未来を占う ピアノの音色 … 5
これから 少しずつ、ラブ度を上げていく予定……。
授業が終わった、その日の放課後。
普通科校舎 一番奥の、誰も来ない 《空き教室》が、ルシフェルの 《着替え部屋》となっていた。
こんな奥なら、誰も来ないし 誰も通りかからない。
気兼ねなく 着替えを済ませて、小さな手鏡で 全身をチェックする。
《決闘》とは言葉が物騒であるが、これは れっきとした 《演奏》による勝負だ。
ホールで、しかも 観客という 《人前》で披露する。
そのためには、そこそこの 《衣装》を着るのがマナーであり。
ルシフェルが 選んだのは――― 父・ロイドが 少年時代に着ていたものだった。
黒の燕尾服が 主流だった当時においては珍しい、紺色の上下。
実は、ロイドも早くに 父親を失くし、貧しい生活の中、奨学金でアスタルテに入ったという。
一般の衣装は高額で 買えなかったロイドは、常に アスタルテの制服で 演奏をしていたらしい。
それを見かねた ロイドの母や 近所の人たちが、お金を出し合って、なんとか 格安で手に入れたのが、当時は 人気が無かった この紺色の生地。
それを、ロイドの母が ひと針 ひと針、心をこめて 手縫いで完成させたのが…… この 服なのだ。
この服には、たくさんの 《愛情》と 《思い出》が つまっている。
いつか生まれてくる 子供のために――― と 大切に残してあったものだが、まさかそれを、息子ではなく 娘のルシフェルが 着ることになるとは 思いもしなかったであろう。
「まぁ…… 今のボクは、男の子なんだけどね」
大事に着て、大事に とってあったものは、何年経っても 立派なままだ。
シンプルで、今よりも 少し古い形の襟もとに、ルシフェルの 金髪が 映える。
ロイドは 十四歳くらいの、中等部のときに 着ていたというが、今の ルシフェルに、肩幅などは ぴったりだった。
「お父さんて…… やっぱり 華奢だったんだなぁ」
ルシフェルの 見事な金髪は、母・サラに。
そして、可愛らしい容姿は、実は 父・ロイドに そっくりなのであった。
女の子として生活していた頃は、それほど 思わなかったのだが。
いま、こうして。
髪を短くして、紺の 衣装をまとっていると。
父が、帰ってきたかのような、錯覚に 陥る。
さすがに 少年とまではいかないが、父は たいそう 《童顔》だったから、なおさら 今の姿と、重ねて見えてしまう。
「違うのは、髪の色 だけかな」
父は、珍しい 銀髪だった。
この 紺色に 銀髪というのも、それはそれで キレイだったと想像できる。
鏡の中の 自分を通して、亡き 父を思い浮かべながら、ルシフェルは 気合いを入れ直した。
「お父さん、見ててね」
そうして、空き教室の 扉を開けたところで―――。
「うっ……!」
突然、下腹部に 強烈な 《痛み》を感じて、思わず その場に うずくまった。
キリキリと締め付けるような、ぎゅうっと 掴まれるような…… 《独特な痛み》に、呼吸も止まってしまう。
「な…… 何で ……」
この痛みには、覚えがある。
毎月、頼んでいないのに やってくる、厄介な 《現象》。
ルシフェルが、《女の子》であるという、これ以上ない 《証拠》。
「まだ、早いじゃないか!」
《月のもの》が、どうやら 始まったらしい。
※ ※ ※
近くのトイレに 駆け込んで 確認してみると。
間違えなく、月のものが 始まっていた。
本来、ルシフェルは 健康だけが取り柄であり、月のものも 毎月 予定通りに きていたのだ。
後ろに ズレることはあっても、予定より 前にくることは 今までに無い。
一応、それ相応の 《準備》は、いつも 持ち歩いているが……。
「く…… クスリ……」
痛み止めは、今は 持っていない。
その月によって 異なるが、痛い時は 動けなくなるほど 痛いのだ。
だから、必ず 痛み止めのクスリは 飲むようにしていたのに。
どうしよう。
今から、学園を出て 外に買いに行く時間は 無い。
かといって、このままでは ホールに歩いて行くのも やっとの状態だ。
保健室には 痛みどめくらいあるだろうが、ただの 《腹痛》では 処方してもらえないだろう。
下痢止めとか、胃腸薬を 渡されるのが オチだ。
どうしよう ――― その言葉が 脳内を埋め尽くし、文字通り 動けない。
痛みと、焦りと、不安で、顔色は 青白く変化していく。
すると、そこに。
