見つけたもの
アニーたちは少し急いで、来た道を戻っていく。途中、ロトがしゃがみこんで何かを書きとったり、魔力を探ったりしている様子がうかがえた。おそらく、彼の仕事をしているのだろう、とアニーは思っていた。
最近の魔物の大量発生の原因が、怒り狂った守護獣の力のせいだった。それは間違いない。けれどそれを証明するには証拠となるデータが必要である。彼は今、そのデータをとっているのだ。
淡々と進む道のりは静かだ。魔物がいなくなったわけではないが、みな大人しく息を潜めている。襲いかかってくる気配さえない。これが本来の遺跡の姿なのだと、三人はしみじみと実感した。
一度の野営を挟んで進んだ。そして彼らは、遺跡の外に出る。昇ったばかりの、洗いたての太陽が輝いているのを見た。
「うわあ、まぶしい!」
アニーは思わず歓声を上げる。暗いところから急に明るいところへ出ると失明の恐れがある、というわけで用心しながら出たものの、やはり、日の光は目に染みた。
嬉しそうにはしゃぐアニーの横では、ロトが伸びをしている。彼は思いっきり深呼吸をした。
「やっぱり、外はいいなー。しばらく遺跡には入らねえ」
大胆にもきっぱりと言った青年は、目を細めている二人を見た。
「さて、これでお互いの仕事は終わったな。お疲れさん」
アニーとフェイは、今気付いた、というような顔で彼を見返す。それから、フェイが慌てて頭を下げた。
「うん。本当にありがとう、ロトさん」
丁寧にお辞儀をする彼は、相変わらず礼儀正しい。ロトも、おどけながらだが、一応返礼をしている。二人のやり取りを見てうろたえたアニーも、フェイがすっと身を引くと、少しだけ頭を下げた。
「私も……ありがとう、ロト。あと、この間はごめんなさい。心配してくれたのに、嫌な態度とっちゃって」
それは、アニーがずっと気にし続けていたことだ。フェイと話をしてから常に、すべてが終わったらきちんと言おう、と思い続けていたのである。
しかし、アニーの決意とは裏腹に、ロトの態度はあっさりとしていた。
「気にしてねえよ。おまえにも、いろいろと思うところがあったんだろう。あのときは、俺も言いすぎた」
悪かったな。そう言ってから、彼は微笑んだ。今まで滅多に見なかった彼の笑顔に、アニーは唖然とする。
しかし、彼女が驚きから立ち直る前に、ロトは話題を変えていた。
「それよりおまえら、特別課題とやらを頑張れよ。雪月花とれないのは仕方ないが、言い訳もできねえようじゃ目も当てられないからな」
子どもたちの顔が引きつる。忘れかかっていた事実を指摘されて、言葉に詰まった。
ロトが声を立てて笑った。二人の表情がよほどおもしろいことになっていたのだろう。アニーが腹だちと恥ずかしさでむっと唇を尖らせると、彼はひらひら手を振った。
「まあ、今の二人なら不合格にされることはないだろうよ」
意外な言葉を聞いて、アニーとフェイは顔を見合わせた。どういうこと? と揃って訊いたが、ロトは答えをくれない。ただ、少しだけ嬉しそうに頬を緩めて、歩きだしたのだった。
その日、ロトとは彼の家の前で別れた。もう一度、心からのお礼をして。そのとき、意外なことに、彼はこう言ったのだ。
「俺はこうして便利屋をやってるが、客は多くなくてね。結構暇なんだ。だからその……たまになら、来てもいいぞ。おまえらの勉強くらいは見てやる」
二人とも呆気にとられてから、頬を染めて喜んだ。
――翌日以降、二人は時間の許す限り『雪月花』について調べた。しかし、最初の調査とロトから聞いた話以上の情報は手に入らない。石が採掘される場所も、やはりヴェローネルから四日も五日もかかるようなところばかりだ。
そうして何も得られないまま、期限の日はやってきた。
二人は、ハリス先生に、相談室へと呼び出される。アニーが木剣を折った日とまったく同じように。
相談室は変わらず殺風景だ。四角い机と、数脚の椅子しかない。アニーとフェイは、ハリスと向かい合って座っている。重い沈黙のあと、ハリスが口火を切った。
「それじゃあ、二人とも。課題の成果を聴かせてもらえるかな?」
アニーとフェイは同時に息をのむ。そのあと、顔を見合わせた。少年の茶色の瞳が、心配そうに少女を見る。しかし彼女は、力強くうなずいた。ハリスの方に向き直り、落ち着いた態度で口を開く。
「ごめんなさい、先生。『雪月花』をとってくることは、できませんでした」
アニーの唇から漏れた声は、自分で思っていたよりも静かだった。声に驚いたのか、内容に驚いたのか、ハリスの目が怪訝そうに細められる。
彼はしばらく何も言わなかった。けれどやがて、両手を机の上で組んで、厳しい表情で二人を見据える。
「どういうことか、説明してくれ」
二人はこわばった顔でうなずいた。やはり、アニーが最初に語り始める。
「はい。先生に課題を言い渡されたあと、私たちは学校図書館で『雪月花』について調べました。それで、『雪月花』が鉱石、それも魔力を持った石だということを知りました」
