古の名残
コウモリの亡骸を踏まないようにしながら歩いていくと、広間のような場所に出た。ロトの予想通りである。広間とはいえ松明などはなく、ここでもランタンは欠かせない。再びランタンの光量を上げているロトの横で、アニーは思いっきり息を吸った。そして思いっきり吐くと、そわそわしながら辺りを見回す。
「すごいなあ。遺跡の中に、こんな場所があるんだねえ」
「おそらく、昔は集会場かなんかだったんだろ」
感動する少女に素っ気なく言った青年は、広間の真ん中を指差した。太い十字架が立っている。大分古びているようだが、倒れる気配はない。
「マーケットクロスってやつだ。昔の人の、憩いの場だったらしい」
「あ。聞いたことあります」
ロトの言葉に反応したのは、フェイだ。それから彼は、「へえー、これが……」などと呟きながら十字架をあちこちから眺めている。幼馴染のはしゃぎようを見て、アニーは少し鼻白んだ。
「いこいのば、ねえ。ヴェローネルの広場の噴水みたいなもの?」
「まあ、そういう見方でいいんじゃねえの?」
退屈そうに言うアニーの横で、ロトが鼻の頭をかく。フェイの反応に少し戸惑っているのは、彼も同じらしい。ただしアニーは何年も彼と付き合っているので、あの調子には慣れている。フェイを放っておくことに決めた彼女は、他におもしろいものがないかと辺りを見回した。
しばらくして、広間の端に何かを見つける。目を瞬いた彼女は、その方に走った。
岩と土だらけの中に、ぽつんと緑がある。草が生えているのだ。アニーは、好奇心に輝く目で、少年と青年を呼んだ。
「フェイ! ロト! 見てよ、遺跡の中なのに草が生えてる!」
彼らはきょとんとしたあと、興味深そうに彼女の元へ寄ってきた。のぞきこんできた後、真っ先に口を開いたのは、やはりフェイだった。
「これ、エメリ草だね」
「エメリ草?」
アニーが問うと、フェイはうなずいた。葉を指先でいじりながら、解説を続ける。
「暗闇の中に生える変わった草で、薬草になるんだって。とってもめずらしい植物だよ」
少年が嬉しそうに言うと、珍しいことに、ロトが感心したように笑った。
「へえー。よく知ってるな」
「前読んだ本に、書いてあったんです」
普段は無愛想なロトに褒められたことが嬉しかったのか、フェイは照れくさそうに答えた。一方アニーは、エメリ草をにらんでから、マーケットクロスに目を戻す。ふと、そよ風が吹いたように感じた。
「なんか……今、こんな静かなのが信じられないくらいだね」
無意識のうちに呟いていた。彼女の声が聞こえたのか、フェイは首をかしげている。だが、ロトは共感するように目を細めた。言葉の意図が分かったらしい。二つの青い目がマーケットクロスに注がれる。
「多分ここは、洞窟の中に作られた町の一部だったんだろう。遺跡と化した今でも、生活の跡はあちこちに残ってる。――古い時代にも、人がいて、生活があったんだ」
恐らく多くの遺跡を見てきたであろう彼の言葉は、二人の子供の心を強く打っていた。
だが、彼らの心情を知ってか知らずか、ロトは突然まとう空気を変える。
「ま、ここはただの町だったってわけじゃ、なさそうだけどな」
「へ?」
「上、見てみな」
アニーとフェイが目を丸くすると、ロトは何も教えず天井を指さした。二人も釣られて上を見る。青年が指さしたより少し右に、何やら不自然な穴があった。それを見てから地面を確かめてみると、何かが崩れたような跡と、鋭いものが刺さったような穴があった。
なんとなくその意味を察した二人は、沈黙する。怖くて、思ったことを言えなかった。
しかし、彼らが言えなかったことを、便利屋の青年は容赦なく告げる。
「侵入者を撃退するための罠が張ってあったんだろう。すでに発動してるから、俺たちより先に入った誰かが、引っかかっちまったな」
淡々と言うその姿には、何かを恐れる様子も嫌がる様子もない。当然のことだ、とでもいうような風情だった。アニーとフェイが呆然としていると、ロトは何食わぬ顔で振り返る。
「どこのどいつか知らねえが、犠牲者に感謝しないといけないな」
なあ? と言っているような青瞳が、アニーたちを見つめる。彼らは、揃って、からくり人形のようにうなずいた。遺跡というのは刺激が強いな、と思った。
