未来を占う ピアノの音色 … 1
がやがやと 騒がしい教室中で、一人 机に突っ伏して、堂々と 《居眠り》をする少年がいた。
「…… では、今度の 《球技大会》の 《振り分け》について、この決定でいい者は、挙手をするように」
アスタルテ学院、普通科。 一年六組の 教室に、委員長ケイトの声が響く。
「は~い」
「はいよ」
「さんせ~い」
「いいんじゃない?」
口々に、手を挙げながら 賛成を示していく生徒とは 対照的に。
「そこ…… 誰か、ルシフェルを 叩き起こしてくれ」
六組の中で マスコット的な存在の 《金髪天使》は、今日も 豪快に、眠りをむさぼっていた。
「え~、かわいそうじゃんか」
「昨日も、バイトで遅かったらしいぜ?」
「寝かしといてやりゃあ いいだろ?」
スクラムを組んだかのように、ルシフェルを 庇う 級友たちを見て、ケイトは わざとらしく 《ため息》をついた。
「…… その、一致団結した姿が、球技大会でも 見られるといいけどな」
「なんだよ、ケイト。 引っかかる言い方だな」
「俺たち チームワークは抜群だろ?」
「他の 《お坊ちゃんクラス》とは、違うっての!」
アスタルテ学院は 国立であり、他の学校に比べると 学費はかなり安い。
しかし、それに反比例するように、学問のレベルは 国の中で 五本の指に入るほど 高かった。
家庭教師を雇えるほどの 裕福な家庭で、みっちりと勉強していないと 入学試験に通らない――― というのが 常識である。
そのため、アスタルテの生徒の ほとんどが、生活に困らない 裕福な家庭の子息だった。
「雑草のチカラ、見せてやろうぜ~」
「うぃ~」
ルシフェルのように《奨学金》を受ける生徒は、ごく稀でる。
しかし、偶然なのか、意図があってそうなったのか。
一年六組に集められた 生徒は、半数以上が 一般家庭の息子であり、無料の図書館や 塾を利用して学んできた、《苦労人》の集まりだったのだ。
当然、良家の お坊ちゃんたちとは、なんとなく ソリが合わない。
ことあるごとに、他のクラスと対立している…… それが、一年六組だった。
「そんなことを言っているが、あくまでも ルシフェルが――― 《この案》を引き受けたらの話だろう?」
ケイトは 冷静に、盛りあがった雰囲気に 水をさす。
「…… まさか、引き受けない可能性があるのか?」
「当然 引き受けると 思いこむ 君たちの その考えは、逆に どこからくるんだ?」
「えぇぇぇ、マジかよ!?」
「やるだろ、やるよな!?」
「ナギ、ルシフェルを起こして 聞け!」
絶叫を始めた 男たちは、ルシフェルの隣で 雑誌を読んでいる 生徒――― ナギに詰め寄る。
やれやれ…… と苦笑しながら、ナギは 静かに ルシフェルの肩を揺すった。
「ルシフェル…… 起きろ。 皆が暴走しだしたぞ」
「ん~……」
ぼんやりと、寝ぼけ眼で、ルシフェルは 顔を上げた。
「なに…… もう 授業?」
「違う、ホームルーム。 球技大会の 分担決めるって、今朝 言ってただろ」
「球技大会……」
ぽやんと 霞む頭を回転させながら、ケイトが立つ 黒板に、ルシフェルは視線を向けた。
しかし、球技とは かけ離れている、 その《案》を見て。
「なっ…… 何 考えてんだ、てめ~ら!」
天使の 怒号が、今日も 六組に こだまする。
※ ※ ※
「まったく、人が 寝ているのをいいことに……」
ぶつぶつと 怒り続けるルシフェルと背中合わせになって、ナギは 笑いながら 準備体操をしていた。
「寝ている お前が、悪い」
「眠いんだから、しょうがないだろ~」
サッカー、バレーボール、バスケット、テニス、野球。
毎年恒例、春の球技大会は、その五種目が行われる。
誰が どの競技に出場するかは、そのクラスの自由だ。 スポーツの得意な者は、何種目も 掛け持ちで出ることもある。
ちなみに、ルシフェルの 目の前にいる ナギは、一応 《全種目に出場するべき》と、半強制的に決まったばかりだ。
「ナギが 全部出場…… って、それは わかるよ? それなのに、何で ボクが……」
ルシフェルに 与えられた、重要な 《役割》。
「スカートをはいて、皆の 応援…… って、あいつら バカにしてるだろ!」
「チアリーダー だろ? いいじゃん、似合ってそうで」
「全力で、お断りだ!」
「…… 可愛いのに」
「ぶっ飛ばすぞ、ナギ・イルタニア」
