便利屋の青年
翌日。二人は少年から貰った地図を頼りに、中心街を歩いていた。朝方の街は主婦や下働きと思われる少年たちの行き来で非常に賑わっている。期待に胸を膨らませ、弾む心を抑えるように無言で歩いていた彼らは、やがて地図の通りに中心街から逸れた。
途端に、騒がしい声が遠ざかっていく。
「うわ……」
フェイが思わずといった様子で声を上げた。それほどまでに、暗く静かな通りだった。
狭い通りに人の姿はなく、代わりにゴミ袋やぼろぼろの木箱が無造作に積まれている。その上を、野良猫がゆったりと歩いていた。
初めて来る薄気味悪い場所。アニーとフェイは顔を見合わせ、ごくりと唾を飲み込む。それから、意を決した様子で、一歩を踏み出した。
通りを歩いている間、あたりは無音だった。二人も黙っていたし、生き物が横切ることもほとんどなかった。だがやがて、突然あたりが明るくなり、視界が開ける。細い路地を抜け、別の道へ出たようだった。
ほっと息を吐いた二人は、地図と実際の道を眺め比べながら西の方へと歩いた。するとやがて、目的の家が目の前に現れる。
青い三角屋根の家。大きくはないが、一人で暮らすには少し広いような印象をアニーは受けていた。特徴は、昨日の少年から聞いたとおりである。
「ここに、ロトさんって人がいるんだね」
少女は無意識のうちに呟いていた。隣にいる幼馴染が、無言でうなずく。それから二人は玄関口まで来た。茶色い板を取りつけただけのような素っ気ない扉には、銀色のドアノブがちょこんとついている。そして、扉の右側には小さな鈴が下がっていた。これが呼び鈴だろう。
「鳴らすよ」
フェイが小声で言う。アニーは「うん」と返した。
フェイは緊張した面持ちで呼び鈴の鎖を掴むと、左右に軽く振る。ちりりん、と涼やかな音が響き渡った。
二人はしばらく待った。長いようで短い沈黙のあと、家の内側からぱたぱたと音が聞こえてくる。それから、唐突に扉が開いた。
「はいはい。こんな朝からどちら様で――」
心地よく響く低音の声とともに、一人の人が顔を出す。きれいな黒髪に青い瞳の青年で、年は二十歳頃だろうか。アニーをして格好いいと思わせる整った顔立ちだが、目つきが悪いのがもったいない。
いそいそと外に出てきた彼は、アニーとフェイを見た後にぴたりと動作を止めてしまった。二人を順繰りに見やったあと、不快そうに目を細める。
「……おいおい。ガキが、辺境の便利屋になんの用だ」
明らかにこちらを馬鹿にしたような態度だ。アニーはむっと唇を尖らせる。一方フェイは、相手の眼力に気圧されて、うっと一歩退いていた。アニーは、代わりにと言わんばかりに顔を前へと突き出す。
「あなたが、ロトさん? 魔術とかに詳しいっていう」
「あ?」
アニーが問うと、青年の眉間のしわが深くなった。彼はがりがりと頭をかいたあと、アニーをにらみつける。
「確かに俺はロトだが。その様子だと、誰かに聞いたみたいだな。――で、なんだ? 魔術師にでもなりたいってのか」
「違うわ」
アニーはきっぱりと言った。その声は、明らかに苛立っていることが分かる響きだ。険悪な雰囲気を漂わせているアニーとロトの間に入るように、それまで呆然と見ていたフェイが、いきなり声を上げる。
「あ、あの! 僕たち、『雪月花』について知りたいんです! それで、あなたが詳しいかもしれないからって、聞いて……」
「『雪月花』? また妙なことを言い出しやがって」
フェイの必死の言葉に被せるようにして、ロトはそう言った。振り絞ったなけなしの勇気があっという間に消えてしまったらしいフェイは、鼻息の荒いアニーの隣でしゅんと黙り込む。ただ、呟くロトの声音はそれまでとは違い、いくらか穏やかなものだった。
