孤独なヴァイオリニストに 祝福を… 7
試験はすべて終わり、あとは 試験の結果待ちのみ ――― の普通科と。
実技の 試験真っ最中の、音楽科。
本来、接点など ほとんどない、黒の制服と 白の制服が向かい合うのは、音楽科校舎にある、小さな演奏室だった。
小、中、大の 大きさのホールとは別に、少人数のみの前で演奏を披露する場所は、《サロン》と呼ばれ、申請さえすれば 生徒でも使用が可能だ。
裕福な家庭の、くつろげる居間 ――― そういう雰囲気の内装は、昔の貴族の習慣からきている。
現代もそうだが、昔は この国を含め どこの国でも、音楽など 貴族以外は触れる機会などなかった、いわば 《贅沢な遊び》の一種だった。
貴族の音楽家は、自宅に友人や 自分を援助してくれる関係者などを集め、小さな演奏会を開く。 そして、それは 腕前を磨くための修行の一環であり、顔つなぎの意味もあり、自らの権力を誇示する場でもあったという。
「……… ボクから言わせてもらうと、音楽を 《政治》に利用するなってことだよね」
ただ、純粋に。
音楽を披露し、聞き手は その音の輝きに酔いしれる。
「そういう 時間の使い方こそ、何よりの 《贅沢な時間》だと思うんだけど」
茶色で統一されたアンティークなソファー、照明器具、窓にかけられたカーテン、床に敷かれた絨毯。
部屋の 一番奥に置かれたピアノ以外、貴族の部屋 そのもの。
その 《サロン》に、ルシフェルが 何故 立っているかといえば。
「…………… で? 今度は、いったい 何なの?」
数歩離れた位置に、無言のまま 立ち尽くす、白い音楽科の制服の少年。
赤いタイの色で、高等部の一年、ルシフェルと同学年ということがわかる。
「………… 前にも言ったと思うけど」
今は、放課後だ。
試験が終わり、通常授業に戻った普通科は、もちろん 授業内での小テストも復活しており。
「……… 試験の添削で忙しいはずなのに ……… ご丁寧に、ちまちました 小テストなるものがあるおかげで、ボクは忙しいんだけど!」
教師陣に、モノ申したい。
添削に集中してくれ。
「試験明けで、バイト再開で忙しいし、ボクは疲れてるんだっつうの! そんな時に、物理のテストとか、頭イカれているとしか思えない、何を考え ――――――」
「―――――――― ルシフェル・ターナー」
物言わぬ石造のように 微動だにしなかったレニアス・コールドが、遮るようにして口を開いた。
「君に ………… 頼みが、ある」
「………… ボクに?」
「…………」
頼みというからには、音楽に関すること以外に ない。
「…… 音楽科は、まだ 実技試験の途中でしょ? もしかして ――――」
「試験は、全部で四曲ある。 終えたのは前半分、そのうちの二曲だ」
試験は、第一専攻 第二専攻の楽器、それぞれ二曲の合計四曲。
前半は、課題曲。 後半が 自由曲、生徒たちの もっともチカラが入る曲目だった。
「俺は、第二専攻でピアノを取っている」
「え、レニアス、ピアノだったの?」
以外な楽器の選考に、ルシフェルは素直に驚いた。
「…… 仕方がないだろう。 俺はヴァイオリン以外、本当は扱うつもりはなかったんだが」
「あ、そっか。 校則だっけ?」
必ず、第一専攻の楽器の他に、別の楽器を学ぶこと。
音楽性を養うために、他の楽器を知るということは 確かに重要なことといえよう。
「ふーん …… ピアノ、か」
初心者でも 扱いがしやすい楽器の上位に 常に君臨しているから、当然かもしれない。
初心者から 上級者まで、長い 長い道のりを経なければならない、気軽なようでいて 強大な壁。
「明日、ピアノの自由曲の試験がある」
「知っての通り、ボクが 音楽科の人に教えられるコトなんて、何もないよ?」
「…… それは、期待していない」
「あっそ。 …… 自分で言っておきながら、じわじわとムカツクな」
ピアノに関しての知識など、音楽家の生徒には 遠く及ばないのは当たり前。
それでは、何のために、ルシフェルを さざわざ呼び出したのか。
「明後日の ……… 第一専攻の楽器の、自由曲に関して。 君に、頼みたい」
「だーかーら、何を?」
「―――― 伴奏を、お願いできないだろうか」
「……… 何で?」
「え?」
ここまできて、レニアスは ようやく ルシフェルと視線が交わった。
彼自身は無意識であったのだろうが、先ほどからずっと ルシフェルとは別の方向ばかり見て 話をしていたのである。
それは、今まで ルシフェルのことを《素人同然》と思い、見下した態度で接してきたことへの 罪悪感からなのか。
「何で、ボクに伴奏をして欲しいって、思ったの?」
「それ、は ………」
時間が 無いから?
