素直になれない
物ごころついたときから、彼女は『暴れん坊』と言われていた。
実際は、ちょっと正義感が強くて短気だったのだ。ただしそれだけではなく、女の子にしては力が強すぎて――たちの悪いことに、加減ができなかった。
一緒に遊んでいて、ふとしたことでけんかになった友達。年下をいじめていたガキ大将。いったい何人を泣かせたか知れない。時には流血沙汰にまで発展した。彼女も、相手の子どもも気が高ぶっており、無理矢理大人に止められたものだ。
そんな調子だったから、彼女にはほとんど友達がいなかった。いつも一緒にいて平気だったのは、幼馴染の男の子だけ。なぜか彼にだけは、何を言われても熱くならなかったのである。おかげで、大けがをさせることもなく、何年も友達でいることができていた。
彼女が四歳になる頃には、周囲の大人の目が厳しくなっていた。近所の人に陰口をたたかれ、父や母も、彼女を厳しくしかりつけることが多くなっていた。そして彼女自身もまた――自分はおかしいんだ、と悩むようになっていた。
そんな折に知ったのが、「ヴェローネル学院」だった。戦士を育成する学科もある大きな学院だ。ここならば、彼女も力の扱い方を学びながら、他の人と仲良くしていけるかもしれない。大人たちはそう思ったらしい。彼女も子供心にそう思った。ちょうど、幼馴染が入学を目指している場所でもある。
彼女は死に物狂いで勉強して、ぎりぎりの点数で戦士科に合格した。六歳で、ヴェローネル学院に入る。
しかし、思うようにはいかなかった。
入学から何年かして実技の授業が始まる。彼女は、剣術の才能を開花させた。だが、あるときの模擬試合でやはり加減ができず、相手に大けがを負わせてしまったのだ。
彼女は先生に叱りつけられた。「相手を気遣いなさい」と言われた。「これからは手加減しなさい」とも言われた。けれど「手加減」のコツを教えてもらえたわけではなかった。
彼女はどうしていいか分からなくなった。
次第に、学院でまで『暴れん坊』と呼ばれるようになってしまう。彼女は悔しかった。
「これじゃあまるで、わたしには暴力しかないみたいじゃない」
悔しくなって、悲しくなった彼女は、自分にあるのは暴力だけではないことを見せてやろうと、いろいろ試してみた。けれど勉強ができない彼女は、次第に悪戯に走るようになり――
『暴れん坊』を通り越して、『問題児』と呼ばれるようになってしまったのである。
※
アニーは、横穴の奥で膝を抱えてうずくまっていた。伏せられた目が赤い。ついさっきまで、声を殺して泣いていたのだ。
横穴は、ロトの推測通り行き止まりだったが、思ったよりは深かった。もう、フェイたちの声も聞こえない。ランタンの明かりも見えない。薄暗がりの中、どこからか水の滴り落ちる音だけが、切なく響いている。
少し、怖くなった。
アニーは無言で、膝に顔をうずめた。
そんなとき。背後から、足音が聞こえた。しかしアニーは動かなかった。意地を張って、足に力を入れる。足音はアニーのすぐ後ろまで来て止まった。しばらくは沈黙が落ちる。
やがて、足音の主が少女の名前を呼んだ。
「アニー」
優しい声。小さいときから、聞き続けてきた声だ。アニーは顔を上げて、振り返った。
「……フェイ」
視線の先には幼馴染の顔。暗くてよく見えないが、困ったように眉を下げている。彼はアニーと目が合うと、苦笑した。それから不器用な動作で、アニーの隣に腰を下ろす。
「何も、あんなに怒ることないじゃないか」
責めるというよりは、ただ呆れたという感じでフェイが言う。アニーは、ぷいっとそっぽを向いた。おまえまでそんなことを言うのか、と無言で語っている。
少し間をあけてから、フェイが続けた。いつもはアニーに拒絶された時点で怯むのに、珍しいことだった。
「アニーがどう思ったか、少しは分かってるつもりだよ。暴れん坊だとか人間じゃないとか、いろいろ言われてたのと重なっちゃったんだろ」
アニーは答えなかった。しかし、彼女の碧眼はかすかに潤んだ。
フェイは、彼女が故郷や学院で暴れ者呼ばわりされているのを、ずっと見ていたのだ。気付かないわけがない。
彼の、穏やかに語る声が響く。
「けど、アニー。分かってるだろ。ロトさんは、そんなつもりで言ったんじゃないよ。本気で心配したんだよ。じゃなきゃ、あの人はあんなふうに怒らない。少ししか一緒に過ごしていないけど、なんとなくそう思うんだ」
アニーはやはり、無言だった。膝を抱えてそっぽを向いたまま動かない。だからフェイがどんな顔をしているのか、知ることはできなかった。
もちろん、アニーだって分かっている。
ロトは多分、普段はあまり喋らないし人と関わることもしないのだろう。昨日はお金がどうのと汚いことも言っていたが、あれはきっと彼の本心ではない。でなければ、アニーやフェイに世話を焼くことも、いろいろと教えてくれることも――叱ってくれることもないはずだ。
しかしそれでも、アニーは素直に受け入れられなかった。
「言われなくても分かってる」
彼女はどうにか、言葉をしぼりだした。
