不穏
歩いていくにつれ、道幅は少しずつ広くなっている。また、横穴や枝分かれした道も見えるようになってきた。生き物の気配はあれ以降なく、足音と潜められた話し声だけが響いていた。
アニーとフェイが苦い顔で沈黙しているのに気付いたのか、先程から、ロトは二人にいろいろなことを教えてくれている。
「そもそも魔物ってのは、そこらの獣が空気や土に含まれている魔力やら悪い空気やらを大量に摂りこんじまったものだ。さっきの狼みたいに火を吹いても、なんら不思議はない」
「……じゃあ、ヴェローネルの周りに出てるっていう魔物も、あんな力を使うんだね」
淡々と語る青年にアニーが問うと、彼は無言でうなずいた。ランタンを揺らして前方を照らしながら、語り続ける。
「下手したらそこらの魔術師よりよほど強い奴だっている。並みの戦士じゃ、魔物の討伐は無理だな」
「だから、原因を探ってくれ、なんて依頼がロトさんに来たんですね」
「そういうこった」
アニーの後ろから、フェイが慎重に訊いている。だが、彼の気遣いなどどうでもいいかのように、ロトはさらりと答えた。
「俺は魔術師だし、多少魔物との戦闘経験もある。調査に向かわせるにはちょうどいい、と思ったんだろうよ。街のお偉方は」
ロトが何気なく毒を吐いたところで、三人の前に再び分かれ道が現れた。右側が太い道、左側が細い道である。足を止めたロトの後ろで、アニーとフェイは顔を見合わせる。
「今度は、どっちだろう」
「私だったら右に行くなー」
「でも、見るからに怪しい方が正解の道って言う可能性も……」
二人のやりとりは、のん気なもののようだった。だが、本人たちは大まじめに相談している――つもり、なのだ。そんな彼らの前でロトは立ち止まり、目を閉じてじっとしている。何秒か経って目を開けた彼は、両方の道の地面を慎重に眺めた。
土の上を視線が滑る。岩の形、位置。土の色の変化。薄く残った跡。すべてを、便利屋で魔術師である青年の目は見逃さなかった。
一通り眺めた彼は、背後にいる子どもたちを振りかえる。
「右だ。行くぞ」
ロトは端的に言って、すたすたと歩き出す。声をかけられたアニーとフェイは、びっくりしながら彼を追いかけた。相変わらず愛想のない背に、アニーが訊く。
「すごーい! どうして分かったの?」
「こっちの方から魔力の流れを感じた。あと、人が何度も繰り返し通ったのが分かる。石の割れ具合とか、地面の色の変化とかでな」
「へー……ロトって、ほんとに色々知ってるのね」
アニーは感心して言った。含むものは何もなく、ただ純粋な尊敬とあこがれからそう口にしただけだった。だが、少女の言葉を聞いたロトは、歩調を微かに緩める。気まずそうに目を細めたが、後ろから見ている二人に分かるわけもなく、彼らは首をかしげた。
「ロト?」
「……色々知ってて、できてないと、生きていけなかったっつーか」
ぼそっと言った彼はしかし、それきり黙って歩を進めた。
アニーは背後のフェイを振りかえる。彼もまた、よく分からないという顔で友人を見つめ返していた。アニーは向き直って、ため息をついた。
「相変わらず、わけわかんないの」
不服そうな声は、誰にも届かず消えていった。
彼らはその後も、小休憩を入れながら歩いていた。魔物の襲撃はあったが断続的で、アニーが「ロトは心配しすぎじゃない?」などとぼやいたほどである。
道幅がなんとか三人並んで歩ける広さになってきている。その代わり、いたるところに大岩が転がっていたり穴があいていたりするので、注意をしないと怪我をしそうだった。
「ねえロトー。まだなのー?」
黙々と歩くのにとうとう飽きてきたのか、アニーは声を上げた。さっきから、もう何度も同じことを言っている。だがロトは、涼しい顔で受け流していた。
「まだだ。というか、なんのために俺が野営の道具を持ってきたと思ってる?」
――つまり、一日では着かないということだ。アニーが「勘弁してー」と呟いている。覚悟をしていたフェイも、ため息をついた。
ただでさえ時間のかかる道のりだが、なかなか着かないのにはもう一つの要因があった。火を吹く狼に遭遇して以降、ロトがしきりに立ち止まって辺りを探るような素振りを見せているのだ。時には壁に触れてみたり、石を触ってみたり。倒した魔物の死体を眺めることもある。
最初は二人ともその行動を訝しく思っていたが、少しして、彼が自分の仕事をしているのだと思い当った。この青年がフェルツ遺跡に入っている本来の目的は、「魔物大量発生の原因を調べること」なのだから当然である。ただ、彼のしかめっ面を見る限り、成果はあがっていないらしい。
「不自然だな」
歩いている途中、いきなりロトが言った。
「え? 何が?」
「なんですか?」
アニーとフェイが同時に身を乗り出す。ロトは、道の先を指さしながら答えた。
「魔物がだよ。多すぎる」
「多すぎるって……。私たち、そんなに出会ってないじゃない。それに、遺跡は魔物の住処だって、授業で習ったけど」
アニーが後頭部で手を組みながら言った。どうでもいい、というような態度である。だが、ロトはあくまで平然と、そして無愛想に続ける。