たまたま、知り合ったから?
普通科は ヒマそうに見えるから?
「ち、違う! 今は …… 今は、決して そんな風に考えているわけでは ――――」
「じゃあ、何で?」
ルシフェルの 瞳が、レニアスを捉える。
ごまかしも、言い逃れも、許さない ……… そんな迫力で、答えを促す。
「俺は ……………」
レニアスは、観念したように ぽつりぽつりと 語りだした。
※ ※ ※
「俺は ……… 奢っていたのかもしれない」
練習するのが、当たり前。
音楽に身を捧げ、音楽のことだけを考えて。
「ひたすら、弾いて 弾いて 弾いて ……… そうすることだけが、正しいと思っていた」
それしか、高みへ繋がる道など ありはしないと、信じて 疑わなかった。
作者への理解と、曲に対する 解釈の正確さ、それらを再現するための 演奏技術。
どれもが、努力以外に 手に入れる方法など あるわけがない、と。
「それが、間違っているとは 思わない。 ……… 今も」
ただ、その他に。
「一般的に 《正しい》とか《正確だ》と 評されているもの以外にも、音楽はある ――― 今までの俺は、それが許せなかったし、認められないと ずっと思ってきた。 けれど、この間 ………」
いざ、自分自身が 急に演奏ができなくなってしまったときに。
「君は、俺に 聞いてきた。 何を考えて、演奏してきたか …… と」
「…… ボクじゃなくても、たいていの人は 普通 気になるところだろうと思うけど」
レニアスを取り巻いている、特殊な 英才教育というものが、そうさせてしまったのかもしれない。
そう考えてみると、彼は 彼で、気の毒だといえよう。
「正しい演奏は、必要なことだよ。 自由って言ったって、音楽を崩していいわけがない」
そんなものは、音楽とは 呼ばない。
「でも、正しいってことだけに重点を置いた 《音楽》も、それは それで 《味気ない》と思わない?」
「…… 味気、ない ……」
個性を やたらと主張するのが、いい音楽なのか。
解釈を 無視した演奏が、素晴らしい演奏なのか。
「未熟なボクにも わかるのは、どれも 《違う》ってことぐらいかな」
「どれも、違う?」
「そ。 だって、結局は、何かに対して 《偏る》ってことなんじゃない?」
偏ったモノに対しては、必然と 好みがわかれるものだ。
料理と同じで、聞き手の 好き嫌いが ハッキリと出てしまう。
では、聞き手に対して 媚びればよいのか?
大衆に受け入れられそうな、無難な演奏が良いのかというと、それも 違う。
「ボクの師匠は、《音楽とは挑戦するものだ》って、常に言ってた」
何が 正しいか。 何が 素晴らしいか。
探しても、さがしても、答えなど 見つからない。
「だから、人は 奏で続ける。 自分の理想の音に向かって」
それには、近道なんてない。
方法も、手段も、千差万別、十人十色。
「挑戦し続けるためには、自分自身の 《扉》を閉めてしまわないこと。 出会った 《刺激》に対して、素通りしないこと」
異なるモノを 否定せず、受け入れること。
始まりは、すべて そこからだ。
「それで? 《今のレニアス》は、どうしたいの?」
何を 思って、ルシフェルに助けを求めるのか。
「―――――― 知りたいんだ」
「…… 知りたい?」
「君が …… 君が奏でていた音は、これまで 俺が出会ったことのないものだった」
だから、拒否感が 先に立った。
気になっているから、余計に 腹が立った。
気になっている自分自身に驚き、戸惑って ―――― それまでの演奏を 見失ってしまうほど。
「君の持つ その《音》、君が作りだす その《音楽》、《世界観》 ……… どれも、俺には想像もつかないものばかりだ。 だから、知りたい」
知るには、近づくためには。
「君に、伴奏をしてほしい。 一緒に演奏をすることで、何かが 見えてくるかもしれないから」
「……… 試験だよ? しかも、最終日の、一番 《重要》な、自由曲だよ?」
授業の一環や、放課後の 課外活動とは ワケが違う。
試験で つまずくということは、実技 重視の音楽科生徒にとっては致命的。
「ボクは、ハッキリ言って 《伴奏》には向いてないでしょ ……… それは、自分でも よくわかってる」
伴奏とは、本来 主役である演奏者に対しての、添え物。
決して 目立つ存在であってはならないもの。