聞き慣れた声が 頭上から 降ってきた。
「…… どうしたの?」
こんな 校舎の奥に、いるはずのない――― いつでも 冷静な、その 声の主は……。
「…… すぐに戻るから、少しだけ待ってて」
ルシフェルの 顔色を確認した途端に、走って どこかへ行ってしまった。
普段では 見られない 慌てた後ろ姿に、《何故ここにいるのか》と 疑問が浮かぶのだが。
彼ならば…… なんとか、してくれる。
そんな、漠然とした思いを 不思議に感じながら、とりあえず その場で 待つこと 数分―――。
彼 ――― ケイトは、珍しく 息を切らして、目の前に 戻って来たのである。
※ ※ ※
「ルシフェル…… まず始めに、 《確認》するよ?」
「な…… 何?」
もう一度、空き教室へ入るようにと 促され、椅子に座らされた。
机の上には、水の入った コップと、いくつかの 錠剤やら 粉薬が 置かれている。
「君…… 今までで、クスリの 《副作用》は?」
「ふ…… 副作用は、特に無いと思うけど」
「じゃあ、今 服用中のクスリはある?」
「特に、無い」
そんな感じで、いくつかの 質問を受けているうちに、あることに 気付く。
これって――― なんだか、《お医者さん》みたい。
服用歴、副作用の有無、現在の症状、普段の状態、顔色、目の状態、舌の色。
最後には、脈まで とられてしまった。
「これは 《脈診》といって、大陸北部の 少数部族に伝わる、簡単な 《診察法》だよ」
「大陸北部って……」
ケイト自身は クロイス生まれのクロイス育ちのはずだが。
確か、彼の両親は 北部出身だと 前に聞いたことがあった。
「…… 僕の両親は、医者でね。 自宅で 小さな医院を開いているんだ。 話したこと、無かった?」
「初めて聞いたけど……」
普段、ルシフェルにとって 話すことが多いのは、ナギだ。
ケイトとは、からかわれたり 意地悪されたりと、そんな内容ばかりである。
「…… ケイトも、お医者さんになりたいの?」
「僕は、すでに 《脈診医》の資格は持ってるよ」
「へ?」
「まぁ、このクロイスでは 正式に認められてないから、クロイスで 医者になるには、万国共通の 医師免許を取らないといけないけどね」
なんでもないことのように、淡々と言うが。
それは、勉強嫌いの ルシフェルにとっては、別の世界の 話しに聞こえる。
「…… というわけだから、はい コレを飲んで」
用意された クスリの中から、二種類のものを 渡される。
「二十分もすれば、痛みは 収まると思う。 ただし…… 万が一、気分が悪くなったりしたら すぐに言うこと。 いいね?」
「う…… うん」
言われたとおりに、水で クスリを飲み干す。
飲み終えてから、今さらだが 疑問を尋ねてみた。
「あのー…… ちなみに、このクスリは―――」
「大変だね、女の子は」
「!!!!」
何気ない顔で、何か とんでもない 発言が 聞こえたような……。
「け…… ケイトくん、いま 何か 言ったかな~」
「バレていないと、まさか 本気で 思っていたわけじゃないよね?」
「そ、それは……」
今まで 何度も、勘付かれているような、そんな気がしていたのは事実である。
「僕を、誰だと 思っているの?」
「うわーん、ごめんなさい、ケイト様! お願いだから、このことはっ―――」
「もちろん、黙っているつもりだけど……」
それには、条件があるな。
そう言って 笑った顔は、いつもの 《意地悪・委員長》、そのものだった。
※ ※ ※
ケイトの用意してくれた クスリのおかげで、あれから 痛みは 収まっていた。
若干、眠いような気もするが、痛み止めとは 眠気をもよおすものが多いから、あまり気にはならない。
ホールの 観客席に行くという ケイトとは、途中で 別れた。
別れ際、ケイトは 《黙っておく》ことと 引き換えに、ルシフェルに ある《条件》を提示してきた。
その、条件とは。
一、女の子であることが バレないように、他の人とは あまり 親しくしないこと
二、何かあれば、真っ先に ケイトに相談すること
以上の、二点である。
「変な、ケイト……」
舞台裏に続く 階段を降りながら、ルシフェルは ひとり つぶやいた。
まさか、こんなに早く、誰かに バレるとは想像もしていなかった。
ましてや、あの ケイトだ。
発覚と同時に、担任のコルトに 通報するかと思いきや、意外にも 黙っていてくれるという。
彼の…… 真意は、どこに ある?