アニーはロトに対する怒りがおさまらないでいた。しかし、ロトが先程までより幾分か大人しい瞳で見てくると、むっつりと押し黙る。毒気を抜かれたような気分だった。
やがてロトは、いかにも面倒くさそうにため息をついた。
「俺もそこまで詳しいわけじゃないんだけどな。ま、そこらの本よりは細かい情報もあるだろう。話すだけなら話してやるよ」
投げやりに言った彼はそのあと、「来い」と二人にぞんざいな手招きをする。
アニーとフェイは顔を見合わせて少し迷ったが、結局、この無愛想な青年についてゆくことにした。
便利屋の青年ロトの家は、整理されているのにどこか雑然とした印象を与えるものだった。物がたくさんあるからだろうか、とアニーは思った。掃除された居間を通り抜けた二人は、そのまま家の一番奥の部屋へ通される。
「うわ、本がいっぱい」
アニーは声を上げる。
居間より少し広い部屋には大きな本棚が三つほどあり、小難しそうな本がびっしりと詰まっている。窓の横に置かれた机には、紙やペンが無造作に置いてあった。ロトは呆然とする二人を無視して、椅子に腰かけた。
「ここは書斎みたいなもんだ。いうほど大層でもないがな。持ち込まれた依頼に必要そうな資料とか、魔術に関する本とかを保管している」
「……便利屋だけじゃなくて、魔術の研究もしているんですか?」
ロトを怖がっていたはずのフェイが、身を乗り出してそう訊いた。「研究科」所属の彼にとっては、興味をそそられる言葉だったらしい。アニーはそこまで心をくすぐられなかったが、不良のような青年の研究者っぽい一面に驚いてはいた。
しかしロトはさらりと、二人の予想を上回ることを言う。
「研究、と言えば研究か。もともと魔術師だし」
「――え」
アニーとフェイは、顎が落ちそうになるくらい、大きく口を開いた。
魔術師とは、この世の自然の一部を、見えない力と式を使って書きかえる者を指す。魔術師になるには、素質と血のにじむような努力が必要だ。しかしそれに反して、非常識な力を恐れられる存在でもある。だから、数は極端に少ないのだ。二人がこれほど驚くのも、自然な反応といえた。
だがロトは、二人の反応をいっさい気にすることなく、机の整理をしはじめる。
「それより、『雪月花』の話だろ?」
散らばっていたペンをまとめて円筒形の筆たてに突っ込み、紙を一枚一枚確認しながら重ねてまとめた彼は、その中の一枚を再び取り出して机の真ん中に置く。細かい文字が書かれた大きな紙だ。一番上に大きく、「雪月花調査報告」と手書きの見出しが躍っている。
「あっ! 見てよ、フェイ!」
「……見てるよ。雪月花の調査って書いてある」
探し物の名前を見た子供たちは、目の前の青年の素性に対する驚きを一度忘れ、紙面を食い入るように見た。しかし、どれほど読み進めても内容が頭に入ってこない。ついに二人は顔をしかめた。報告書は小難しい言葉で書かれており、さらには専門用語が連なっている。どれほど頭が良くても、十一歳の子供が理解するのは至難の業だった。
その様子を間近で見ていたロトは、表情を変えずに口を開いた。
「それは、いきなり読んで分かる代物じゃねえよ。おまえたちに読ませるためじゃなく、俺が資料として使うために出したんだ」
彼の言葉に、フェイは項垂れて、アニーは頬を膨らませた。
「そ、そうなんですか……」
「なーんだ」
「――まあいいけどよ。そもそもおまえら、雪月花についてどこまで知ってるんだ?」
ロトに訊かれ、アニーとフェイは同時に首をかしげた。一緒に資料をあさったが、どうにも説明が苦手なアニーは、黙ってフェイにその役目を譲る。フェイは、彼女が何も言わないうちから言うべきことを指折り数えていた。
「ええと。魔力のこもった石であること。磨くと光ること。『雪月花』の名の由来はそのときの見た目から来ていること。あと、とても貴重な石であること……くらいですかね」