「……… 確かに、正確に言えば 君のピアノは伴奏というよりも、《合奏》と言ったほうが近いのかもしれない」
それでいて、演奏者を揺さぶり、気持ちを高ぶらせ、時には支え、時には 誘導する。
もっと、自分は できるはずだ。
もっと、弾きたい、音を出したい。
内側からくる 正体不明の 《熱》に突き動かされる、不思議な感覚。
「先日の、チェ・ヨンハ先輩の伴奏は、素晴らしかった。 先輩のピアノは完璧で、非の打ちどころなど 見つからない、まさか あれほどの腕前の持ち主とは ………」
「そりゃあ、そうでしょ。 あの人は、別格。 別次元。 誰も 真似できないし、追いつけない」
普通科に所属しているのは なぜなのか。
ヨンハは いつだって、さっぱり わからない男だ。
「……… だが、俺は ……… 君が、いい。 もし、もう一度 チェ先輩が申し出てくれたとしても」
俺は、君が いい。
君のピアノで、ヴァイオリンを弾いてみたい。
それは まるで、熱烈な 愛の告白のようだった。
「……… レニアス」
うーん、あぶない、あぶない。
こんな場面、他の生徒に聞かれでもしたら、《よからぬ想像》を掻き立て、妙なウワサが立ってしまうところだ。
お坊ちゃま育ちは、恐ろしい。
外の世界では、うす汚れたモノが ゴロゴロ転がっているのだから。
「……… ね、曲は 何を選んだの?」
「ひ、引き受けてくれるのか?」
「うーん、曲にもよるかな」
試験は 明後日なのだ。
楽譜を 書き換えたとしても、知らない曲や あまりにも難解な曲であれば、難しくなる。
「ボクが、できそうなヤツ?」
「ウルラフストの、《リーヴェルータ》だ」
「リーヴェルータ!?」
曲名を告げられ、ルシフェルは 耳を疑った。
「レニアス、あんた 選曲を間違えてない!? 何で、よりによって ……」
リーヴェルータ。
ヴァイオリニストでなくとも 知らぬ人はいない、名曲中の 名曲。
難易度は さることながら、この曲の一番注目すべき部分は。
「……… あのね、レニアス。 リーヴェルータは、特に 感情を込めて、面倒くさいほど 《個性的》に己を出し切って弾く曲だって、当然 知っているよね?」
普通、技術を見せるだけなら、この曲は選ばない。
感情を表に出して 華やかに弾くことを得意とする者 ―――― そういう者にとっては 最高の曲と呼べるのだが。
「何で、それに したの?」
「……… 今回の選曲の基準は、自分の 不得意な曲調から選ぶのが決まりだったから」
「あー、なるほどね。 それなら 納得」
少なくとも、今のレニアスには、まだ 感情ぶっちぎりの演奏など不可能だろう。
「はー ……… レニアスが、リーヴェルータね ……… これは、予想以上の 強敵だわ」
「文句を聞きたいわけじゃない。 それで、どうなんだ?」
「リーヴェルータなら ……… いいよ」
過去に何度も、その曲で 伴奏を弾かされたルシフェルにとって、馴染みの深い曲である。
コンクールや 演奏会で、散々 引っ張りまわしてくれた 《ある二人組》のせいで、一時期 嫌いになりかけたりもした。
リーヴェルータなら、知り尽くしていると言っても 過言ではないほどだ。
「……… いいよ、引き受けた」
引き受けたからには。
「さっさと、練習しよう。 練習室が満室だから、わざわざ このサロンを借りてきたんでしょ?」
夜は、バイトがあるので あまり時間が無い。
「……… ボクを選んで 後悔されたんじゃ、ボクのプライドが許さないからね」
ルシフェルしか、もう 考えられない ――― と。
「ボクの全力をもって ――――― 」
「!」
蠱惑的に 微笑むルシフェルに、レニアスは 息をのむ。
このときばかりは、《輝きの天使》ではなく、神話に登場する 《誘惑の悪魔》そのものの表情で。
「ボク式の 《リーヴェルータ》に、引き込んであげる」
悪魔へと変化した ルシフェルを止められるのは、おそらく 誰もいないだろう。
《常勝ピアニスト》。
ルシフェルの威力を発揮する 《最高の舞台》が近付いていることを、まだ 誰も知らなかったのである。
お久しぶりでございます。
レニアス君の試験にまつわる話も、次話あたりで落ち着きそうな予感。
そのあとは、夏休み編。
学生といえば、夏休みでしょう。休みの間にいろいろ展開が……。
次回もお楽しみに。




