げた状態で震えながら止まっていた。
「私の大事な、大事な妹」
「本当は、私がきちんと人に対して怒ったり、文句を言えばいい話だったのに」
そしてなによりも
「私が叱ってあげるべきだったのに」
そう言うと、彼女は振り上げていた腕を落ろした。
そのまま、数歩後ろへと下がる。
そして自分の身体を拘束するかのように抱きしめた。
「駄目だよ葵。悪いのは私、私が悪かったから。謝るから」
赤犬が言葉を放つ。そのトーンはただの子供のそれだった。
だが、拘束は解かれなかった。
右ひざを立てた姿勢で凛音が喋る。
「最後のお説教だ。これに懲りたら、葵の言うことを聞いて大人しくするんだな」
凛音の全身から吹き出る紫色の光が、右脚に吸い込まれていく。
全ての光が右脚に集まっているようだ。
凛音が叫ぶ
「はああああああああああああ!!!!!!」
最後の力を振り絞って、凛音はとび蹴りを放つ。
最初の突撃で放った右とび蹴り、最後に放ったのも同じ攻撃だった。
それが、直撃する寸前、赤犬の装甲がまるでそれに当たりに行くかのように前へと剥がれ落ちる。
反対に、葵の生身の身体が後ろへと崩れ落ちていく。
凛音の攻撃が、剥がれ落ちた装甲に激突する。目を劈くほどの閃光が迸った。
その衝撃で、葵の身体は屋上出口付近へと吹き飛ばされていった。
地面に落ちると、その勢いのまま、身体を滑らせていく。
変身は完全に解けていた。
それを確認して、凛音は全身から息を吐く。
紫の光がその色を次々と変化させ、遂には赤色の光へと変化した。
急いで葵の元に駆け寄ると、その無事を確認した。
微かにだが、意識がある。
少しすると、空ろだった目に力が戻ってきた。
あちこち汚れた顔で、彼女は呟いた。
「ごめんね……。ごめん……」
「葵は何も悪くない、誰も悪くないんだ。ただ、みんな色々なことを怖がっていただけだ」
家に帰ろう。
凛音が葵の身体を抱えようとした瞬間だった。
ぞわりと、凛音は自分の背が逆立つような感覚を覚えた。
花のような香りがする。
その瞬間、腹部に衝撃と共に激痛が走った。
凛音の左腹部から、醜悪な造詣の腕が伸びていた。
それが彼女の腹部の肉ごと、装甲を吹き飛ばしている。
「りん……ね……ちゃん」
それを見ていた葵の顔が青く染まり、その後返り血で赤く染まる。
「お疲れ様。あとは私に任せて頂戴ね」
女の声。
咄嗟に凛音は背後に向かって右肘を振るう。
だが声の主は造作もなげにそれを避けた。
不快な羽音が聞こえる。
葵が先ほどの声を聞いて呟く
「大地……先生」
「あれ? やっぱり分かっちゃう?」
大地先生と呼ばれた女は大きく膨らんだ自分の胸部装甲を持ち上げるかのように手を動かす。
醜悪な外見。
頭部は蝿の拡大写真をさらにおぞましくデフォルメしたような形だ。
腹部からは小さな虫の足が3対生えている。そのうち2対は腕を組むように組み合わさっていた。
腕や脚の途中からはまるで繊毛の様に尖った組織がびっしりと生えている。
背中からは蝿のそれが羽として生えており、色は全体的に灰色を基調としていた。
こいつが
こいつが魔王蝿。
凛音は血を流し続ける腹部を押さえながら確信した。
今回の事件の首謀者、魔王蝿が遂に自分達の前に現れたのだと。
そしてその正体は、大学付属病院にて葵の検査を受け持った女医。
大地 美央
その人だった。
登場人物少ないから、正体はすぐにみんな分かった気がする。
2/9 赤犬の抵抗描写加筆




