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春夏秋冬

二人で歩き始める季節

作者: 縷縷

秋の日は釣瓶落とし、とは、よく言ったものだ。


最近は退社する頃には、日が落ち、だんだんと青から紺色に空が染められて、ジワジワと夜が近寄る。


秋の夜。

寂しく感じるものだ。


ーーーーー


今日の夕飯はどうしようかな。


お昼はコンビニおにぎり一つで、食べながらのデータ処理だった。

定時で上がれたのが奇跡だ。


仕事帰りはただでさえ足が重く、なにも考えたくない。


帰りにスーパーに寄って帰るのは面倒だな、、、

しかたないなあ。


誰にもとがめられないのに『いつもじゃないんですよ。今日はたまたま疲れててね、』と言い訳をあれこれと用意して、駅前のデリでお惣菜とビールを買った。


さて、帰ろうと、駅ビルを出た所で。




「佐倉さん」


あらー瀬川主任。

こんなところで偶然ですね。

お住まいが近いんですか?

ここのデリは、えびアボカドサラダがオススメで、生春巻きもなかなかイケるんですよ。

ロールキャベツはあんまりオススメできないですけどね。


とかなんとか、いつでもどこでも誰とでもすらすらと世間話ができるほど、私は器用ではない。

したがって、思いっきり素でぼんやりしていたところに、いきなり会社の方に遭遇して、ビックリして言葉も出ないというのが、最も私らしい反応だ。


「佐倉さん、お疲れ様。

お家はこのへんなんですか?」


瀬川主任。

職場の花型営業マン。

いつも優しく、穏やかな話し方で、男女問わず信頼を勝ち得ている。

書類はいつも丁寧で、めったにないけどミスがあってこちらに迷惑がかかったりした時には、きちんと頭を下げてくれる。

いつもちゃんと挨拶をしてくれる。

つまり、とてもできる人。



「お、お疲れ様です。

瀬川主任はこのへんにお住まいなんですか?」


「え?ああ、この先のマンション」



少しお話しして、なんとなく、会話終了の雰囲気を醸し出してるのを、彼はさっきから気付いてて、無視している。



「じゃあ、今から一緒にご飯行きませんか?」


ニッコリ。


これか。

数々の営業先で契約を結んで来る最大の武器。



「いえ、あの、もう、夕食の買い物してしまったので、またの機会に」


「そうですか。残念。

では、また明日!」



はい。

また明日。


爽やかな去り方。

スーツ、カッコいいなー。


デリの紙袋がカサカサ言ってる。

『せっかくのお誘いなんだから、行けばよかったのに』



ーーーーー


また明日!


たしかに、そう聞きました。


それは、『また明日会社でね』という意味だと思ってました。

いえ、普通そう思いますよね。

いやいや、普通そうですよね。


「佐倉さん、ポテトサラダと明太サラダ、どっちがいい?唐揚げは好き?あ、なに飲む?」


退社後、駅前にさしかかったら、爽やかな笑顔の瀬川主任が「佐倉さんて歩くの早いねぇ」と言いながら追いついて、何故か一緒にご飯に行くことになり、カフェレストランでサラダを選んでいる。