「ウチは 貧乏で、カツアゲ対象にもならないし、勉強を教える立場でもないし……」
このことを 黙っている 《メリット》が、彼にあるとは 考えにくい。
「もしかして…… ただ、《からかいたい》とか 《意地悪したい》とか?」
それなら――― 充分に、考えられる。
「ボクは、ケイトの 《おもちゃ》じゃ ないぞー!」
うがーっと 叫んでから、深呼吸する。
痛みにおそわれたときは どうしようかと焦ったが、今の状態なら 演奏に支障はなさそうだ。
ケイトには、感謝しなければいけない。
そんなことを 考えながら、舞台袖に到着すると。
ルシフェルよりも先に 演奏する ロバートが、観客にお辞儀を終えて、ピアノに 座ろうとしているところだった。
圧倒的な、技術の差が ある場合において。
先行を 取ったロバートは、先に 素晴らしい演奏を見せておいて、ルシフェルに プレッシャーをかける戦法なのだろう。
もしくは、後から出てくる 《素人の演奏》を、より観客に わからせるためなのか。
どちらにせよ、用意周到だ。
ルシフェルのことを、けちょんけちょんに したいらしい。
「まったく…… そんなセコイ性格してるから、ヨシュアにだって 振られるんだよー」
ロバートの背中に向かって、小声で 悪態をつく。
これくらいの 《反抗》は、後輩といえども 許されるだろう。
「ふーん…… やっぱり、そうきたか」
演奏を開始した ロバートは、ピアノ科の中でも 優秀だと聞いてはいたが―――。
評判のとおり、演奏の技術も 表現力も、なかなかの ものだった。
ただ、ルシフェルにとっての 《憧れの演奏》は、あくまでも 《チェ・ヨンハ》のピアノである。
彼の、繊細で 華やかで、わくわくさせるような 音色は、誰にも 真似できない。
ヨンハの 演奏から比べると、他の人など 素人にしか 聞こえないから 困る。
「ボクも、耳だけは 肥えてるんだよね…… ヨンハ先輩のせいで」
ロバートの 演奏は、楽譜に忠実で 模範的なうえに、どこか 《俺はスゴイだろう》という 《自慢》が印象に残る音だった。
《仮面舞踏会》の出だしは、細かい音符の連続だったが、そこは 難なくクリアして、華やかな ワルツへと 入っていく。
「まぁ…… 音楽科なんだから、このくらい 当たり前でしょ」
ルシフェルは、不思議と 焦りはなかった。
お腹の痛みも引いて、どことなく リラックスしている気もする。
何よりも。
これから、大勢の前で 演奏することに対して、緊張もあるが 楽しみに感じていたのだ。
早く、弾きたい。
ロバートのような、退屈な 音楽ではなくて。
自分だけの。 自分にしか できない。 最高の 舞踏会を、披露したい。
体の 奥から湧きあがる 《興奮》に、素直に 身をまかせて。
ルシフェルは、自分の番を 待つのであった。
師走の 忙しい中、皆様 いかがお過ごしでしょうか。
ケイトが、いよいよ 本格的に出てきましたよ。
彼の言動を 振り返ってみると… 実は、あることが 見えてくると思います。
次回、ルシフェルなりの、仮面舞踏会が さく裂する予定。
心に、いつでも 音楽を――― クラッシックに関わらず、音楽のある生活というものは、イイですよね。 次回も お楽しみに。