はじまりは フルートと ともに … 3
『静かな 夜のはじまり。
深夜に 降りだす雨。
そして、夜明けとともに 雨はやみ、朝日が 濡れた葉を 照らす―――』
若い フルート奏者のために 書かれた、作品二十八なのだ。
朝露が キラキラと輝くような、初々しい 爽やかさを表現できるか…… それが、この曲の 判断の基準なのだが。
ルシフェルの ピアノが流れた瞬間に、居合わせた 教官は、誰もが 息を飲んだ。
これは――― 厳密にいうならば、《伴奏》としての 役割からは 大きく外れているのではないか。
ピアノが、前に 出過ぎではないのか。
演奏者を 食いつぶすような、出だしの 強引さに、口が 半開きの教官もいたほどだ。
今すぐ、演奏を 止めさせるべきだ。
主任を務める ワイズ教授が、声を出そうとして――――。
「…… ……」
声が、出せなくなった。
ヨシュアの フルートが、会場を とらえだしたからだ。
「なんと……」
まだ 幼さの残る、初々しい演奏しか 知らなかった。
技術面でも 優秀で、このままいけば 良い演奏家になると 早くから期待されてきた、ヨシュア・ナリミヤ。
あくまでも 忠実に、その反面 硬さが目立つ、優等生タイプの 奏者であったはずなのに。
これは、何だ。
基本のポイントは すべてクリアしていて。 何の 問題もないうえに。
この場が ホールではなく、教会にいるような、静かで 荘厳な 空気に変わっていたのだ。
言いたいことは、山ほど あった。
授業で 教えたはずの、正規の 《演奏》ではないと…… 注意するべきなのに。
「…… ブラボー ……」
誰かが、ぽつりと 漏らしたのが、偽らざる 《本音》なのだあろう。
認めるしかない。
目の前で 行われた、ヨシュアの 演奏は。
聴いたことがないくらい、情熱的で、それでいて 気高くて。
神が 降臨したのかと 思わせるような、鳥肌の立つ 音色だった。
「ブラボー!」
「ブラボー!」
「素晴らしいよ、ナリミヤ君!」
「とても 良かったよ!」
口々に 称賛の言葉を投げかける 教官たちに 苦笑いしながら、ヨシュアと ルシフェルは、舞台の袖へと 帰っていった。
※ ※ ※
「ルシフェルさん…… ありがとうございました」
ヨシュアは、控室に戻って、ペコリと 頭を下げた。
「…… ごめん、久々だったから、ちょっと興奮し過ぎて――― ボク、とばし過ぎたかも……」
終って冷静になってみれば。
音符の間違えだけでも、かなりの数になる。
「七か所も 間違えた気がするし……」
伴奏者のミスは、ソロ奏者にとって 迷惑でしかない。
「――― 八か所だよ、ルル」
いつの間にか、ヨンハが 控室の中に 入ってきていた。
「げっ……」
「まったく、ああいう ところは 全然進歩してないね、お姫様?」
「おっ…… 《お姫様》言うな!」
本来、《ルル》 という言葉には 《お姫様》という意味があった。
だから、男子校である アスタルテで、その呼び名は マズイ。
「ルシフェルなんて 長くて言いづらいんだから、ルルで いいじゃないの」
ニヤニヤ顔の男は 無視することにして、ルシフェルは ヨシュアに向き合う。
「…… 試験、なんとか合格するといいね。 あんまり チカラにはなれなかったけど」
「そんなことないです! 僕…… 今日の演奏、今までで 一番のデキでした! ルシフェルさんの おかげです!」
「ね~、だから 言ったでしょ? ルルが 《適任》だってさ~」
「うるさいよ、先輩。 …… っていうか、普通科は 今の時間、授業中なんですけど」
音楽科は 試験をやっているが、中庭を挟んで 向こう側の普通科は、午前中の授業の 真っ最中だ。
「すっ…… すいません、ごめんなさい! 僕のせいでっ……!」
「…… ヨシュア君のせいじゃないよ、拉致した ヨンハ先輩のせいだから」
