離れたままに最終決戦
始めて言葉にした感情は、イアンの腑中にしっくり収まった。
それはいつから存在したかもわからないような感情。
ただ、今のイアンには欠かせない重要なピース。
しかし、それは今のヒエラにとってはハマり切らないピースの形であった。
「好きだからってなによ!?好きだったら、自分は死んでもいいの!?そのくせに相手には死ぬなって!私の気持ちを考えたことはあるの?!」
泣き叫ぶようなヒエラの声は、不快なノイズをともなって耳に届いた。
「どうなのよ?!イアン!」
道ゆく人が物珍しげな目で見て、しかしただならぬ雰囲気に素通りしていく。しかし、そんなことも気にならないほど2人は興奮していた。
「…考えたことがないとは言わない」
「嘘をつかないで!全然わかってないじゃない!?」
完全に頭に血が上って、沸騰しているヒエラと裏腹に、ゆっくりとイアンの思考回路はクールダウンに入っていた。じっくり考えて、低く唸るように言葉を紡ぐ。
「……嘘はついてない」
「どうしてそう言うの!わかってないのは事実でしょ!?」
しかし、アタマは冷えてもどこかでアドレナリンが放出され続けていたのかもしれない。
「全部考えた上で言ってんだ。俺はどこかで必ず死ぬ。それはもう決まってんだ…」
「そこが気に入らないのよ!なんで生きて帰ってこようと思ってくれないの?!私独り遺されて、どうやって生きていくのよ?」
語尾に勢いをなくしたヒエラの言葉は、俺が無意識に生に対する欲がなくしていることを気づかせた。
「……」
「なに黙ってるのよ。なんか言いなさいよ」
「…すまん。俺が間違ってた」
脳内麻薬の分泌はストップした。おそらく、ヒエラのアタマも冷えて通常運転中だろう。
立ち尽くす2人の間に夕陽の残滓が残った。が、やがて闇に沈む。
どれだけそうしていただろう。
この沈黙を打破したのは、キリノだった。
「なにしてるの?陽も沈んだし帰りましょう」
キリノは2人の空気を全く感じていない様子で、揃っての帰宅を促した。
「…ごめん、おばさん。俺、今日は戻るよ」
もうこれ以上ヒエラの顔を見てられなかった。
「あら、そう。それは残念ね。でも、また帰ってらっしゃい。お父さんも待ってるから」
「ああ、ありがとう」
クルリと背を向けて歩き出す。夕陽の最後の一片が空を赤く照らしたが顔を上げると頭の上はもう黒く塗られていた。
「イアン!」
ヒエラの声が聞こえた。でも、振り返らなかった。
「…ごめん……」
ヒエラには伝わらない大きさで呟いた。その言葉は次に吐いた息が虚空の彼方に運んでいった。もう、ヒエラはイアンの名を呼ぶことはなかった。
ヒエラやキリノはコルのおかげで南部に下らずに済んだらしい。と友人に聞いた。一応、コルも王政府では立場が高かったから、生活の心配はイアンはしていなかった。
さて、軍令部は第三号作戦の決行を3日後に決めた。さらに驚いたことに、第4大隊の参加が急遽決まった。このことは、イアンらの心情を決して良い方向には持っていかなかった。イアンは3日の間部屋にこもって、装備の点検を行った。また、出立の前日の夜、生まれて初めて遺書をしたためた。流石に腕が震えた。なんとか、コル宛とヒエラ宛の2通を書き、眠りについた。これが最後の就寝かと思ったが、何時ものようにすんなりと眠りについた。
翌朝、街には雨が立ち込めた。
久しぶりに顔を合わせた第2小隊だったが、すぐにアテネがこう言った。
「イアン、何かあった?あなた凄く怖い顔してる」
務めて平静な顔をしていたつもりだったが女の勘を掻い潜ることはできなかったらしい。
「別に。早く行こう」
皆一様に不安そうにイアンを見たが、時間も時間であったのですぐに動き出した。
北部防衛隊のトップの激励も左から右に抜けて、全員が馬によってハルルへ向かった。軍令部は、その他の部隊も投入の準備を進めており、ここで全てが決することは火を見るより明らかであった。また、ガロウが補給を完了させる前に叩きたいという思いもあり、行軍スピードはかなり早かった。
終始無言で馬に揺られるイアンの先に見慣れた建造物群が雨の中姿を現し始めていた。