「ロトが言うことは、いつも正しいもん。一日でたくさん助けてもらったし。でも、だから、それが受け入れられないんだよ。正しいから、いいってわけじゃ、ないんだよ」
言葉の最後は、気が高ぶって涙声になってしまう。フェイが息を詰めたのが、気配で分かった。アニーは軽くしゃくりあげながら、堰を切ったように喋り出す。
「なんで、うまくいかないの。私、わたし、知ってもらいたいだけなのに。暴れたくて暴れてるわけじゃないのに。なんでみんな……見てくれないの……」
言い終わるころには、アニーはもう泣きじゃくっていた。フェイから顔を逸らすのもやめて、流れ出てくる涙を拳でめちゃくちゃに拭う。フェイはしばらくその様子を見ていたが、やがてぽつりと言った。
「ぼくは見てるよ」
アニーが、涙を拭いながら「え?」と言う。充血した目を、少年に向けた。少年は少女をまっすぐに見据えて、言い直す。
「ぼくはずっと見てるよ、アニーのこと。確かにちょっと喧嘩っ早くてすぐ暴力を振るうけど……本当はすごく優しい子だって知ってるよ。けど不器用だから、上手に言葉にできなくて、手が出ちゃうだけなんだよ。ぼくは、ちゃんと知ってる」
「フェイ……」
「でも。やっぱりそれは、いたずらしてるだけじゃ伝わらないよ。アニーが自分で言わなくちゃ、誰も分かってなんかくれないよ」
アニーは、驚いたような顔でフェイを見ていた。気が弱くて、いつもおろおろしているばかりの彼しか知らなかった。けれど今の彼は、とても力強い。
柔らかく微笑んだ少年は、少女に向けてそっと手を差し出した。
「だから、戻ろう。ロトさんきっと、待ちくたびれてるよ」
アニーが眉を曇らせて戸惑っていると、フェイは苦笑を浮かべながら、付け加える。
「戻ってきちんと謝ろうよ。ぼくらは『雪月花』を探さなきゃいけないし、ロトさんは魔物の大量発生の原因を突き止めなきゃいけない。まだ何も終わっていないんだから」
途端、アニーの顔がゆがむ。小さな唇をつんと尖らせ、小声で反論した。
「そうだけど……なんか、謝れる気がしない」
彼と顔を合わせたら、また喧嘩みたいになってしまう気がする。アニーはそう思っていたのだ。一方、フェイは少女の言葉に眉を上げこそしたものの、怒るわけでも驚くわけでもなかった。少しだけ考え込むと、一生懸命に言い募ってくる。
「じゃ、じゃあ。今が無理なら、全部終わってからでもいいんじゃないかな。『ありがとう』と『ごめんなさい』を一緒に言えば」
「ありがとう、とごめんなさい……か」
アニーは目を丸くして、それから微笑んだ。
そうだ。大切なことを忘れていた。私たちは、彼にお世話になっているのだ。これからも、少なくともこの冒険が終わるまでは、たくさんお世話になるだろう。なのに、お礼のひとつも言わないなんて。
そう思うと、アニーはなんだか、今の自分が馬鹿らしくなってきた。ふっと小さく吹きだす。それから、首をかしげているフェイの手を取った。
いきなりのことにびっくりしている彼に、笑顔を向ける。
「フェイの言う通りだね。行こう」
少女が力強く言うと、少年は、安堵の表情を浮かべた。
アニーとフェイが連れだって横穴から出ると、ちょうどロトが調理器具の準備を終えたところだった。火を焚いて、その上に被せるようにして脚付きの台が置いてあり、さらにその上に小さな鍋がある。
「よう、帰ったか」
彼は何事もなかったかのように声を上げた。うん、とフェイが返事をする。ロトは普段通りにうなずいてから、ちらとアニーを見た。アニーも彼を一瞥しはしたものの、気まずくなってすぐに目を逸らす。
また何か言われるかと身構えたアニーだが、彼女の予想に反して、ロトはからかったり厭味を言ったりはしてこなかった。フェイに向かって肩をすくめてみせる。
「これから飯の準備をしようと思ってたんだ。あまり帰りが遅かったら、放っておくところだったぞ」
「あ……。えーと、ごめんなさい」
フェイの顔が強張ったのを見て、立ち上がったロトはにやりと笑った。
「冗談だ。真に受けるな」
「は、はあ」
ロトは鍋から離れると、自分の荷物の方に歩いていってしゃがみこむ。それから突然、まっすぐにアニーを見た。
「おいアニー。ちょっとこっち来い」
ぞんざいに呼ばれて、アニーの肩がびくりと震える。少女はわずかにうつむいたまま、足早に青年の方へ歩いていった。ごそごそと袋をあさる彼に、たまらず声をかける。
「何?」
「怖い声出すなよ。たいしたことじゃない。手当だ、手当」
「てあて?」
予想していなかった言葉に、アニーは首をひねる。だが、ロトは実にあっさりと言った。
「魔物との戦いで負った傷、まだそのままだろう。軽傷は軽傷だが、油断すると菌が入るからな。さっさと薬塗るなり包帯巻くなりしておかないと、よくない」
「あ――」
言われて初めて、彼女は思い出した。
魔物の群れを抜けた後、まずすべきは傷の手当だった。しかしそんな暇もなく小鬼に襲われ、なんとかそれを退けたかと思えばロトと言い合いになり、彼女は傷のことなど忘れて拗ねていたのだった。
顔を赤くするアニーに対し、ロトはいつも通りにふるまった。
「座れ。やり方は教えてやるから、薬塗るのは自分でやれよ」
癪だったが、アニーは素直にうなずいた。




