魔法の言葉
馬鹿野郎、と入隊してから何度言われたことか。
無論それは上官からの叱責であるが、入隊当時のルーナ軍は怠惰の権化であった。
世間一般から「ならず者」の烙印を押されて、狭い世間に息苦しさを感じた者が大半を占めていた。
イアンのように、生活に困窮するなどの「仕方なく」という理由で入隊する者は少数派であった。
であるからして、最初の訓練兵時代は上官の理不尽な怒りに巻き込まれることが多々あった。
殴る蹴るは当たり前で、真冬の吹雪の中で毛布の一枚もなく寝かされたこともあった。今思えば、よく死なずに済んだものだ。
しかし、逃げ出す者はいなかった。それは、逃げ場が無いからだ。当時の軍は世間の最底辺であり、そこからドロップアウトすれば生きていく術は無い。どの訓練兵も「死ぬよりは仕方ない」と言い聞かせ耐え抜いた。
今、小隊や連隊の隊長格の者はおおよそその頃の軍人だ。
「馬鹿野郎ッ!」
いきなり殴られた。右フックが俺の左頬にヒットして口の中が切れる。舌には鉄の味が広がる。
「準備ができてないとはどういうことだ!あ!?猿にもわかるように説明しろ!」
アンタの脳みそは猿以下だろうが。
「東部工業都市にガロウ部隊が干渉しており、稼働が滞っております。依って、現在発注してある銃の改修が完了しておりません」
イアンが今話している相手は、第19連隊副隊長である。屈強な肉体はそれ相応に横に広く、身長はあまり高くない。イアンより頭半分くらい低い。頭は頂上がつるつるで格子の向こうから差す太陽の光を反射している。またそれを皮肉るように髭はもみあげとつながり、立派なものになっている。喋る度にツバが飛ぶものだから、頭に血が上るとそれだけで干上がってしまうのでは、と心配になるレベルで口から水分を出す。まあ、だいたいいつも怒ってる人だが。
「そんなことは貴様らが何とかするモンだろうが!いいか!?明日までには銃の改修を終わらせろ。これは命令だ」
んな無茶な。
「は」
無理だとは言えないので、返事は通り一遍になる。
さあ、どうやってこの難題を攻略しようか。
「おい、そうじゃないって言っただろ」
「え、そうだっけ?」
第2小隊の5人は仲良く銃の改修に当たっていた。
銃の整備が友達のリタの指導で始まった。
まず、改修目標数は26。既に廃棄が決定している物が56。
そのジャンク品から必要な部品を取って修理してしまおうという作戦で、俺とクレルが度合い様々なゴミをバラバラに崩す。そこからリタが必要と思われる部品を選別して、アテネとリクヤが交換する。
始めのうちはうまくいかなかったが、最初だけ過ぎればあっという間だ。
もともと高度な技術を持っていない国が見様見真似で作ったものだから、構造は単純だ。だから、壊れる箇所もだいたい一緒で、そうするとジャンク品の分解も必要最低限になる。リタも同じところを取り外せばいいので一人で事足りるし、リクヤもアテネも慣れれば大したことではない。
ただ、このジャンク品は自然に壊れるわけでは当然ない。暴発や焼きつき、敵の攻撃を受けるなどして使い物にならなくなったものばかりだ。この品達の持ち主の事を考えるとなんともいたたまれなくなる。死んでるのか生きているのかは知らないが相当悲惨な目にあったことは間違いない。
昼過ぎに始めたこの作業は、何とか明日朝までかかることはなかった。とは言ってもガッツリ7時間の時間を割いたわけだが。
準備が出来た、という報告をまたもや副連隊長にして、大した労いの言葉もなく引き下がれと言われて、通常の生活に戻った。ハルル防衛に当たった部隊は、南部に下がり、各地の小競り合いからは少し遠いところで休んでいる時だ。と言っても第三号作戦が展開されてから、どこか緊張した空気が漂っているのは感じていた。おそらく、自分たちももう一度ハルルに赴くことになる。そこで死ぬことは多分に考えられる。
軍令部は第三号作戦に於いて、ハルル奪回のため第3大隊、第18大隊、第23大隊下4連隊5連隊、3号特殊部隊、4号特殊部隊の動員を決定した。