微かに震えながら息を吸うアニー。彼女に代わって、今度はフェイが続きを引きとった。
「『雪月花』が採掘される場所も調べました。しかし、本に載っている場所は全部、この街から何日もかけて行かなければいけないような鉱山ばかりで、とても一週間以内に課題をこなせない、と思ったんです。困ったぼくたちは、雪月花に詳しそうな人を探しました。そうしたら――ひとりの男の人と出会ったんです」
二人の脳裏に、青年の顔が浮かぶ。便利屋で、魔術師だという彼。顔は怖いし口は悪いし、きわめつけに怒りっぽい。けれど、本当はとても優しい人だった。見返りを求めることなく、自分が知っていることを分かりやすく、見知らぬ子どもに教えてくれた。
アニーの心にわだかまっていた緊張感が、薄くなる。彼女は改めて、続きを語った。
「その人から『雪月花』のことを聞くうちに、昔はフェルツ遺跡で石がとれていたことを知りました。――でも、遺跡に入るなんて、私たちだけではできそうもなかった。だから、私たちは、その人に協力を求めたんです。その人は、いろんなことを教えてくれました。魔物のことや、遺跡のこと。研究している、魔術のこと」
それから二人は、順番に、遺跡での出来事を語った。
初めての実戦。悲鳴と血が飛び交い、自分の手で命を奪い、目の前の無残な光景に震えた。フェルツ遺跡の歴史にも触れ、したことのなかった野営もした。協力してくれていた青年としょっちゅう言い合いをして、感情的になってしまったこともあった。
そして、二人だけでは絶対に勝てないような、強大な存在と戦った。自分の未熟なところも、自分が気付かなかった「できること」にも気付いた。
――おまえは俺に合わせろ。俺は、そんなおまえに合わせてやる。
戦いの中、アニーの心を揺さぶった言葉がよみがえる。
このとき彼女は、初めて「大人」の姿を真正面から見たのだ。
「それで、雪月花を探したんですけど、魔力も鉱脈ももうなくて。それに……守護獣が崩れて消えてしまったので、本当に遺跡にはないんだと思います」
フェイが悔しそうに言う。アニーが後を引きとった。
「遺跡から出た後も、何か新しい情報がないか調べました。けど、何も出てきませんでした。だから……雪月花はとってこれませんでした」
すみません、と言って少女が頭を下げる。フェイもそれにならう。
ハリスは押し黙っていた。うかがうような目で、二人を順繰りに見る。それから、おもくろに口を開いた。
「遺跡での石探しが終わった今……君たちは、何を感じているんだい? 聞かせてもらいたいな」
優しい声で彼は言う。アニーとフェイはきょとんとしたが、やがて、フェイの方から言い始めた。顎に手を当てて考え込みながら、慎重に言葉を選ぶ。
「ぼくは……自分のいいところにも、悪いところにも気付きました。『研究科』生で運動もできないから、戦いの中では全然役に立たなくて。その上、最初は震えてることしかできなかったんです。けど、守護獣との戦いで思ったんです」
そこで一度黙った彼は、少し、息を吸い込んだ。
「前で一緒に戦うことはできないけど、後ろから敵を見ることで、戦ってる人すら見つけられないような弱点を見つけることができた。それは、戦っていないからこそできることなんだろうって。それが、『研究科』生であるぼくができることなんだろう、って。
だからこれから、もっともっと勉強していきたいです。もしまた、魔物に出会っても、怖がらずに、みんなを支えられるように」
フェイは言ってから、照れくさそうにうつむく。ハリスもふっと微笑んだ。だが、その笑みはすぐに消え、肝心のアニーの方へと目が向いた。
「君はどうかな? アニー・ロズヴェルト」
冷たい声で問いかけられる。
アニーは一瞬、ひるんだ。だが、目を少し宙に向けると、言葉を探し始める。そうして、ぽつりと言った。
「初めて、だったんです。先生」
ハリスは無言だ。アニーは、目を細めて続ける。
「初めてだったんですよ。『暴れん坊』の私を、ほかの人に受け入れてもらったの。
最初はもちろん、叱られました。『力だけでどうにかしようとするな』って。それで私、カッとなって怒っちゃったんです。こいつも、ほかの大人みたいに、私を馬鹿にするのか! って感じで」
アニーは前を向いた。話を聞いているハリスが、目を見開いている。そういえば、「暴れん坊」と呼ばれていることをどう思っているのか、フェイ以外の人に話したことがなかったと、少女は思い出した。
「でもその人は、ロトは、そうじゃなかった。まだ見習い剣士なのに、焦ってひとりで突っ込んじゃう私を心配してくれてただけだったんです。一人でやけになるんじゃなくて、ちゃんと戦えって、言われた気がしました」
そうして初めて気付いた。今まで、ヴェローネル学院ですら怒られていた本当の理由を。本当に大事なのは、ただ「手加減する」「おさえこむ」のではなく、「周りを見て、自分が力を振るうべきときに力を振るう」ことだったのだ。