「ふむ。まあ、おまえらくらいのガキで、それくらい分かっていれば十分か」
呟くように言ったロトは、机上の資料を一瞥してから、再びアニーたちをじっと見た。
「――『雪月花』が、魔力を持つ石だというのは間違いねえ。それも、膨大な量の魔力だ。だから、駆けだしの魔術師どもはこの石を欲しがる」
「魔術師が? どうして?」
アニーは首をかしげた。確かに魔術師は、「魔力」と呼ばれる見えない力を振るう者だが、それは「自分自身に宿る」力に限る、と教えられてきていたからだ。彼女がそう言うと、ロトはため息をついた。
「基本的には、そうだな。魔術師は自分の魔力を操ることで超常現象を引き起こす。だが、中には力の足りない魔術師もいる。そういう連中は、雪月花のような鉱石や装飾品で、力の底上げをしているんだ」
「……? なんとなく、分かったような」
アニーは首を傾けながら応じた。幼馴染はしきりにうなずいているが、少女にはどうも難しい話だった。もともとそういう、目に見えない世界がアニーは苦手なのだ。しかし、彼女のそんな態度にもロトは怒らなかった。
「ま、今はなんとなくでいい」
素っ気なくそう言うと、また話を続けたのである。
「『雪月花』を欲しがる奴は魔術師以外にもいた。鍛冶師や装飾品の職人、果ては盗賊まで、な。魔力を持つ石だったし、厄除けになるとの噂が立っていた。見た目も良かったから、高値で売れたんだよ。そんなわけで、各地でこの石の採掘量が増えた」
「それで、今では数が少なくなってしまった?」
フェイがそろりと訊き返す。ロトは、小さく顎を動かした。
「もともと希少な石だったしな。調査によれば、雪月花の魔力というのは魔術師の力に反応すると、白い光を放つらしい。それは、魔物みたいな不気味な奴らを追い払う力があるようだ」
へえ、と二人の子供は声を漏らす。
探し物が、貴重な代物であることは間違いないようだ。しかしここでアニーは疑問に思った。なぜハリス先生は、わざわざ自分たちにこの石をとってこさせようとするのだろうか、と。けれど、その疑問を彼女が口に出す前に、フェイがそっと手を挙げた。
「あの、『雪月花』は、どういうところで採れるんですか?」
アニーは驚いてフェイを見たが、すぐに納得した。
雪月花の分布については一度調べている。だが、フェイは希望と期待を捨てきれないのだろう。もしかしたら自分たちの近くにあるのではないかという、淡い期待を。
ロトは少年の言葉を受けて、机の上の紙を裏返した。太い筆で描いたらしい、地図が現れる。
「鉱物だからおもに鉱山で採掘されるのは当然として、だ。このグランドル国内で言うのなら、『雪月花』が残されているとされる鉱山は、西部の数か所。あとは東部の、通称『難攻不落の山脈』。ここはまだ、ほとんど未開拓だな」
青年の言葉に、二人はがっくりと肩を落とした。
「うーん……予想通りというか……」
フェイが呟いた。ロトが言った場所は、すべて学校図書館の本に記されていたのである。
すっかり落胆したアニーとフェイ。二人を見たロトは、首をかしげていた。二人が雪月花を求める理由を知らないのだから、当然だろう。しかし彼は、訝しげな顔のまま、グランドルの地図の中央部に指を置く。
「――あと、かつてはヴェローネル近郊のフェルツ遺跡でも、多少発掘されていたらしい」
アニーは、うつむかせていた顔をばっと上げた。目をまん丸に見開いて、便利屋の青年を見る。
「ほ、本当!?」
うるさがられることも気にせず、彼女は甲高い声を上げた。案の定、ロトは渋い顔をして、両耳を手でふさいでいた。が、すぐに気を取り直して地図を見やる。
「かなり古い情報だから、あてにならないぞ。ただまあ、フェルツ遺跡に鉱脈があるのは間違いない」
