冒険へ
「ヴェローネル学院六回生の特別課題、ね」
礼服をきちんと着こなした女性が、手にした羊皮紙を揺らした。それからふと、顔を上げる。
「まあ、これなら申請は通るだろう。にしても、君が子供の面倒を見るなんて珍しいじゃないか。ロト」
「……たまたま行き先が一緒だっただけだ」
彼女の視線の先にいた青年、ロトは、素っ気なく言って顔を背ける。それから、ため息をついた。
「早く上に話を通しといてくれ」
「はいはい、分かったよ」
女性はからから笑うと、「少々お待ちください」と言った。恭しい態度に見えるが、にやにやと笑っている。ロトはかぶりを振った。
女性はしばらくして戻ってくると、ロトに一枚の羊皮紙を差しだした。「遺跡立ち入り許可証」と大きな文字で書かれている。ロトは紙を受け取ると、女性を見た。彼女はまた、楽しそうに笑っている。
「んじゃ、頑張っておいでよ。魔術師さん」
「……はいよ」
からかうような調子で女性が言った。ロトは、疲れた顔で答えると、踵を返して歩いていく。さっきまで立っていた窓口から足早に離れた彼は、ふと足を止めた。許可証を見直して、顔を曇らせる。
「俺は、みんなが期待するほどご立派じゃないっつーの」
呟いて、彼は自分の右腕に目をやった。銀色の腕輪が、しゃらしゃらと鈴のような音を立てた。
ロトがヴェローネルの市庁舎で女性と会話していた頃、アニーとフェイは大通りに出ていた。遺跡に入る前に準備がいる。その一環として、彼らは買い出しに来たのだった。
「ええと、買うものは確か……水瓶と、保存食と……薬?」
アニーが歩きながら上を向いて呟く。ロトに指示されたものを、一生懸命思いだそうとしていた。フェイが、彼女の肩を叩く。
「余所見はいけないよ」
言ってから、彼は指を折りながら、友人の言葉を補足する。
「水瓶の中を三個、保存食は干し肉と、イモの粉と野菜を混ぜた携帯食料、薬はすりつぶした薬草のことだね」
フェイがすらすらと言うのを聞いて、アニーは顔をしかめた。そういえばそんな細かいことも言っていた気がする――と、ロトの顔を思い出していた。彼の指示は的確だが、量が多かった。薬にいたっては買う店やその方法まで、事細かに指定されたのだ。そんなわけで、アニーには覚えきれなかったのである。というより、アニーは最初からあてにされていなかった。
「……よくそこまで覚えれるよね」
「記憶力はいい方だから」
アニーが、わざと声を低めてフェイにささやくと、フェイはちょっとだけ得意気に胸を反らした。だがすぐに真面目な顔になって、「まず何から買おうか」と、辺りを見回し始める。アニーも、頬を膨らませながら周囲を見渡した。そして、あっと目を見開く。
「フェイ。あれ、薬屋さん」
「え?」
フェイはアニーの声につられるようにして、反対を見た。そして、「ほんとだ」と嬉しそうに言った。
大通りの中、鮮やかな建物と露店に紛れるようにして、家が建っている。灰色の石壁に緑の三角屋根がのっかっている、小さな家だ。ただの民家と間違えそうだが、「薬屋」と書かれたぼろぼろの看板が、申し訳程度にかかっていた。
「……ロトが言ってたのは、確か『見逃しそうなほど小さい緑の屋根の家』だったよね。フェイ」
「うん」
「……あれで、合ってるよね」
「……うん」
二人は顔を見合わせて、息をのんだ。相当古くて見た目が悪いと聞いていたけれど、想像以上だ。ロトの家に至るまでの道といい、薬屋といい、ずるい大人は暗い場所が好きなのかと、アニーは呆れた。
入りにくい薬屋だ。しかし、立ち止まっていてもどうしようもない。アニーとフェイはうなずきあうと、人混みを避けながら薬屋の前まで行き、慎重に戸を開けた。戸は、ぎい、と大きな音を立てて軋んだ。
一歩踏み出して店の中に入ると、薬草の苦いにおいが鼻をつく。アニーは反射的に眉を寄せた。隣では、フェイが鼻をつまんでいる。
店内は薄暗かった。窓がほとんどないからだろう。壁につるされた行灯の中で火が燃えて、その周囲だけは微かに明るい。壁際には棚が隙間なく並べられ、小瓶や、粉を入れた箱が大量に置いてある。
「いらっしゃい」
奥の方から声が聞こえた。アニーとフェイは、はっとして声の方を見た。四十歳くらいの男が、カウンター越しにこちらを見ている。彼は、相手が子供だと気付いたのか、意外そうな顔をした。
「おや。小さい子が二人で、こんな店に来るとは。珍しいこともあるもんだ」