その後三人は、魔物や獣の襲撃がないことを確かめると、朝食を摂ることにした。それぞれの荷物から携帯食糧を取り出してもそもそと食べ、喉を潤すていどに水を飲む。味気のない食事だが、食べ物も水も節約しなければならない。
全員が食事を終えると、彼らは再び歩き出した。
広間の先の道は、それまでより少し広かった。ところどころに松明が設置してあり、不気味な程に赤々と火が燃えている。光源があることを確かめたため、ロトはランタンの明かりを最小限にまで落としていた。
アニーとフェイは緊張した面持ちで歩き続ける。先程から、あちこちで、羽音やうなり声、息遣いが聞こえてくるのだ。魔物だろう。「やっつけた方がいいんじゃない?」とアニーは提案したが、ロトは提案を拒否した。
「向こうが襲ってこないなら、こちらから仕掛ける理由もない。無駄に体力を使うこともないしな。だから、無視しろ」
なるほど、聞いてみればもっともな意見だ。アニーとしても必要のない戦いはしたくなかったので、その場では大人しくうなずいた。ただ、魔物独特の鋭い、というか怖い気配を無視するというのは、子どもたちにはきつかった。フェイなど、真っ蒼になりながら歩いている。
ふと、ロトが足を止めた。地面をランタンで照らす。不自然に大きな穴があいていた。それが何か分かったアニーは、眉をひそめた。
「ねえ、それってまた罠?」
彼女が問うと、青年はあっさりうなずいた。
「地雷みたいなもんだ。これでもう、五個目だな」
ロトの言う通り、広間を出てからというもの、罠の跡に遭遇することが増えた。今見ているような地雷系のものだけではない。天井から針が降ってくるものや、木の杭を踏みつけると、岩が転がってくるようなものもある。なんだか古臭いな、とアニーは思ったが、それは確かに人々を苦しめたようだった。
「すごい数の罠ですね」
「そこまでする必要があったということだ。何か大事なものを守ってんだろ」
青年の声に、アニーは思わず反応した。
「……『雪月花』とか?」
「かもしれない」
緊張したような少女の声に、魔術師の青年はさらりと答えた。穴を手で触りながら、こともなげに続ける。
「この分だと、鉱脈のあたりに守護獣がいてもおかしくない」
「守護獣?」
アニーとフェイは声を揃えて訊いた。ロトはすぐには答えず、二人を手で促す。穴をまたいで渡れということだろう。二人が指示に従うと、彼は歩きながら話し始めた。
「番犬の魔物版、みたいなもんだ。それも、恐ろしく強いらしい。こういう古代遺跡とか、大昔に建てられた神殿の奥にいて、貴重なものを守っている。俺も出くわしたことがないな」
「うひゃー……。そんなのと遭ったら、どうすればいいの?」
「戦うしかないだろ。やられて死ぬか撤退するか、倒して奥に踏み込むか――といったところだな」
ロトの言葉を聞いて、アニーは肩をすくめた。フェイは情けない悲鳴とともに頭をかかえている。だが、青年の態度はどこまでも素っ気なかった。
「どの道、なるようにするしかないさ。行くぞ」
それだけ言うと、さっさと歩いていってしまう。アニーは彼のぞんざいな態度に顔を引きつらせた。
「あ、こら! 待ちなさいよ!」
憤慨して叫んだ少女が走り出し、少年も慌てて後を追う。だが二人は、震動で天井が軽く軋んだ音を聞き、最初のロトの注意を思い出した。ばつの悪そうな顔で、走るのをやめた。ロトはそれを見てため息をついていたが、すぐに何事もなかったかのように歩きだす。程なくして二人の子供も合流し、彼らは最初の隊列に戻った。
道は多少広くなった。ときどきうねってはいるが、どこまで行っても一本道である。自然のものではありえない単純さに、アニーはかえって気味が悪くなった。彼女がむっと、嫌そうな顔をしたとき――
肌が、痺れた。
ちりちりと嫌な感覚が頬をなでていく。アニーは思わず足を止めた。後ろ手フェイが声を上げていたが、耳に入っていなかった。彼女が前を見ると、ロトも立ち止まっている。
前には何の生き物の気配もない。暗闇の中に、ぽつぽつと松明の明りが続いているだけだ。
だが、彼らがしばらく息を殺して立ち止まっていると、暗闇の奥が唐突に光った。