軍令部も、またガロウもハルルの戦略的重要性は十二分に承知しており、今後も争いが続くことは容易に想像できた。まあ、それもそこまでルーナが持ちこたえられればの話になるが。
「おーい、誰かいるかー?」
バラックのような難民キャンプの仮住まいに声をかける少年を尻目に、その先にある仮設高官住宅の一画にヒエラとキリノが生活している。少しの休暇を与えられたため、寄ってみようと思ったところだ。
コンコン、とノックをして待つ。向こうに聞こえているのだろうか。
だんだん不安になってきた。出直すか、と思った矢先
「あれ?イアン?」
ううむ。聞き慣れた声。懐かしく、脳に響く甘美な音。
振り返れば、案の定ヒエラが手提げ袋を重そうに両手で提げて立っていた。額から流れる汗を拭うこともできず顎を伝って土の表面にポタリ、とシミを作った。
「持つよ」
ありがとう、と若干頬を染めたヒエラから袋を受け取る。
「ん!?重くないか?何入ってんだ」
「自分で考えたら?」
減らず口を叩きおって。まあそこまでして知りたいとは思わない。
入ってすぐに右手の扉を越えて室内へ。いくら高官と言っても決して贅沢はできない身分だ。
「あれ?おばさんは?」
キリノの姿が見受けられなかった。
「お母さんなら、今朝でかけたよ。いつ帰ってくるかわかんないけどね」
へえ。キリノが一人で外出するのは珍しい。いつも誰かと連れ立って外に出る人だったから、俺がどれだけ付き合わされたか。
「そうか、2人きりなのか…」
何の意図もなく発した言葉は、其の後になってしまった、と思ったが
「…そうだね…」
また赤くなったヒエラがそれっきり黙ってしまったので、大変に気まずい。しばらく、外の静けさと蝉の音が場を支配した。ああ、クソ。
「…なあ、外、出ないか?」
斜めに差した日差しが2人の顔を赤く照らす。
当てもなく歩き出したわけだが。
ポツリとヒエラが言った。
「最近お父さんの様子がおかしいの」
もともと忙しい人ではあったが、家族思いのコルが最近帰ってこない日があるらしい。このご時世では当然とも言えないことはないが帰ってきてもソワソワしたような感じで落ち着きがなく、またしきりにどこかとやりとりをしているようだ。
そのことを聞いて、第4大隊と関連付けて考えてしまうのは致し方ない。と言っても身勝手だが身内に対しては、敵だと決めつけるにはまだ時間が必要だ。
「…そうか。何かあったらすぐに連絡をくれ」
うん、と頷いたヒエラの顔を見た時、俺の中の何かで覚悟がついた。
「ヒエラ」
なに?と言いたげな振り向いた顔に、もしもだぞ、と前置きして話し始める。
「俺が次の出撃で帰ってこなかったらどうする」
「ふざけてるの?」
喰い気味な返答と恐ろしく怒った顔が近づいてきた。
「…ふざけてるわけじゃない」
いつもなら、やや感情的に返している場面だがこの時は感情の起伏はなかった。
「次がいつかわからない。でも、必ずやってくる。うちとガロウでは戦力差がありすぎる。そんで、いつかは終わりがくる。この戦争が終わるのか、俺の命が終わるのかどちらが先かはわからないけど、あの時みたいにいつジョーカーが嗤うのはそんなに遠い先じゃない気がする」
運命の女神は、どちらに味方するのか。そんなことを論ずるつもりはさらさらない。
「だから、先に家族には言っておきたいんだ。7年間一緒だったけど、楽しかった、悔いはなかったってな。もちろん、死にたいとは思ってないからな」
いつの間にか公園のような場所で止まって話をしていた。
夕陽が山の端を真っ赤に染め上げ、東の空には薄く下弦の月が光る。
地の上では、突然の涙が光っていた。
「…なんでっ…そうなるの!?なんで、そんなこと、考えるのよ!?私を遺して死んだら…私も、死ぬ」
私も、死ぬ。その台詞に、無音の平手打ちが炸裂した。
多分、始めてヒエラに手を上げた。
「…なんで!?自分は死ぬって勝手なこと言って、私が死ぬことは許さないの?!」
「……そんなの!決まってんだろ!?」
そう。俺は自分勝手になれる魔法の言葉を知っている。
「俺はお前が好きだからだろ!?」