アニーとフェイは顔を見合わせる。開かれた互いの目を見て、息をのんだ。
どれだけ古い情報だとしても、もたらされたものは、希望だった。フェルツ遺跡はヴェローネルのはずれにある大きな遺跡だ。市を出て二十分程歩けば着く距離にある。そこなら、一週間以内に『雪月花』を探しだすこともできるかもしれない。
二人は、わずかな可能性に賭けることにした。アニーが、まっさきに口を開いた。
「ねえ、フェイ。行ってみようよ」
「……うん」
いつもなら制止をするフェイも、このときは真剣な顔でうなずいた。アニーの頬が紅潮し、口元は自然と笑んでいた。
高揚する子供たち。しかし、彼らの会話に水を差す者がいた。ロトである。彼は二人の会話を聞くと、ぎょっとしたように目をみはった。
「っておい、ちょっと待て! おまえらまさか、二人だけでフェルツ遺跡に行くつもりか!」
叩きつけるような怒鳴り声に、アニーもフェイも驚いて振り向く。涙目になっているフェイを置いて、アニーが頭を傾けた。
「うん。大丈夫だよ、こう見えても私たち、ヴェローネル学院の生徒だし」
「ああ? そう言う問題じゃねえよ。遺跡を舐めるな」
ロトは苛立たしげに言うと、舌打ちをする。それから、椅子に座りなおして二人を睨んだ。
「だいたい、なんでそんな必死になって、『雪月花』のことを探ってるんだ?」
アニーはうっと顔をしかめる。今、もっとも聞かれたくないことだった。器物損壊の罰だと知れば、ロトはまた馬鹿にするに決まっている。それだけは、彼女としては御免だった。しかし、少女がうんうんうなっている間に、気を取り直した少年が答えてしまった。
「え、ええとですね……。実は、学院の課題でして」
「ちょ、ちょっとフェイ!」
アニーが慌てて声を上げるが、フェイは無視して話してしまった。ロトは机に頬杖をつきながら聞いていた。元々そんなに複雑な話でもないので、すぐに話し終わる。
「というわけで、一週間以内に『雪月花』を探さないといけないんです」
フェイは、そう締めくくって息を吐いた。アニーはぎろりと彼を睨んだが、彼は何も言わなかった。怯えるような顔はしていたが。
一方ロトはというと、不機嫌そうに目を細めている。
「なるほどねえ」
小さな声で呟くと、彼は蔑むように子供たちを見た。それから、ボソリと言う。
「探す必要、あんのか?」
「――はい?」
アニーとフェイは同時に訊き返した。するとロトは、体を起こして人差し指を突きつけてくる。
「『雪月花』、探す必要あんのかよ。大人しく退学なり停学なり、処分を受ければいいんじゃねえの?」
思いもよらぬ言葉に、二人は目を点にする。
「なっ……!」
「だって、やる気無いんだろ。準備室に侵入するなんて馬鹿をやるってことは、そういうことだ。真面目に勉強する気がないんなら、高い学費を払ってまでヴェローネル学院に居続ける理由はない。違うか?」
「うぐっ。正しいけど、正しいけど……!」
ロトの物言いに、アニーは今まで鎮まっていた怒りが、再び湧き出してくるのを感じていた。胸の奥から、ごぽり、と不快な熱が上ってくる。彼女は青年の言葉を反芻すると、さっと顔を紅潮させた。
しかし、アニーが口を開く前に、フェイが前に出た。珍しく険しい顔をしている。
「その言い方はあんまりです! アニーは、決して、やる気がないわけじゃないです」
「へえ?」
いくらか冷静な抗議に、ロトが目を細めた。面白がっているような風情だ。アニーはそれが気に入らなかった。
「じゃあ、なんだっていうんだ? 小僧」
「アニーはただ、勉強が分からなくて困ってるから、暴走しちゃうだけです。僕もときどき教えるんですけど、それでも分かんないみたいで。その証拠に……」
「証拠に?」