言って、男は二人をしげしげと眺める。黒い瞳がくるくると動いていた。不気味さを感じながらも、アニーとフェイは男の方に歩み寄った。
「そんで、なんの用だ? 風邪薬でも買いに来たかい?」
男は腕をくんで、ぞんざいに言う。すると、フェイが飛び上がるように驚いた。
「あ! え、ええと、薬草を……あ、いや、ちょっと待ってください」
言葉を出しかけたフェイは、慌てて自分の鞄を探った。中から掌ほどに切り取られた羊皮紙をつまみだすと、それを男の方に差し出す。
「こ、これをください」
「ん?」
男は訝しげな顔をして紙を受け取った。書かれた内容に目を通すと、ははあ、と言ってうなずく。
「なるほどな。……しっかし、どうしたってんだ? ロトの奴、小間使いでも雇ったのか」
「いいえ。私たち、フェルツ遺跡に用事があるので、一緒に行ってもらうんです」
アニーがすまして言うと、男はこれまた意外そうな顔をした。
「へえ。そうかいそうかい。遺跡は危険だからな、あんまり無茶するなよ」
「は、はい」
「じゃ、ちょっと待ってな」
戸惑う二人に素っ気なく言い放つと、男はカウンターの奥の棚をあさる。そして、小さな瓶をいくつか取り出してきた。
「指定の薬は、これだ。傷口に直接塗ってもいいし、包帯にしみこませて使っても良い。金はあるかい?」
アニーが「はい!」と答え、慌てて銀貨を取りだした。銀貨五枚を慎重にカウンターへ置くと、男はそれを数え上げてから、わしづかみにした。
「確かに頂戴した」
「ありがとうございました」
フェイが頭を下げると、男は快活に笑う。
「はっはっは! ロトに伝えといてくれや。あんまり無茶するとこわーい女房に怒られるから、ほどほどにしとけ、ってな!」
アニーとフェイは、目を点にした。びっくりしすぎて言葉が出ない。その間にも、男は笑っていた。
二人は薬屋を出た。風を感じると、ほうっと息を吐く。そして、強張った互いの顔を見た。そのとき――
「だーれが女房だよ、まったく」
横から聞こえてきた声に、アニーとフェイは飛び上がりそうになった。横を見て、薬屋の壁にもたれかかっていた人の名を呼ぶ。
「ロト!」
「おう。遺跡の立入許可が下りたぞ」
二人の声が揃うと、青年は半眼で手を挙げる。それから、勢いをつけて体を起こした。ロトに礼を言ったアニーたちは、彼の方にてとてとと歩み寄る。
そして、アニーがいきなり聞いた。
「ロトって、結婚してたの?」
「してねえ! さっきのは言葉のあやってやつだろ!」
ロトに怒鳴られると、彼女は「なーんだ」と言って明後日の方を見る。フェイは、ほっと胸をなでおろしていた。
「あのおっさん、余計なこと言いやがって」
疲れたように呟いたロトは、しかしすぐに子供たちに向かって声を上げた。
「ほら! さっさと残りの買い物を終わらせるぞ!」
彼らは顔を見合わせると、くすりと笑って青年のあとについていった。
合流した三人はその後、手早く買い物を済ませた。アニーが思っていたより重くならなかったのは、遺跡を歩くことを考慮して物の量を抑えたからだろう。
「必要なものって、これで全部?」
太陽が西へ傾きかけた時分、三人は通りを歩いている。アニーは、隣にいるロトを見上げて問いかけた。すると彼は、ひらひらと手を振る。
「いーや。あとはランタンと、野宿用の鍋とか火打ち石とか。それと『雪月花』を採る可能性もあるから、採掘用の道具がいる。けどまあ、それは俺の家にあるから大丈夫だ」
「……道具って、炭鉱の人が使うようなツルハシ? なんでロトがそんなもの持ってるの?」
アニーが目を瞬かせて言うと、ロトは肩をすくめた。
「魔術に関わる遺跡の調査依頼がときどき来るんだ。そのとき、『雪月花』みたいな鉱石を採集することも珍しくないからな」
アニーは首をかしげる。ロトの言葉は難しくて、言っていることが半分くらい理解できない。
「つまり――お仕事に必要ってこと?」
彼女が一生懸命言いなおすと、青年は「そういうことだな」と素っ気なく言った。それから、二人の子供の名を呼ぶ。
「アニー、フェイ。この荷物を俺の家まで持って帰ったら、おまえらはさっさと学生寮に戻れ。明日の準備をして、とっとと休めよ」
二人は揃ってうなずいた。買い出しをしながら、彼らはロトに遺跡に入るときの心得などを教わっていたのだ。アニーは歩きながら、その一つ一つを必死に思い出していた。
