第十話 凛音の告白
目が覚めると、昨日目にしたのと同じ天井が目に入った。
寮の自分の部屋。布団も自分の物だった。
「夢……だったのかな」
そう呟く。
だがその考えこそが甘い夢なのだとすぐに気づく。
服装は、買い物に出かけたときのままだ。
右手には、包帯が巻かれていた。道路に倒れこんだとき、傷を負ったのだろう。
あれは紛れも無い現実だった。
私は襲われ、そして助けられた。
「葵……」
不意に声を掛けられる。
私を助けた人物。その子は私の枕元で正座していた。
凛音ちゃん。私と同室になった少女。元気で、楽しくて、これから一緒に過ごせる事を本当に幸せだと思った。
彼女と出会ってからまだ2日。知らないことはまだまだ沢山あった。
でもそれは、これからの新生活でゆっくりと知っていければ良いと考えていた。
先ほどまた、私は彼女の知らなかった一面を見た。
知らないほうが良かったのだろうか。
何故、彼女がそんな力を持っているのか。
何故、私が襲われたのか。
偶然?
私を取り巻いていた環境を考えれば、それはありえなかった。
そう考えると、彼女が同室になったのも、天導学園に入学するための一連の動きすら、疑わしく思えた。
そして、彼女が友達になってくれたことさえ。
凛音ちゃんは俯いたまま、私の枕元に座り続けている。
怖くて、とても聞く事が出来ない。
しばらく二人とも無言の状態が続いた。気まずい時間だけが刻々と流れていった。
「ごめん! 葵!」
突然、凛音ちゃんは正座の姿勢からそのまま頭を下げた。額がフローリングの床にぶつかる音が聞こえる。
土下座だ。
「わたし、知ってたんだ。葵のこと。なんで葵が引越ししなくちゃいけなかったのかも」
そう切り出した凛音ちゃんは、その姿勢のまま話を続ける。
「葵も、もう分かってるかもしれないけど、わたし達が一緒に暮らすことになったのも、
葵のおばあちゃん達がこっちに引っ越すよう勧めたのも、偶然じゃない」
やっぱり、偶然じゃなかった。じゃあ……。
「でも、これだけは、信じて欲しい! 葵と友達になりたかったのは、葵と一緒にいたい
と思ったのは、わたしの願いだったんだ!」
凛音ちゃんは話し続ける。
「わたし、本当は中学時代友達なんて全然いないような奴だったんだ。正直かなり荒れてたし、
あんな力があるし、それに関わる仕事もやってた!」
さらに続ける。段々と声に涙がこもり始めた。
「葵の身の上と、周りで起こった事を聞いて、自分に似てると思った!」
私の身の上、それはつまり、両親のことだろうか。そしてやはり凛音ちゃんは全部知っているようだった。
「嫌われたくなくて、髪形も変えて、普段はジャージの癖に見栄を張って『るーむうぇあ』
とか言うのも買ってきて!」
もう完全に涙声だ。
「第一印象良くするために、変なキャラ作って、テンション上げて、正直自分でも距離感
掴めてないと思ったけど、でも楽しくて!」
早口で、まくし立てる。
「修学旅行なんて行けなかったから、同い年の子との一緒のご飯も、一緒のお風呂も、一
緒に寝るのも初めてで、嬉しくて!」
だから
そう一息おいて。
「赤犬なんて、現れてもわたしが何とかするから! 葵を守るから!」
そして続けて
「わたし、なんでもやるから! まだ友達でいて!」
一息で言い放つと、そこで話は終わったようだった。
凛音ちゃんは泣きながら震えている。
赤犬。
私には聞き覚えの無い名前だった。けれど、その名前が指している存在には心当たりがあった。
それこそが、私が引越しをしなければならなかった最大の理由だった。
初めは、小学校の先生だった。
男の先生で、ボディタッチが多く、周りの女生徒からは嫌われていた。
私は、良く分からなくて、普通にしていたと思う。
ある日突然、肩を揉まれた。
びっくりした。
次の日、先生は一人でいるところを誰かに襲われた。
両手が滅茶苦茶にされていたという話だった。
二人目は、通学路のおじいさんとその飼い犬だった。
敷地内で放し飼いにしていて、前を通るたび皆が吠えられていた。
ある日、集団下校の最中で私が居る集団に犬が飛び掛ってきた。
女の子が一人怪我をした。
やはり次の日、犬は4本の足全てを折られていて、おじいさんも何かに怯えてパニックになっていた。そのままおじいさんは入院したとの話だった。犬がどうなったのかは分からない。
それから次々と私の周りで人や動物が襲われていった。
殺された人はいなかったけど、皆とてもひどい目にあっていた。
共通点は、直前に私に関わっていたことと、殆どが一人でいる時ということだった。
噂が広まり、誰も小学生の私に近づかなくなった。
中学にあがってもそれは同じだった。
だが三年生になったある日、別の地区のグループの子達から初めて遊びに誘われた。
嬉しかった。
ゲームセンターというところに初めて入った。すごく広く感じる。奥の方までゲーム機が続いているようだった。
でもそこで、私は男の人たちに囲まれてしまった。一緒に来たグループの子達の姿はどこにも見えなくなっていた。
怖い。
そう思った瞬間、悲鳴が上がった。
ゲームセンターの奥のほうで、赤い何かが暴れているのが見えた。
その周りにいる人たちが倒れていく。
一体何が起きているのか、分からなかった。
暴れている存在がこちらを見つめているのに気がついた。
犬耳と尻尾が見える。そう聞くとかわいらしい容姿に思える。しかしちらりと見えたそのシルエットは私に生理的な恐怖感を与えた。
気がつくと、私は外で倒れていた。
救急車やパトカーがけたたましくサイレンを鳴らしている。
もう、どこにも私がいられる場所はなくなっていた。
「凛音ちゃん、良いんだよ……。頭を上げて」
私は、未だ震える彼女の背に向かってそう伝える。
ゆっくりと顔を上げた彼女は、涙と鼻水で濡れていた。
近くにあったティッシュを差し出す。
あれを全て知っていて、私の側に居てくれる。
そんな人は今まで誰もいなかった。
「私も、凛音ちゃんと一緒にいたい。だって、大切な、大切な友達だから」
凛音ちゃんが私の布団に倒れこんでくる。
倒れこんだ彼女の頭を撫でる。やわらかくて、良い匂いがした。
彼女が落ち着きを取り戻すまで頭を撫でていると、これからのことについて、彼女は話し始めた。
「取り合えず、応急処置はしてあるけど、明日精密検査のために病院に行かなくちゃ」
凛音ちゃんがそう伝えてくる。
その日は、昨日同様一緒に眠った。
けれど昨日と違い布団は一つしか敷いていない。
私は彼女の温もりを感じながら眠りに就いた。
凛音ちゃんは、凛音ちゃんだ。
たとえ不思議な力を持っていて、それが人とは違っても。
私は彼女を信じる。そう決めた。
同衾しました。