「体育と芸術科目と剣の授業だけは、まじめに受けています」
「――って! それ、フォローになってない! なってないからね!?」
かばっているのかさらに貶めているのか分からない台詞を淡々と並べたてるフェイに、アニーは思いっきり抗議した。すると、フェイはきょとんとして彼女の方を見る。
「だって、事実じゃないか」
「事実でも、出会ったばかりの人に言うことじゃないでしょー!?」
「かばってあげてるのに」
「かばってるとは思えない!」
ぎゃあぎゃあと言い合う二人。放っておけば、いつまでも言い争いをしていそうだった。しかし、二人の言い合いは途中でぴたりと止まる。聞き慣れない笑い声が聞こえたからだ。二人が目を白黒させている横で、ロトが腹を抱えて笑っていた。
「ぶっ――ははは! おまえら、変な奴だな!」
その言葉に反応したのはフェイだった。余程衝撃を受けたらしく、ちょっと青ざめている。
「へっ、変!?」
頭を抱えているフェイの横で、アニーはふんっと鼻を鳴らした。
「何よ! 人のことやる気がないなんて言ったあんたに言われたくないわ!」
「分かった分かった。悪かったよ、試すようなことして」
「試す?」とアニーは問いかえしたが、ロトは何も言わなかった。フェイはその意味にすぐ気付いたが、口に出すようなことはしなかった。ただ、ふっと嬉しそうに微笑んだだけだ。
ロトが気を取り直したように二人を見る。先程よりは優しい目だった。
「どうしても『雪月花』を探しに行きたいってんなら、好きにすりゃいい。俺には関係ないし。ただ」
言葉を切ったロトは、再び子供たちに指を突きつける。
「おまえら、きちんと準備ができるのか?」
「準備……」
フェイが強張った顔で繰り返すと、ロトは淡々と続ける。
「遺跡に行くにはどんな服装がふさわしいか知ってるか? 装備は? 明りはどのくらいいる? 遺跡に入って一日で戻れる保証なんてないから、食料や水だって十分に持っていく必要がある。それから怪我をしたときの対処法に、正しい野営の仕方、安全な道の選び方――」
青年の口からぽんぽんと飛びだす言の葉を、アニーとフェイは唖然として聞いていた。考えもしなかったことを次々と聞かれ、頭の中が混乱してゆく。だんだん声さえ出なくなっていくのをアニーは感じていた。
ロトはとどめとばかりに、声量を上げて一言をぶつけてきた。
「そもそも、遺跡に入るには、市からの立ち入り許可を得なきゃならない。申請の仕方なんて知らないだろ」
アニーとフェイはまた顔を見合わせた。フェイはロトに指摘された事実を知っていたらしく、「あ……」と消え入りそうな声を漏らしている。アニーは首をかしげることしかできなかった。
無言の時がしばし流れ、ロトのため息が気まずい沈黙を終わらせた。彼は再び呆れた様子で二人を睨むと、「話にならねえ」と呟き、鼻を鳴らす。
アニーはフェイと顔を寄せ合い、こそこそと話し始めた。
「ど、どうしたらいいかな?」
「うーん……。食べ物や水がいることとか、明りのことは考えてたけど……さすがに遺跡に入る許可を貰うのは、ぼくたちじゃ無理だよ」
「学院の課題で通せない?」
「わ、わからない……」
フェイは、しゅんとうつむいてしまった。アニーも眉間にしわを寄せて考え込む。一番手っ取り早い方法は、目の前の便利屋に頼んで協力してもらうことだ。しかし、彼の様子を見る限り、積極的な協力は望めない。
本当にどうしよう、と困り果てていたとき。唐突に、ロトが目を見開いた。まどろんでいたのが、急に目覚めたような感じだった。次いでロトは渋い顔をすると、「あー……」と言いながら、机の引き出しを開けた。一枚の獣皮紙を取り出す。
「いやなこと思い出した」
呟きながら、彼はしばらく紙とにらみ合いをしていた。だが、いきなり紙を机に叩きつけると、立ち上がった。