フルネームで 睨みつけると、ナギは 肩をすくめてみせる。
この時間は、体育の授業だった。
それぞれ 指定された体操服に着替え、二人一組で 準備体操を行なっている。
基本的に、クラス内は 皆 仲が良く、特に ルシフェルは 一番人気を誇っていたが、中でも このナギという男と、なんとなく 一緒にいることが多かった。
「終ったなら、全員 集合~」
散らばっていた生徒が、中央に集められる。
二週間後の 球技大会が終わるまで、通常の 体育の授業は お休みだった。
代わりに、各クラス 自由に、球技大会の練習ができる、貴重な時間になる。
「生活かかってるのは わかるけど、バイト 詰め過ぎなんじゃないのか?」
「…… このくらい、どうってことないよ」
ルシフェルは、少しだけ 見栄を張った。
本当は、けっこう 体力的に厳しい。
けれど、そんなこと 言えるはずがない。
「ユフィが 小学校に入ったでしょ? 親がいないと お金が無いなんて言われたくないし、恥ずかしい思いをさせたくないんだよ」
九つ下の、妹 ユフィ。
女の子にしては、少々 無口な気もするが、いつも お手伝いをしっかりしてくれる 働き者だ。
「…… だったら、なおさら 健康管理には気を付けろよ」
「休み時間に 睡眠取ってるから、大丈夫だよ」
「ど~だか」
――― ナギ・イルタニア。
彼は このクロイス共和国の出身ではなく、少し離れた ビンライという国の生まれだ。
こげ茶色の髪に、湖のような 青緑の瞳。 すらっとして見えるが、意外に 筋肉はついている。
最近 巷で流行りの、《細マッチョ》という タイプなのだろう。
「ナギって…… 何にもしなくても、モテるだろ」
「はぁ? 何なんだ、急に」
グラウンドの中心では、委員長ケイトが、球技ごとに 生徒を並ばせて、細かく指示を出していた。
「…… 別にぃ。 なんでもな~い」
言葉とは うらはらに、ナギの顔を ちらりと盗み見る。
スタイルはいいし、顔も悪くない。
クラスの中心で騒ぐタイプではないが、ノリが悪いこともない。
スポーツは得意だし、なんといっても――― 常に、《さりげなく優しい》のだ。
押しつけることなく、自然に 誰かを 《気遣える》というのは、そう簡単に 身に付くものではない。
これは、この男の 《美点》であり、そういう 《心意気》を含めて、《男前》だと思う。
日々、正体を隠すべく、《男前》について 研究をしているルシフェルにとっては、ナギは 良い 《見本》だった。
彼の真似を そのまま するつもりはないが、参考にする部分は たくさんある。
「…… ……」
う~んと 難しい表情で、何かを考え込む ルシフェルには、ナギが つぶやいた言葉は 聞こえていなかった。
ただ、委員長ケイトだけは、そんな二人の様子を それとなく観察していたのである。
※ ※ ※
午前中の授業が終り、待ちに待った 昼食の時間。
生徒は全員 食堂に移動して、三種類の 《日替わりランチ》の中から、好きなものを選べる。
けれど、そこは 年功序列というべきか…… 当然、ランチの種類は限られており、選ぶ権利は 上級生が優先だった。
一年生に順番が回ってくる頃には、かなり数が 偏っていることが 常識だ。
そして、そのために 必然的に起こるのは、ランチの取り合いと、あとは 食べ始めてからの 《おかず》の 《奪い合い》という、熾烈な戦いであった。
「…… 相変わらず、地味に 怖いよな、あいつら」
六組の お騒がせ要員・グレンが、少し先のテーブルを見ながら言った。
騒がしくしない分、相手の 腹を探る様な 水面下の戦いが、他のクラスでは よく起こる。
「お坊ちゃんだか なんだか知らねーけど、結局 食いたいモンは 同じなんだろ?」
「俺たちみたいに、じゃんけんとか クジとか、一発芸とか… もう少し平和に、楽しく食うことができないのかね~」
六組とて、おかずの取り合いが 無いわけではない。
けれど、ケイトの作ったルールによって、クラス内で暴動が起こることは まず無かった。
じゃんけん、クジ、さらに 何故か 《一発芸》によって一番おもしろい者に 優先権を与える――― そんな、民主的、かつ ちょっと意味不明なルールでも、暴れたい盛りの少年たちには 有効なのだ。
「…… ていうか、いいかげん 一発芸は廃止にしようよ。 ボクなんか やることないし、不利じゃないか~」
ルシフェルの抗議にも、向かい合わせで 静かに食するケイトには 通用しない。
