孤独なヴァイオリニストに 祝福を… 6
元々、才能があるのだ。
さらに、音楽とは 《何か》と、常に真摯に向き合い 努力を怠らないレニアスだからこそ。
「な …… な ……」
ルシフェルの伴奏に、なかば強引に導かれた状態での演奏を終えて、彼は 呆然と 自身のヴァイオリンを見つめていた。
レニアスは、わが身に 何が起きたのか、まったくわかってはいなかった。
ただ、弾けた。
今まで通りに ―― 否、今までとは違う、もっと別のモノ。
「君は …… いったい ……」
強引だが、レニアスは すぐに気づいていた。
ルシフェルの奏でる音の ひとつひとつが、ひどく柔らかいものだということを。
戸惑うレニアスごと すっぽりと包み込んでしまう、優しくて強い、意志のある 音。
レニアスは、今まで 伴奏者に引きずられることなど、一度もなかった。
それは、彼のプライドが許さなかったからだ。
伴奏は、あくまでも 演奏の 《添え物》。 メインは、自分だと 譲りはしなかった。
それが ――― いくら、演奏に苦しんでいたとはいえ。
あまりにも、簡単に。 あっけないほど。
自分のヴァイオリンを 食らいつくさんばかりの勢いに、知らず 夢中になって。
「俺、は ……」
「ね、どうだった? 初めて《暴走》した感じは?」
「ぼ、暴走、だと ……?」
「あ、言い方 間違った。 暴走じゃなくて ……《解放》、かな?」
「解放?」
今まで、内に閉じ込めてきた、感情というものの、解放。
「別にさ、自分を律して、ストイックに演奏することも、悪いことじゃあないと思うけど。 でも、少なくとも、それは 《すべて》を経験した上で、そこに辿り着いた場合だと思うんだよね」
うまく、言葉では説明しきれないけれど。
「たまには、心の赴くままに 音を出したって、いいんじゃない? あんたには、当然、感情があるんだしさ」
イライラするのも、落ち込むのも、焦るのも、怯えるのも、すべてを含めて。
「それが、《今の》レニアスなら、それでいいじゃない。 自分と向き合って、折り合いつけて …… それで、それから自分の理想の音を目指したって、遅くはないんじゃない?」
少なくとも、知らないよりは、知っていたほうがいい。
「僕から言えるのは、まあ こんなところかな。 さ、あまり時間がないんでしょ?」
刻々と、試験の時間が迫ってきている。
「ね、ひとつ聞くけど、さっき どんな感じだった?」
ルシフェルは、小首を傾げて、小悪魔的にほほ笑む。
「!」
「ほんの少しでも、嫌悪感が無いんだったら …… 」
きっと、ボクたちの 《相性》は、悪くはないはずだよ。
「な ……」
ルシフェル自身には、深い意味はないが、この 中性的な容姿と 蠱惑的な眼差しに、レニアスの心臓は どくんと大きく跳ねる。
「…… 案外、ボクらは ―――」
「…… はい、ストップ」
「!」
ぬっと、ルシフェルの体を引き寄せたのは、ヨンハだった。
「ヨンハ先輩? …… 何でいるの?」
「まったく、危ない お姫様だね。 ところかまわず、相手を 《誘惑》するなんて いけない子だ」
「ゆーわく? なに、それ?」
「自覚がないから、タチが悪い」
「訳わかんないこと言って、いったい 何が ……」
ジタバタと暴れるルシフェルを 軽々と抑えつけながら、ヨンハは 若干頬を染めたレニアスに 向き合う。
「時間がないから、単刀直入に聞くよ? レニアス君、伴奏者を お探しではないかい?」
「そ、それは ……」
「このまま、試験の申請とは異なり、《無伴奏》で演奏するか、それとも 急きょ 伴奏者を手に入れるか ――― どちらが、君にとっては いい選択だろうね?」
「…… ヨンハ先輩? そんな事言って、今回も どうせボクに話をもっていく気で ……」
それでも いいかと思えたから、ルシフェルも、わざわざレニアスに会いに来たようなものだったが。
「今回は ――― 君には出させないよ」
「え?」
「レニアス君。 君の伴奏者 …… この チェ・ヨンハでは、不満かい?」
「!!!」
ヨンハの言葉に、ルシフェルは 一人、声にならない悲鳴をあげてしまったのだ。
※ ※ ※
階段を、猛スピードで駆け下りすぎて、体が宙に浮いたと気が付いた瞬間。
「…… 何やってんだ」
待ち構えていたかのように、ナギに受け止められ、すとんと 地面に着地する。
「まったく、何もないところで、自分から怪我するつもりか?」
「えっ、あ、ありがとう、ナギ! それより、聞いて! 大変なことが起きたの!」
大変と言う割に、ルシフェルの表情は 暗くない。
むしろ、興奮しすぎて、頬はバラ色状態だ。
「何があった? レニアス・コールドは どうした?」
「それが …… ボク、伴奏をやってもいいかな~ とか思ったから、ちょっと お節介焼いたんだけどさ」
それについては、ナギは知っている。
知っていて、止めなかった。