「私、目標ができました」
アニーは言ってから、思いっきり笑う。
「自分の本当の戦い方を考えて、みんなにあっと言わせます!『暴れん坊』なんて二度と言われないために」
そしていつかは――彼のように、誰かの背中を押せる人になりたい。
本当はそう思っていたが、アニーは声に出さない。だがハリスは、彼女の言葉の裏に隠された本音を見つけて、笑みを浮かべていた。
「なるほどね」
彼は、いつもの優しいハリス先生だ。たれ目が二人を順番にながめる。
そして、教師は居住まいを正した。アニーとフェイもつられて、「きをつけ」をする。
「アニー・ロズヴェルト。フェイ・グリュースター。今回の課題だが……」
「はい」
張りつめた声で切り出された内容に、二人はうなずく。
もうここまでくれば、なんとでも言え。彼らはそう思っていた。アニーなどは最悪、停学や退学を覚悟していたのである。
ハリスは、告げた。
「二人とも、合格だ」
アニーとフェイは、同時に目をぱちくりさせた。それを見て、ハリスが相好を崩す。
「合格」の意味がしばらく分からなかった。そして、意味が呑み込めてくると、今度はフェイが身を乗り出す。
「え、先生、いいんですか? ぼくたち、言われたことをこなせなかったんですよ?」
わざわざ自分を追い込むような発言をしたフェイに、先生はにこにこして答えた。
「ああ、それはもちろん。最初から、本当に『雪月花』をとってこられるなんて思ってなかったから。一週間以内に行って帰ってこれる場所に石がないことは知ってたよ。まさか、フェルツ遺跡に行きあたるとは思わなかったけどねえ」
「――――はい?」
間抜けな二重奏が響く。
そして、間を置いて、彼らは思いっきり渋い顔をした。
フェイはもちろんのこと、さすがのアニーも、そこまで言われれば気付かないはずがない。ハリスをにらみつけながら、彼女は確認した。
「つまり。どう頑張ってもできないことをさせようとしていた、ってことですか。はじめから」
「その通り」
確認しなければ良かった、と後悔した。
二人の子供は、仲良く机に突っ伏す。フェイが泣きそうな声を上げた。実際、涙目である。
「……どうして、そんなことを……」
「学校の備品を壊してくれたんだからね。これくらいの痛い目は見てもらわないと、と思ったんだ」
「うえー」
アニーが情けないうめき声を上げる。もはや、最初の緊張感は台無しだった。
ハリスは笑顔を崩さずに、二人に言った。
「いやあ。けど、先生は嬉しいぞ。君たち二人とも、大切なことをちゃんと学んでくれたみたいだからね」
そう言われても、フェイは泣きそうなままだったが、アニーは悪童のように口の端をつり上げた。
「先生が『六回生はどうのこうの』って言ってた意味も、ちょっとだけ分かりました。ちょっとだけ、ですけどね!」
アニーとしては意趣返しで、全力の皮肉をこめたつもりである。
だがハリスは「立派になったねえ」と言うだけで、欠片も動じないのだった。
お仕置きのような特別課題だったが、一応その名の通り、「課題」であったらしい。合格を言い渡された二人は単位をもらうことができた。それは、これまで出ていなかった授業のぶんを補うには十分なもので、特にフェイが胸をなでおろしていた。
相談室を出た二人は、久し振りに廊下を歩く。単位をもらって機嫌を直したフェイが、悪戯っぽい目でアニーを見た。
「さて、アニーさん? これに懲りたら、少しは真面目にやってよね」
「……わ、分かったわよ」
アニーはぶすっとして返した。それから、大きな窓の外を見やる。緑の葉っぱをつけた木が、風に揺られていた。
「多分、大丈夫。勉強は全然分かんないけど……前ほど苦しくないから」
「そっか」
フェイは、ふっと微笑んだ。安心したようにも見える。
昔から、暴力的なところを抑えきれず、周りから遠巻きにされていた少女。彼女を唯一そばで見続けたのが、フェイだったのだ。その思いをアニーが察することはまだないが、彼が唯一の友人であったことは、彼女も分かっている。
だから彼女は、今までのお返しのつもりで、ひまわりのように笑うのだ。
「それに、むかついたらロトのところに行って吐き出せばいいもんね!」
「……さすがに、ロトさん困るんじゃないかなあ」
元気よく言ったアニーは、フェイに指摘されて、心の底から嫌な顔をする魔術師を思い浮かべた。だが彼女は、「へーきへーき!」と開き直ってしまったのである。
開け放たれた窓から、暖かい風が流れ込む。髪の毛がなびくのを感じながら、二人はぽつりと、声をこぼした。
「ねえ、フェイ」
「なあに?」
「さっきは言わなかったけど、私、もうひとつ目標ができたんだ」
「へえー。どんな目標なの?」
「あのね――――」
照れくさそうに言葉を紡ぐ声は、穏やかな風にさらわれていった。
見えていなかった自分が見えた。
知らなかった世界を知った。
その果てに少女が出した答えは、ただ、ひとりの青年に手向けられる。