翌日。二人は、夜も明けきらぬうちに寮を出た。寮母には渋い顔をされたが、課題のためならと許可を出してくれた。二人は人通りのない早朝の街を抜け、門の前までやってくる。そこには、一人の男の姿があった。
アニーが、顔を輝かせる。
「あ、ロト!」
名前を呼ばれた青年は、振り向いてにやりと笑った。
「よう、来たな」
それからロトは、じろじろと二人を見る。そして、満足そうにうなずいた。
「荷物も、きちんと全部持ってきているみたいだな」
「当たり前よ!」
アニーが胸を張った。
アニーとフェイの二人は、背中に麻の袋を背負っていた。中には、一人分の水と携帯食料、そして薬とランタン、火打ち金と火打ち石が入っている。彼ら一人分の荷物だった。ロトも同じものを背負っているが、彼は加えて、肩から下げる大きめの箱を持っている。
フェイが、恐る恐る指を差した。
「あの……ロトさん、それ、何が入ってるんですか?」
「ん?」
ロトは、箱を持ち上げる。それから、こともなげに告げた。
「工具と野営に必要なものだよ。簡易の鍋とか、寝袋とかな」
彼は、そんなことはどうでもいいとばかりにかぶりを振ると、子供たちに向かって手招きをした。無言で街の外を示すと、さっさと歩きだしてしまう。
「早く来ないと置いていくぞ」
「あっ!」
「ま、待ってください!」
アニーとフェイは慌てて彼の後を追いかけた。
フェルツ遺跡は、ヴェローネル市の郊外にぽつんと佇んでいる。街を出て、整備された街道を逸れると、手つかずの荒野が広がっている。その真ん中にある、いやに高い建造物こそが、遺跡だった。
「フェルツ遺跡は、元々、山岳地帯の中にある一都市だったそうだ。何百年も前の話だがな」
乾いた風が吹き抜ける大地を、三人の来訪者が進んでいく。
遺跡の外縁を見渡しながら、ロトは淡々とその成り立ちを語った。思いもよらぬ歴史の話に、アニーもフェイも目をむく。
「えっ。じゃあここって、元々山がたくさんあったんですか?」
「そのようだな。なんで山がなくなったのかまでは、興味がないから知らん。地震か、人が切り拓いたか――大方そんなところだろ」
好奇心に目を輝かせるフェイとは対照的に、ロトは素っ気ない。二人のやり取りを聞きながら、アニーは後頭部で手を組んでいた。
「興味がないから知らないって、なんか適当ねー」
彼女がわざと意地悪に言うと、青年はじろりと睨みかえしてきた。
「おまえにだけは言われたくない」
「なんですって!」
アニーは即座に噛みついたが、横からフェイに「アニーはもっと勉強した方がいいよ」と言われ、出鼻をくじかれてしまった。
ぐぬぬ、とうなり声を上げて悔しがるアニーを、ロトは平然と無視している。何事もなかったかのように歩き続け、やがてある一点を指さした。
「ほれ、見えたぞ。あそこから入るんだ」
彼の言葉に誘われ、アニーたちはその指を追う。岩を積み上げて造られた、塔のような建物があった。三人から見て真正面に、いびつな穴があいている。アニーはそれを見てから、ロトを見上げた。
「ねえ、なんでここから入るの? ほかにも、入口みたいなところがたくさんあったのに」
「言われてみれば……」
彼女の隣で、フェイも神妙な表情になる。だが、ロトはあっけらかんとして答えた。
「この入口から入る道が、唯一安全が確認されているからだ。ほかのところから入ったら、何が起こるか分からねえ。仕掛けられた罠が発動するかもしれない、とんでもなく強い魔物に出くわすかもしれない。なんにせよ、ここから入るより何十倍も危険だ」
一口に語ってから、ロトは念を押すように二人を見た。
「分かったか?」
二人の子供は、若干青ざめた顔でこくこくとうなずいた。
それを確認したロトが、満足げに顎を動かした。微かに口元を緩め、改めてアニーろフェイを見つめてくる。
「それじゃあ、行くぞ。せいぜい死なないように頑張れよ」
他人事のように言ったロトに対し、アニーが不敵に笑った。
「ここで死んだら、みんなを見返せないからね」
「見返す気があったんだ……」
今回の騒動の元凶に対し、フェイがぼそりと呟いた。幸か不幸か、その呟きは彼女の耳に届かなかった。だが、魔術師の青年は気付いたようで、少しだけ声を立てて笑う。けれどすぐに笑顔を引っ込めると、彼は先頭に立った。
「さて――フェルツ遺跡、突入だ」
子供二人と、魔術師一人。ちぐはぐな彼らの冒険が、幕を開ける。