冷たく睨んでも、相手は動じない。 なんといっても、チェ・ヨンハなのだ。
「ボクも、演奏 楽しかったよ。 とりあえず、もう戻らなきゃ。じゃあね」
ルシフェルは ヨシュアに軽く挨拶をして、控室から 急いで 中庭を目指すことにした。
※ ※ ※
「あ~ もう! 着替えるの 面倒くさい!」
試験といえど、人前で 演奏するからには、それなりの 《服装》というのが 必要だった。
急遽、ヨンハに手渡された 彼の《お下がり》――― 黒の 燕尾服と、白いシャツブラウス。
普通科にいたら、まったく 縁のない 出で立ちだ。
一瞬、着替えるかどうか 迷ったのだが。
この時間、授業の 三時間目は…… ルシフェルの 担任である、コルトの授業のはずだ。
ちょっと ダルそうな 口調と風体だが、彼の授業は おもしろいし ためになる。
それに、コルトなら、この 目立つ服装のことも 笑い飛ばしてくれそうだ。
「いいや…… 着替えないで、戻っちゃえ!」
ルシフェルは、自分の 制服を抱えながら、とにかく 授業に出席することを優先して、走り出した。
※ ※ ※
「お~、何だ、何かの お祭りか、ルシフェル?」
「遅れて すみません。 突然現れた 《お祭り男》に 拉致されていまして」
「…… 《フェルミナ》か? ――― そりゃ、気の毒に」
お祭り男で 通じてしまうなんて…… ヨンハよ、普段は 何をしているんだか。
「お前と ヨンハに接点があるとは 知らなかったな。 …… いや、向こうさんは、前から 目を付けていたのかもしれないな」
「あ~ あり得る!」
「普通科の 《アイドル》だもんな~、ルシフェルは」
「アイドルじゃ ないってば!」
はやし立てる クライメイトに怒りながら、ようやく自分の席に着く。
「…… 何が起こると、そういう 格好になるの?」
ふと、隣から 静かな声がかかった。
クラスの委員長、ケイトだ。
「…… 巻き込まれただけ、なんだけど」
「…… ふ~ん ……」
「何か言いたそうだけど、何?」
「まぁ、途中で着替えなくて、正解だったかもね」
「!」
それきり、ケイトは また前を向いてしまった。
引っかかる、言葉だ。
実は、今のが 初めてではない。
入学してから ずっと、ケイトには 自分の正体が バレているのではないか…… と、疑うことが 多々あったのだ。
ルシフェルの――― 正体。
それは、本当は 《女の子》だと いうことだ。
入学の際の 健康診断の時は、知り合いの医者に頼んで、書類をごまかした。
なんといっても、ここは女人禁制の 男子校だ。 女子が 入学できるわけがない。
そんな、危険を冒してまで、この学校に こだわったのには、ルシフェルなりの 事情がある。
※ ※ ※
ルシフェルの家は、五人家族だった。
優しい父の ロイド、天然な母の サラ、そして 弟のアンシェルに 妹のユフィ。
父は ここ アスタルテの卒業生で、ピアニストだった。
母は 違う音楽学校の出で、声楽家だ。
賑やかな家庭内には、常に 《笑い》と 《音楽》で溢れていて。
誰もが うらやむような、理想の家族。
しかし、それも長くは 続かなかった。
末っ子の ユフィが生まれてから、父は ボランティア活動を増やしていき、無償でのコンサートや、若い生徒の育成に チカラを入れるようになっていた。
音楽の チカラで、人々を 笑顔にしたい――― それは、生前の 父の口癖だ。
ルシフェルが 十二歳のとき、隣の国で 原因不明の 《流行り病》で死者が相次ぎ、我が国からも 医者や看護師、薬や食料などが 送られていた。
後になって 原因は特定されたが、当時は わからぬまま 手遅れになる者も多く、村ごと 全滅した地域も少なくない。
そんな 危険地帯に、せめて 最期は幸せな気持ちで 送り出したい――― そういう考えのもと、音楽隊が結成された時に、ルシフェルは 嫌な予感がしたのだ。