想定外だ。

この状況に、現実と脳内の処理が大幅にズレて、言葉も出ない。




最後に出てきた小さなデザート。

アイスクリームに二種類のチョコレートがかけられていて、可愛い。

会計を済ませて(ごちそうさまでした。)瀬川主任が嬉しそうになんども「美味しかったね」「また来たいな」と繰り返していた。




そんなお誘いが何回か続いた。


帰り道、二人で街灯に照らされ歩く。

二人の影が揺れ、時々一つに重なる。

影たちの方が、現実の二人よりもテンションが高そうだ。



いつもなら、駅の近くでサヨウナラだけど今日はなぜか小さな噴水の前で、立ち止まる。


可愛らしいフェンスが目に入る。

フェンスは、全部で32個繋がってて、通路ごとにうまく空間を作っている。

噴水の周りは八角形にスペースが作られ、幾何学模様に並ぶレンガを見ているのが好きだ。


帰路を急ぐ人たちが通り過ぎる。


秋は、家路を急ぎたくなる。


夏の賑やかで甘い『夜』から、不安や寂しさをまとう秋の『夜』。


みんな家に早く帰って安心したいに違いない。

そして、肌寒さからか、直接的でなくとも、人肌に触れたいのだろう。


ふと、右手を取られ、驚いて瀬川主任を見上げた。

優しい眼差し。

暖かい、大きな手。


噴水の水がシャワシャワ言ってる。

『思い切って、好きですっていっちゃえば?』


ーーーーー




「佐倉さん、見積もりのここ間違ってるよ」


課長に指摘されて、慌てて見積書を見直して、すぐに訂正する。


「あ、瀬川主任。

見積書ですよね?今、佐倉さんがミスして、訂正してるところなんですー。おまたせしちゃってすみませーん」


隣の席の田中さん。

嫌味が上手。

いえほんと、自然にするすると嫌味が言えるって、もはや才能だろう。

いつもならスルーできる。

でも、今日は気持ちを串刺しにされたまま、なかなか切り替えられない。


近い距離にいる、私の訂正を待つ瀬川主任に、スミマセンと声をかけるどころか、そちらを見ることさえできない。

情けなさと悔しさで、社会人としての対応が小さくうずくまったまま立ち上がってくれない。


プリントアウトしたところで、「佐倉さんお忙しいですよねぇ、私持って行ってあげますねー」と田中さんにかすめ取られた。

いつもより明るい声で「お待たせしましたー」と瀬川主任に手渡すところが視界の端に移った。



キーボードの音が、小さくなり、遅くなり、マウスも静かになった。

指が小さく震えていた。


画面には小さな字で、『上書き保存しますか?』と出ている。


気持ちもすぐに上書きできたらいいのに。




シャットダウンして、なにも映さないデスクトップが私をじっと見ていた。



ーーーーー


今日は夕日に間に合ったなあ。


ベランダでぼんやり。

こんな日だってある。


退社時間ぴったりに会社を出て、いつもより早く歩いた。

靴擦れした。

痛かった。

ストッキングに血が付いていた。

新しい靴だったしね。

でも、痛いのは、足より気持ちだった。


夕飯はカップ麺で済ませよう。

いや、食べなくたっていいぐらいだ。

ちっともお腹は空かない。

いいの。

そんな日もある。



スマホが鳴ってる。

二回分無視をした。

三回目に仕方なくスマホを手に取る。


『瀬川主任』





「はい」


「佐倉さん、こんばんは。

これからご飯、どう?」


「夕飯は、あの、」


「じゃあ、せめて、顔見せてくれない?」


「顔?」


「玄関にいるから」



まさかと、玄関に急ぎ、ドアを開けると、瀬川主任。


「ああ、やっと顔を見れた。」


そおっと私の腕を取り、優しくその暖かな腕に囲い、玄関スペースに滑り込むと、ゆっくりゆっくり抱きしめられた。


静かに静かにドアが閉まった。


「ごめん。

どうしても会いたくて、来ちゃった」



目からポロポロ溢れる涙。

泣き声を堪えて口がきけない。

でも、いいの。

口がきけたとしても、何を言ったらいいのか、何から言えばいいのか、どのみち何も言えなかったから。



「行ってきます、ただいま」


???

なにを言い出した?



「外回りに出る前に、佐倉さんに「いってらっしゃい」と言われないとやる気出ないんだ」


外回りに出かけるときに、行ってきますと必ず声をかけられるのが好きだった。


「だから今日は全然だめだった」


それは申し訳ありません。


「営業先から電話したとき、佐倉さんが出てくれると安心する」


出先からの急ぎの仕事、瀬川主任からの依頼を気持ち優先しがちだ。


「佐倉さんの笑顔が、僕にとってのご褒美なんだ。」


契約が取れた日に、嬉しそうな笑顔でただいまと言ってくれると私まで嬉しくなった。



「佐倉さんの付箋のメモや、ちょっとした気遣いにどれだけ助けられたかしれない」


コピー機に手間取って、私にヘルプを求めてくれる。それが私限定だったと気付いたのは、田中さんに嫌味を言われてからだ。



いつも優しい眼差しで、口下手な私の言葉を待ってくれる。

憧れで、頼れる先輩で、大切な想い人だった。


「佐倉さんがどれだけ頑張っているか、知ってる。

ひたむきな姿を見てきたから。


佐倉さんの優しい笑顔が好きだ。

話し方も好きだ。

佐倉さんの全部が好きなんだ。

やっと声をかけて、一緒にご飯にいけるようになって、嬉しくてたまらなくて。もっと一緒にいたくて。

そばにいて欲しくて。


だから。


僕と付き合ってくれないか」



今日は、ミスをして、嫌味言われて、言い返せなくて、好きな人の前で惨めで、靴擦れして、ストッキングは血が付いて未だ電線してて、もはや厄日としか思えない。


でも。


そんな私に最高の出来事が今まさに目の前で起こっている。


この厄日を全部チャラにしても、まだ、ハッピーだと言えてしまうほど。


きっと、後から思い返したらコメディかと笑ってしまうほど、ロマンティックと現実の間にはズレが生じているけど。



ーーーーー



いつのまにか日が暮れて、電気をつけていない玄関が真っ暗になった。


優しい抱擁。

彼の胸に抱かれたまま、「私なんかでよければ」と小さな声で答えた。


少しだけ、力を込めて抱きしめられた。


暗闇の玄関で優しい優しいキス。




そして、瀬川主任の腹時計のおかげで、現実を思い出す。

ちょうどいいからご飯行こう、といつもの調子。


そう言われたら、私までお腹が鳴った。


ロマンティックは、難しい。




何度か食べに行ったことのあるカフェレストランで、サラダとピザをシェアした。


いつものように、彼はビールを。

私はジンジャーエールを。



今日の営業先でこんなこと言われた、こんなやりとりがあった、駅でこんな人に会った・・・


いつもみたいな会話。

でも。

いつもと違うのは、ここはカウンターで、ずっと手を握られてて、いつもより椅子が近いこと。

瀬川主任は、左手でフォークを器用に使って、ニコニコしながら食べてる。

いつも以上に顔が熱くて、いつもよりガラスの模様ばかり見てしまう。




帰り道はいつもの駅前の道ではなく、反対側の川沿いを歩いた。

手は、お会計の時だけ離して、またつながれている。


二人で散歩するって、初めて。


いつのまにか葉先が色づき始めた紅葉が、川にかかるように枝葉が伸びている。


「見頃になったらまた見に来よう」

「見頃になったらまた来ませんか?」


二人同時に言って、二人で笑った。




手のぬくもり。

優しい笑顔。

暗い気持ちに、ポッと明かりを灯されて、心があたたかい。


秋の夜空。

柔らかな月の光が二人を照らして、祝福してくれている。

『これからだね』



ーーーーー



また、明日ね。



送ってもらい、瀬川主任はようやく手を離して、帰っていった。



また明日。


そう、私たちはさっきスタートした。

だから、これからなのだ。


どう歩いていくのかは、全然わからない。

だから、彼とともに考えよう。


走ってもいいし、止まったっていい。

手をつないで行こう。


そうして、いくつもの季節を二人で歩いていけたらいい。


fin


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