「おい、おまえら!」
部屋中に響く大声。難しい顔で沈黙していたアニーとフェイは、飛び上がるようにしてロトを見た。アニーは、ばくばくとうるさい心臓の音を聞きながら、青年を睨みつける。
「な、何よ!」
少女の非難を受けて、しかしロトは堂々と二人を見下ろしていた。やがて、ぼそっと言う。
「――『雪月花』の探索、俺がついていってやってもいい」
子供たちは揃って目を瞬いた。そして数秒後、声を揃えて「ええ!?」と叫ぶ。意味が分からない、と憤慨するアニーの隣で、フェイが困惑した様子で口を開いた。
「ど、どうしたんですか? いきなり。さっきまで関係ないって仰ってたのに」
「ああそうだよ! 協力する気なんざ、これっぽっちも無かったっつーの!」
がしがしと、乱暴に頭をかきながら返したロト。彼はそれから、再び机の上の獣皮紙をつまみ上げた。
「だが、状況が変わった。俺もフェルツ遺跡に用事があったことを思い出したんだ。市からの依頼があってな……。けど、向こうから依頼したくせに、面倒な手続きをしなきゃ遺跡に入れないってんで、長いこと依頼を無視してたんだ」
「うっわ。それ、ひどいんじゃない?」
「やかましい。こんな優先度の低い依頼に長々と構っていられるか」
容赦なく批判するアニーに、ロトはぴしゃりと返した。だが、すぐににやりと笑う。
「けど、おまえらが一緒だっていうんなら話は別だ。『ヴェローネル学院の課題』となれば、多少、必要な手続きの量が減るだろう。それに経費がいくらか降りる可能性がある」
「経費?」
「つまり、金。だから俺にも損はない。おまえらもおまえらで、自分たちに足りない部分を補うことができる。いい話だろう」
一口に言いきったロトは、アニーとフェイを順繰りに見た。それから、ゆっくりと問いかける。
「どうする?」
こいつ、ずるい。と、青年の顔を見ながらアニーは思っていた。大人といえば、両親と、近所のおじさんやおばさんと、学校の先生くらいしか知らなかった。そんな彼女にとってロトは、初めて見る「卑怯な大人」だった。だが、「卑怯」だからこそ、したたかに世を渡っていけるのだということも、アニーは何となく理解していた。
フェイを見る。彼は、真剣な顔をしていた。アニーを見て、何かを求めるような目をする。
アニーも、フェイも分かっていた。――自分たちには、断る理由がない。
アニーが幼馴染に向かって首を縦に振ると、彼はロトを見て口を開いた。
「お願いしても、いいですか? ロトさん」
少しの間、沈黙があった。その後に答が返る。
「分かった。ただし、自分の身は自分で守れよ」
ロトは言う。彼の表情も、声も、おどけたり馬鹿にしたりする響はない。ただ真面目に、厳かに告げてきた。アニーとフェイは、吸い寄せられるようにうなずいた。
二人の反応を見ると、ロトはぱん、と手を打ち鳴らす。
「じゃ、まずは買い出しからだな。けどその前に、おまえらの名前を聞いてなかった」
おどけたようなロトのそぶりに、アニーとフェイはきょとんとする。それから同時に噴き出した。今まで自分たちは名前すら名乗らず、こうして会話していたのだ、と気付いたのだった。ロトの名は聞いていたが、あれでは自己紹介とは言わないだろう。
二人の子供は姿勢を正し、順番に名を述べた。
「ヴェローネル学院六回生、アニー・ロズヴェルトです」
「同じくフェイ・グリュースターです。よろしくお願いします」
行儀よくフェイが頭を下げると、ロトは少しだけ目を細めた。
「よろしく。俺はロト。遠く北の大陸出身の魔術師で、便利屋だ」
青年の名乗りは優しく、それでいて何故か冷たい。
アニーはいつの間にか穏やかになってしまった彼を見て、表情に困ってしまったのである。