「俺たちが出会ってなくても、足跡や、奴らがいた痕跡はそこらにある。その数がやたら多いんだよ。確かに遺跡は魔物の主要なねぐらだが、だからといって狼みたいなのがそんな大勢棲める環境じゃない」
言いながら、彼は自分の足元を見る。アニーとフェイも釣られて地面を見た。そして、うわ、と二人してうなった。今まで気にしていなかったのだが、そこかしこに巨大な狼や牛のような足跡がある。穴だと思っていたものも、実は足跡だったのかもしれない。
「た、確かに変ですね」
背筋に寒気を感じて、フェイが呟いた。
最初に遭ったコウモリのたぐいならまだ分かるが、狼やら牛やらが遺跡に何体も棲んでいるとは思えない。
彼らは思案にふけりかけたが、その前にロトが動いた。足元の石を拾い上げて、反対の手で魔方陣を描く。陣が出来上がると、目にもとまらぬ速さで石を飛ばした。魔方陣が光り、石は空中で変形して槍の穂先のようになる。それは暗闇の奥で、生き物を貫いたようだった。肉を貫く音と、甲高い悲鳴が重なった。
同時に、黒い影が横切る。
「アニー! そっちいったぞ!」
「えっ!?」
いきなり鋭く呼びかけられて、アニーは飛びあがった。だが黒い影がぐんぐんと迫っているのを見ると、大慌てで鞘から剣を引き抜く。自分を落ち着けるために大きく息を吸い、相手を見た。影は、彼女の頭より少し上くらいの高さを飛んでいる。アニーは一秒考えると、ぱっとしゃがみこみ――下から影に向かって剣を突き刺した。
血が激しく吹きだす。飛び散る赤い飛沫に、アニーもフェイも目をつぶった。
影は、甲高い悲鳴を上げて身を悶えさせはじめた。勢いに引っ張られそうになったアニーがわずかによろめく。
「え? わ、わ」
「アニー!」
フェイが反射的に名を呼ぶ間に、少女は魔物に引きずられそうになる。
――だが刹那。火でできた細い矢が、魔物の影を貫いた。火は一気に燃え上がり、魔物を一瞬で炭にしてしまう。
崩れ落ちる黒炭を二人が呆然と見上げていると、ため息が聞こえた。いつの間にか、ロトが二人の方を向いて立っている。彼は、アニーに呆れたような視線をくれた。
「……上空の相手に攻撃を当てようとしたのは、褒めるけどな。あんなやり方したら身動きとれなくなるの、目に見えてるだろうが」
「うっ。だ、だって……他に方法が思いつかなくて……」
それまで、刃の先をしげしげと眺めていたアニーは、一気に渋面になった。
「相手を引きつけて、低いところに誘導すればいい。ヴェローネル学院の六回生っつたら、専門的な授業はもうしてるだろ? 『戦士科』なら、誘導の方法くらい習ってるはずだ」
アニーは沈黙した。専門授業は比較的まじめに受けている彼女だが、内容が少しややこしくなると力を抜いてしまうことが多い。なので、せっかく授業でやったことも、身についていない部分の方がたくさんある。それは、幼馴染のフェイも知っていることだった。
アニーは気まずそうな顔で剣を鞘に収める。そんな少女に、青年は容赦のない追い打ちをかけた。
「ああ、あれか。おまえ、真面目に先生の話を聞いてないだろ。そんなだからいざってときに困るんだ。今ので分かったろ」
「――っ、う、うるさい! そんなことないもん!」
アニーは反射的に怒鳴り返した。顔が真っ赤になっている。初対面のとき、相手に毒舌を振るわれたことを急に思い出していた。ますます腹が立つ。彼女は、「やっぱり嫌な奴!」とわざと聞こえるように言い、そっぽを向いてしまった。だが、ロトはまったく気にせず、焦げた魔物の前にしゃがみこんだ。
重苦しい空気が漂う。険悪な二人の横で、フェイがおろおろと視線を泳がせる。どうしよう、どうしようと彼は必死に考えていた。が、あいにくアニーもロトもそれぞれの事情に忙しくて気付いていない。
息がつまりそうな沈黙が少し続いたあと。ロトがふと、「おかしい」と漏らした。気まずさに耐えていたフェイが、すぐ食いつく。
「な、何がですか?」
拗ねているアニーを避けて、彼は足早にロトの隣まで来る。そして――目をみはった。
「……鳥?」
フェイとロトの前には、先程アニーが腹を刺し、ロトが黒こげにした魔物が転がっている。
広がる翼。大きな嘴。前に三つ、後ろにひとつ爪のある細い脚。それはどこからどう見ても、鳥だった。
「…………鳥って、こんなところにいますっけ」
フェイは思わず訊いていた。分かっていたが、訊かずにはいられなかった。ロトは、ゆっくりとかぶりを振る。
「さあな。洞窟に巣を作る種類もいるだろうが、にしたって、こんな奥まったところには作らないだろ」
「ですよね」
「こいつがどういう魔物かは分からないが……遺跡に合わせてどっかが退化した様子もないし、考えてみればさっき襲ってきたときも、慣れない環境で混乱しているみたいな感じだった」
「え!? てことは」
フェイは潜めた声を上げる。ロトが思いっきり目を細めた。
「ああ。本来ここに棲んでいるはずのない魔物が、『何か』に引きつけられてここへ入りこんでいる」
さらりと言うと、彼は立ち上がる。フェイも、そっと後に続く。
今まで聞かないふりをしていたアニーも、顔をこわばらせて近づいてきていた。
この中で一番物知りなはずの人は、何も言わない。しかし、アニーもフェイもすでに察していた。
――フェルツ遺跡に、よくない『何か』がある。