アニーは反射的に、剣に手を伸ばす。しかし今度、前に出たのはロトだった。
「おまえらは下がってろ!」
潜めた声でそういうと、彼は闇を睨みつけた。
直後、ごうっと空気がうなる音がする。視界が、真っ赤になった。思わず目をつぶったアニーは、おそるおそる目を開けて、愕然とした。
「火だ!」
後ろからフェイの引きつった声がする。
そう。奥から突然、火の球が飛んできたのだ。いくつも、いくつも。
アニーははっとして叫んだ。
「ロト!」
けれど、子どもたちの前にいる魔術師は、平然として火球を見ている。黙って、飛んでくる炎を受けとめるかのようにも見えたが――彼は突然、屈みこんで手を床にかざした。途端、茶色い魔方陣が地表に浮かび上がる。魔方陣の光が消えた直後、土が一瞬で錐のように盛り上がった。
錐に勢いよく一突きされた火球は、一瞬で消える。ロトはそれを何度も何度も繰り返し、火球をすべて消してしまった。闇の奥から追撃が来ないことを確認した彼は、ぼこぼこになった地面を踏みしめ、空中で何かを描く仕草をする。今度は水色の光が魔方陣を作り、陣は氷の刃を生み出した。氷は一直線に飛んでいき、やがて、黒に吸い込まれた。
わずかな空隙の後、奥の方から何かの雄叫びが聞こえてくる。
「ひゃっ! な、何!?」
「ふむ……」
悲鳴を上げるアニーの横で、ロトは顎に手を当てて考えていた。彼は少しして、ゆっくりと足を踏み出す。
「ついてこい。喋るなよ」
彼は振り返らず、二人に向かってそう言った。二人は顔を見合わせ、眉間にしわを寄せながらも大人しくついていった。
息を殺して歩きながら、アニーは前を行く青年を見る。何を考えているのかさっぱり分からない。アニーの理解が追いついていないというだけの可能性はあるが、フェイも難しそうな顔をしていた。
せめてもうちょっと説明してくれればいいのに――そう思ってアニーが不貞腐れた瞬間、ロトが足を止めた。
「わっ!」
背中にぶつかりそうになり、立ち止まったアニーはたたらを踏んだ。しかしロトは、そんなことはどうでもいいと言わんばかりの態度で、前を指さす。
「見てみろ。声出すなよ」
ロトに言われてその指を辿ったアニーは、叫びそうになって慌てて口を押さえた。背後から、フェイの息をのむ音も聞こえてくる。
闇の中で、影がうごめいていた。獣の影だ。とがった耳、四足歩行、聞こえてくるうなり声……狼だろうか。だが、普通の狼とは何か違う気がする。目を凝らして見つめていたアニーは、ふと、狼の前足に何かが刺さっているのを見つけた。
それが氷だと分かった直後、狼の影が、地面を踏みしめた。だが、獣が飛びあがる直前に、ロトが宙に魔方陣を描く。氷の矢が飛び出して、まっすぐに飛んだ。矢が狼の影に突き刺さる。前方にいた狼は、凄まじい雄叫びをあげながら崩れ落ちた。
あっという間の出来事だった。アニーも、フェイも唖然とした。ただ一人、ロトだけが平然と歩いていく。彼は、闇の中から二人を呼んだ。
「来い。大丈夫だ、もう襲われねえよ」
アニーは一瞬迷ったが、息をのんで歩きだす。フェイもそっとついてきていた。二人がロトの隣まで行くと、彼はランタンで正面を照らした。眉間を氷に貫かれ、絶命している狼が横たわっていた。
「え……ひょっとしてこれ、さっきの一発?」
アニーは思わず、上ずった声を上げる。ロトはあっさりとうなずいた。
「最初の一発は、こいつがいることを確かめるために撃った。二発目は『狙撃』だ」
「そげきって……あんな真っ暗な中で?」
「狼の目も見えなかったのに、一発で見抜いたんですか!?」
ひたすら驚いているアニーに続いて、青い顔のフェイも訊いた。魔術師の青年はあっけらかんと、「あの影と、動きを見てなんとなく」と答えて立ち上がった。険しい目で洞窟の奥を睨んでいる。
「それよりも、だ。この先は今まで以上に気をつけないとやばいぞ」
怖いくらい真剣な声に、子供たちは驚いた。
「どういうこと?」
「本格的に『力』を使う魔物が出てきたんだ。この先、もっと強い魔物が出てきてもおかしくない」
淡々と語る声につられるようにして、アニーは狼の死体を見下ろした。横たわるその姿はただの狼にしか見えなかったが、口の辺りには、確かに赤い残り火が漂っていたのである。