「伴奏、ボクじゃなくて …… すっっっごい人が、出てきたんだよ!」
「すごい人 ……?」
ルシフェル自体、音楽科の連中からしたら、すでに 《スゴイ人》になっているというのに。
これ以上、何があるというのか。
「こうしちゃいられない、どうしよう、舞台袖で聞いたほうが より近いかな? でも、せっかくだから、ホールの方で聞いたほうがいいのかな、でも、でも!」
「…… いいから、落ち着け。 いったい、何が、どうなってる?」
「落ち着いてなんか いられるもんか! だって、だって、ああ どうしよう!」
伴奏者として、ヨンハが 出てくる。
あの、ヨンハが。
「…… そんなに、スゴイのか?」
ワケありで、どこまでも 胡散臭い、あのチェ・ヨンハが、実は演奏家としては 優秀で、ルシフェルの憧れの君であることは、ナギも知っていた。
音楽に対して、ひたすら隠し通してきたはずなのに、今さら どういう風の吹き回しだ。
「…… ホールに、入るぞ」
「やっぱ、そうだよね!?」
「ほら、こっちだ。 足音は立てるなよ?」
試験中、ホール内に入れるのは、試験官である教師と、一部の生徒のみ。
教師陣で 埋め尽くされている場所に、危険が無いといえば ウソにはなるが。
興奮しすぎて、瞳を潤ませているルシフェルが、何かをやらかすよりは、誘導して、安全を確保した方が、よほどいい。
「…… そんなに、好き、か?」
「え?」
言った瞬間、即座に 後悔が襲う。
こんなことは、言うべきではないし、聞くべきでもない。
期待なんか、してはいけないのだから。
「…… 何でもない」
「ナギ?」
身分を偽り、隠しているのは ナギも同じだった。
まして、自分は 守る対象の ルシフェルに対しても、大きな ウソをつき続けている。
真実を知られたら、嫌われるのは当然。
憎まれることだって、覚悟している。 わかっていて、承諾をしたのだ。
「…… ナギ?」
「…… 何でもない」
鈍感なくせに、時々 妙なところだけ鋭い、厄介な 《お姫様》。
「ほら、次が レニアスと …… ヨンハの出番だぞ?」
「ん ……」
至近距離で ささやくと、ルシフェルは くすぐったそうに、モゾモゾと動く。
――――― まったく。
タチが悪い。
「………… !」
レニアスに従い、舞台上に 姿を現したヨンハに対し、その場の誰もが、口をパクパクとさせていた。
「ヨ、ヨンハ君!?」
「レニアス・コールド、これは いったい、どういうことかね?」
「なぜ、ここに、チェ・ヨンハ君が ……」
いつもと変わらないヨンハの 薄ら笑いに、教師陣たちの混乱は 最高潮に達する。
そんな中で、腹を決めたのか、レニアスは淡々としていた。
「急遽、伴奏者を変更しました。 許可をお願いします」
「何を考えているんだね、君は!」
「普通科の、こんな 《遊び人》を!」
「…… やーだな~。 そんな 《遊び人》に対して、《関係》を迫ったのは、どこのどなたですかね~、ヒューズ先生?」
「!」
「ワイマール教授だって、ね? 僕のこと、悪くは言えないですもんね?」
にっこりと、妖艶な仕草で、しーっとポーズを作る。
どうやら、教師陣たちの 《弱み》を、確実に握っているようだった。
「…… ヨンハ先輩 …… 普段、なにしてるの……」
がっくりと、ルシフェルは脱力した。
もう、信じらんない、最低、サイテー!
「こら、静かにしろ、ルシフェル」
思わず叫びだす寸前で、ナギに口を塞がれて、モゴモゴと くぐもった声になる。
「…… 演奏、聞きたいんだろ? なら、おとなしく座ってろ」
「はーい ……」
ナギの言う通り、久々の、ヨンハの演奏なのだ。
何故、普通科にいるのか。
何故、今まで 音楽とは無縁の生活ばかりしていたのか。
演奏家であることを、まるで 隠すかのように。
この演奏を聴けば、答えにたどり着くのだろうか。
※ ※ ※
レニアスの 課題曲、「夏の景色」、冒頭部分。
夏と聞いて、思い描くのは 人それぞれだ。
カラッとした暑さだったり、重苦しい 猛暑だったり、夜の涼しさや、夏 独特の 心が躍るような、高揚感だったり。
この曲は、伴奏の出だしで すべてが決まるとも言われている、名曲ではあるが。
「!」
「!」
「!」
圧倒的な 支配力で、ヨンハが会場のすべてを 捕えにかかる。
「…… !」
ルシフェルの耳に、嫌でも纏わりつく、音、音、音。
あまりの衝撃に、一瞬 気が遠くなりそうな感覚さえある中から ――――。
ラーーーーーーン
気高い、音が 渦巻く空気から 飛び出してきた。
「これが …… レニアスの、音?」
ヨンハの破壊力をも かわし、凛と咲く 一輪の花のように。
「………………」
結局、あっという間に、演奏は終わっていた。
衝撃的なことが多すぎて、演奏が終了し、二人が 舞台から姿を消しても、拍手さえも湧き起こらなかったのである。