このまま、父を行かせてはならない。
漠然と 思い、必死で止めたにもかかわらず。
父は、母を伴って ある村へ 慰問演奏へと出発し………。
二人とも、帰らぬ人と なってしまったのだ。
※ ※ ※
ルシフェルは 十二歳、弟の アンシェルは 十歳、 妹 ユフィは まだ三歳だった。
親戚はいなく、祖父母もいない。
ましてや 弟は 病弱で、ベットから ほとんど出られない体ときている。
とにかく、働くしか ない。
友人の エステルにも手伝ってもらい、働き口の多い この町に引っ越した。
子供でも雇ってもらえる アルバイトを掛け持ちして。
ルシフェルに できることは、そんなに多くはない。
女の子と見られれば 危ないこともあるため、髪を切って 男装もした。
もともと 女の子っぽくはない、中性的な容姿だから、誰も 疑わなかった。
金の巻き毛に、くりくりとした 瞳。
ルシフェルという名前には 《天使》という意味がある。
可愛らしい 《天使みたいな男の子》というのが、新しくついた ルシフェルのイメージだった。
学校へ行く暇もなく、でも 家族との時間は 削らない。
そんな 頑張る ルシフェルの姿を見て、幼い妹は 家事を率先して手伝ってくれるようになり、弟は 縫物など 座ってできることを担当した。
また、勉強の好きな 弟は、近所の子供たちを集めて、自宅で勉強を教えるようになり、家計を支えてくれた。
そうやって、なんとか 助けあってきたが、現実は そう甘くはない。
アルバイト程度では、所詮は 稼ぎが少ない。
妹には、きちんと学校に行かせてあげたかった。
弟だって、無理をしなければ 通学が可能なまでに、体力もついた。
ちゃんと、同じ年代の子供同士で、学ばせてあげたい。
けれど、それには まとまった お金が必要になる。
学歴が無いままだと、いつまで経っても アルバイトしか できない。
せめて、高等学校を卒業する程度の学力が、欲しい。
そして、見つけたのが アスタルテの《奨学金制度》だった。
入学試験と、定期試験をクリアしていけば、無償で 学校に通える。
しかも、アスタルテは 国立であり、レベル的にも みんなが憧れるような学校だ。
性別を偽るのだから、厳密には 《卒業証書》は 無効になるだろう。
それでも、アスタルテを卒業すれば、たとえ 女の子としての生活に戻ったとしても――― 周囲の男に ヒケをとらない程度の 学力は身に付く。 それは、やがて 就職に役に立つ。
家族と一緒にいられて、夜は アルバイトができて、学校にも通える…… そんな ルシフェルにとって、都合のいい学校は、アスタルテしかない――― 失うわけにはいかない。
弟と 近所の学生に 勉強をみてもらって、なんとか 入学できたのだ。
女の子として バレないように、なんとか 三年間 静かに 暮らす…… それがベストなのだ。
※ ※ ※
ケイトは、何か 感付いているような素振りを見せるのに、それ以上 追求することもない。
弱みを握られているようで 居心地は悪かったが、オドオドしていても 仕方がないから、ルシフェルも いつも通りで 接するようにしていた。
「ほい、じゃあ 授業はここまでだ。 次の時間までに 復習しておけよ~」
「え~ …… 復習するほど、授業進んでないじゃん」
「脱線話が多すぎて、もはや 授業とは呼べないよな」
「言えてる~」
どっと笑う生徒たちに、コルトは やれやれと肩をすくめる。
「まぁ、楽しんだなら 何よりだ」
「それ、先生が言っちゃ マズイでしょ!」
「職務怠慢~ で、教頭に呼び出されるよ~」
そんな 騒がしいクラスメイトの声を背中に、ルシフェルは 元の制服を着替えるために、教室から離れた 《空き部屋》へと 向かうのだった。
物語の 全体像は、おおむね このような感じです。
不定期に 更新しますので、たまには ふらっと お立ち寄り下さいね。