「却下だな。 公平的に、かつ 皆が楽しめるものでなければ、いずれ不満が勃発する」
「不満は すでに勃発してるんだよ。 ボクは じゃんけん弱いし、クジ運悪いし……」
「神様に 祈ったらどうだ? 《天使》の君なら、神様にも近いだろう」
「…… ケイト、前々から思っていたけど、ボクのこと 馬鹿にしてるだろ?」
「…… 失敬な。 本物の馬鹿には、馬鹿にする価値もないものだ。 君は、その少し手前で、ギリギリ止まっているよ。 …… 今のところは」
「なんだよ、結局は 馬鹿にしてんじゃないかよ!」
ケイトが 辛辣なのは いつものことで、ルシフェルが いちいち反応して怒るのも、いつものことだ。
それこそ、六組の面々は 『あぁ、今日もうちのクラスは平和だなぁ』と、のんびり 食事を楽しんでいたところに―――。
それは、現れた。
※ ※ ※
「…… 入口の方を みんな見てるけど」
「なんか、あったのか?」
近くで ささやかれる声に、ルシフェルも 無意識に 入口付近を振り返る。
すると、目に飛び込んできたのは。
黒の上下が基本の 普通科において、嫌でも目立つ、白の制服。
「何で 音楽科のヤツが……?」
音楽科は、中庭を挟んで 反対側の校舎であり、通常 二つの科の交流は まったく無い。
普通に学院生活を送っていれば、関わることもない 白の制服が、何故か このお昼の時間、普通科の食堂に現れ、そして。
きょろきょろと 周囲を見渡したあと、ルシフェルの姿を その目がとらえる。
「…… へ?」
ざわつく 生徒たちに 目もくれず、真っ直ぐ ルシフェル目がけて 近寄る表情は、どこか常軌を逸していた。
あまりの 急なできごとに、ぽかんと スプーンを持ったまま固まる ルシフェル。
その 小さな襟もとを、ぐっと掴んで 男は叫んだ。
「貴様 …… よくも!」
華奢なルシフェルなど 宙吊りになりそうなくらい、男の力は強力で。
なすすべもなく、殴られる――― と、覚悟をして ぎゅっと 目を閉じることしかできなかった。
※ ※ ※
「あれ?」
いつまで経っても 襲ってこない衝撃に、不思議に思って 目を開けてみると。
「…… ナギ ……」
振り上げた男の手は、ナギに しっかりと押さえられていた。
「…… 神聖な食事中に、随分な 客が来たものだ。 ――― メンデル、コルト先生に至急連絡を」
「お…… おう!」
ケイトはケイトで、相変わらず 冷静に、クラスで 一番の俊足を誇る メンデルに伝令を頼んでいる。
それを見た 他のクラスメイトも 慌てて立ち上がり、ルシフェルから 男を引きはがしにかかった。
「何をするんだ、貴様ら、離せぇ!」
「てめぇこそ、普通科に 何しに来てんだよ!」
「ルシェルから 離れろよ!」
普段から、一致団結している六組に 敵うはずもなく、男は あっさりと 取り押さえられた。
そこへ、メンデルに連れられて、担任のコルトが 到着する。
「おいおい…… メシの時間に、何をやらかしてくれるんだ、お前さんたちは」
「俺たちは、何もしてねーよ」
「コイツが、いきなり入って来たんだってば」
「全員、目撃者だぜ?」
「な~ みんな」
口々に 状況説明をする 教え子たちに、コルトは やれやれと苦笑した。
「わかった わかった。 みんなは メシに戻れ。 ルシフェルは……」
そう言って、まだ 半分しか減っていない ランチに目を止めた コルトは、しれっと言う。
「ルシフェルは、ちゃんと食ってからでいいから、職員室な?」
「は~い ……」
「何でだよ 先生。 ルシフェルは 被害者だろ?」
「双方の 言い分を聞かないと、いけないだろーが」
「そんなヤツ 島流しにしちまえよ~」
そんな六組の ヤジも気にせずに、男は ただ こちらを睨みつけている。
コルトと 男の姿が消えたあとで、ルシフェルは ふぅ~っと 詰めていた息を吐き出した。
ナギが、背中を押して 座らせてくれる。
「災難だったな…… 知り合いか、アイツ?」
「直接は知らないけど……」
「…… けど、何?」
顔は知らないが、心当たりは ある。
音楽科の 制服で、自分よりも 上級生の タイの色。
おそらく、彼が。
ヨシュアに 言い寄り、振られた 腹いせに 伴奏を放棄した、ロバートなのだろう。
しかし、彼が、何故 自分のところへ来たのか。
「ルシフェル? 大丈夫か?」
疑問に思ったことは、そのあと すぐに 判明するのである。