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ぼくらの冒険譚  作者: 蒼井七海
後日譚
21/21

ことば

「だーめ! 分かんない!」

 アニーが根を上げたのは、ロトの家に宿題を持ちこんでから、三十分後のことだった。両腕を高く突き上げ、駄々っ子のようにのけ反る彼女を見て、隣にいたフェイが目を瞬く。さらにその向かいで、ロトがため息をついた。

「おまえなあ。早すぎるぞ」

「だって! こんな複雑なシェルバ語の文章なんて、読めないもん!」

 そう言ってアニーは、目の前の教科書をにらみつけた。


 シェルバ語というのは、主にこの中央大陸の北部から北大陸にかけて使われる言語のことだ。発祥は北大陸であるため、独特の発音のものが多い。

 生まれてこの方、王国の公用語・グランドル語ばかりを使ってきたアニーにとってシェルバ語は強敵だった。


 呆れたようにアニーの言い訳を聞いていたロトが、ひょいと教科書をのぞきこむ。しばらく仏頂面で文章を追った後、彼は素っ気なく言った。

「確かに、これを十一歳の子どもに読めというのは、難しいかもな」

「でしょっ!?」

「――ま、諦めろ」

「なんでそうなるのよ!」

 冷たい態度の青年に、アニーはかみついた。だがかみつかれた当人はどこ吹く風。すぐに、自分の手元の本に視線を移す。アニーは低くうなりながらも、諦めて机に突っ伏した。

 ロトは、基本的に自分から世話を焼こうとはしない。勉強を見てはくれるが、それは「ここが分からない」というのをアニーたちから言ったときだけだ。そうでなければ、とりあえず勉強する場所だけ提供して自分の時間にふけっている。

 アニーは、それが悪いとは思わない。いいとも思わない。ただ、「それがロトのやり方なんだ」と判断しているだけだ。

――だが、この日は珍しく、少ししてロトが本を閉じた。

「しょーがねえな」

 小さな声でそう言うと、彼は本を脇にどけた。突然のことに、二人の子供の視線が釘付けになる。

「ロトさん?」

「アニーがシェルバ語に悩まされてるみたいなんで、北の人間として、ここはひとついいもんを聴かせてやろう」

「……いいもん?」

 アニーがロトの発言を繰り返すと、彼はおもむろに立ち上がった。小さく息を吸って――


 歌が、響いた。


 異国語で紡がれる旋律は、ゆるやかだ。哀愁漂う歌に、二人の子どもは言葉をなくして聞き入る。

 アニーには何を言っているのかほとんど分からなかったが、恐らく民謡か何かだろうとは思った。シェルバ語の、少し堅くて力強い音が、自然と耳に入ってくる。

 きれいな響きだな、と思った。

 少しして、歌は静かに終わった。辺りに心地よい静寂が満ちる。

 ふうっと大きく息を吐いたロトは、アニーの方に向き直った。

「さて、アニー。今のを聴いてどう感じた?」

「えっ?」

 いきなり質問されて、アニーは目を白黒させる。ええっと、と言葉に詰まってから、必死になって自分が感じたことを説明した。なんともいえぬ心地を、どう説明するか。迷ったアニーは、結局、一言だけ絞り出した。

「なんか……強くて、聞きとりやすいなーって」

 彼女が言うとロトはうなずいた。すぐには何も言わず、椅子に座る。それから、二人の子供を曇りのない眼差しで見つめた。

「うん。まずはその感覚が大事だ。いきなり難しい文法だなんだといっても、言葉は身につきゃしねえ」

「は、はあ」

 アニーとフェイは顔を見合わせる。だがすぐに前へ向き直った。――突然学校の先生みたいになった、と思いながらロトの「講義」を聞き続ける。

「これは俺の知り合いの受け売りなんだが……言葉を学ぶときは、まずは聞く耳を鍛えるのが大事なんだと。こちらがなんとなく異国語を喋れても、相手が何を言ってるのか分からないんじゃ話にならないんで」

「な、なるほど。言われてみればそうかもしれない」

 フェイが感心したように何度もうなずく。その横で、アニーはふと思い出した。

 そういえば、彼は北大陸の出身だったな、と。

 アニーは興味本位でロトに訊いた。

「……ロトもそうやって、グランドル語を覚えたの?」

「ま、そうだな」

 ロトはあっさりうなずいた。それから、にやりと笑う。

「ちなみに俺の先生は、さっきの話をしてくれた『知り合い』だったぞ。ありゃ、厳しい授業だったねえ」

 そう語る彼の目には、懐かしさと少しの恐れが垣間見える。

 青年のそのような表情を初めて見た少年少女は、仲良く首をかしげるのだった。


――のちに彼らは、ロトの語った『知り合い』と共同戦線を張ることになる。

 だがもちろん、このときは誰も知らない未来のことだ。


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