父の楽譜と 恋するトランペット奏者 4
午後の授業は、それこそ まったく頭に入ってこなかった。
昼休み、ヨンハを追って音楽科の校舎に行き、先輩たちと出会って、入室禁止の資料室に侵入したまではよかったのだが。
「………… 何で?」
大好きな 担任・コルトの授業だというのに、ルシフェルの瞳には 何も映ってはいなかった。
卒業生の中でも、特に 優秀な、評価の良かった者の記録が収められている、《資料室・六》。
校内の試験で 堂々の 《主席》を数多く取っていた、父・ロイドのことは、この歳になって初めて知った。
ただの 音楽好きの、優しい父 …… という印象しかなかったが、実は 音楽科に多くの伝説を残していた 《超 有名人》とは、若干 信じられない気持もあるのだが。
それ以上に。
そんな父なら、それこそ 厳重に、大切に 《記録》が残されているはずなのに。
試験の結果や、課題で提出したはずの 作曲した《曲》、個人的な情報を含めて、何も無かったのだ。
父と 優劣を競ったはずの、他の生徒の資料は、きちんと ファイルされて残されているのに対して、《ロイド・ターナー》に関しては、ファイルさえも 見当たらなかった。
「…… 誰かが、持ち出した?」
あの資料室は、別名 《開かずの間》らしい。
生徒はもちろん、教師陣にも めったに入ることが許されないという。
それだけ、貴重な 資料が満載の部屋であり ――― 清掃の時間も、あの部屋だけは 誰も触れてはいけないということになっているらしい。
「…… カギを持っているのは、学年主任? 学校長?」
長年、あまり 清掃をしていないのか、室内は 埃っぽくて、カビ臭かった。
大事な資料なら、少しは 窓を開けて、換気して、紙の保存に注意を払った方がいいのでは…… と思うほど、室内は 人の香りがひとつも感じられなくて。
ただ、確かに、父のファイルが 棚にあったような 《形跡》だけは発見できた。
卒業年号と 名前順に並んだ中で、ちょうど一冊分、ファイルが 《あった跡》が うっすらと残っていたのだ。
誰かが 持ち出したのは、ここ最近ではない。
持ち出したまま、返却されていないのは、なぜなのか。
教師が 《授業の資料》として、卒業生の作品を 《お手本》として生徒に見せることは、たまに あるという。
しかし、必ず 授業後には返却して、教師が 持ち歩くことは禁止されているとなると。
意図的に、《返却しないつもり》なのだと考えるのが 妥当だろう。
『天使ちゃんのお父様の 同期の人が、今は 教師になっているとしたら? 在学中は どうしても勝てなかったから、今になって 逆恨みで 資料を処分しようと……』
トーニャの推理は、あり得ないと 笑い飛ばすには説得力があり過ぎた。
事実、この学院の卒業生が、そのまま 教師として働いている例は たくさんある。
まして、ほとんどが 上流階級の子息ばかりが通う学校なのに、父は 貧しい《奨学生》だった。
貧乏人のくせに …… と、妬み やっかみは、さぞ 多かったに違いない。
「ルーシフェル~、俺の授業は そんなに退屈かぁ?」
「!?」
気が付くと、コルトが目の前に ぬっと立っているではないか。
「俺は悲しいぞ~。 いつも 一番真剣に 授業を聴いてくれている 天使様が、とうとう 愛想を尽かして 飛んで行ってしまったか……」
「先生が ムサイからじゃないの~?」
「加齢臭が原因とか?」
「…… お前ら、あとで 中庭に埋めるぞ~?」
どっと沸く教室内。
いけない、授業に 集中しなければ…………
「お前は、何事にも 一生懸命なのはイイが、下手すると 周りが見えなくなるってトコロが、先生は心配だぞ~?」
「う…… はーい、ごめんなさい」
数日前に、ケイトからも指摘を受けた内容に、素直に謝るしかない。
「とりあえず、気分が悪いとか、調子が悪いワケではないな? それなら、シャキッと 黒板を見なさい」
「え~、黒板 何にも書いてないじゃんよー」
「バカだね、お前たち。 黒板の方を見れば、カッコイイ 俺の姿が拝めるだろ~?」
「げー、オッサン見ても おもしろくないよ」
「せめて、もうちょっと 無精ヒゲでも剃ってさー」
「…… わかってないな。 男ってのは、大人になるほど 自然に魅力が出るものなんだよ。 大人の色気がわからんとは、まだまだ お子様だなぁ」
「…… 先生、どこに魅力あんの?」
「あー、ヒゲ剃って、髪をばっちり キメたら、俺 相手してあげてもいーよ?」
「うわ~、 アーサー 勇者だな!」
まったく、何の話をしているのだ、少年たちは。
「ばかやろう、俺を 《犯罪者》にする気か?」
くだらないことで盛り上がれるのは、学生の 特権なのか―――。
結局、この時間は その手の話題で 授業は終ってしまったのである。
※ ※ ※
ぼんやりとしながらでも、アルバイトの仕事を きっちりと こなせたのは奇跡に近かった。
その日は、手紙や 資料などの 《代筆》の仕事であり、特に 集中しなければいけないものであったのに、仕事中の記憶が さっぱり無い。
「うーわ…… 仮チェックは 済んだとはいえ、もし ミスがあったらどうしよう」
仕事の終わりには、必ず 担当主任の 仮のチェックが入る。
珍しく 何も指摘されなかったことが、かえって怖い。
あとで、とんでもない 写し間違えでも 見つかるのではないか。
「…… どうしたの、姉さん。 何か 心配ごと?」
「アンシェル…… ううん、何でもないよ。 明日の授業のことで、ちょっとね……」
「姉さん……、僕が 何年 弟やってると思ってるの? 姉さんの下手なウソくらい、すぐにわかるよ」
――― だから、正直に 話しなさい。
母に似て 美人の弟は、目で そう語ってくる。
ルシフェルは、弟や 妹の、《この目》に弱い。
「うー ……」
「心配かけたくないなら、尚更 僕に話してくれなくちゃ。 姉さんだけで 考えさせとくと、ろくな結果にならないからね」
優しそうで…… いや、実際 優しいのだが、弟は しっかり者で、ときに 厳しい。
「実はさ、父さんのことなんだけどさー」
他人に話すよりは、事情がすべてわかっている分だけ 話しやすいのは確かだ。
ルシフェルは、学園で起きたことや、資料室に関してのことを、つつみ隠さず アンシェルに話すことに決めた。
※ ※ ※
弟に 話したことで、いくつかの 新情報が手に入ったことは いいのだが。
かえって、ますます 混乱してしまったのは、誤算だった。
生前、父は 弟に 《楽譜の書き方》を教えていたことは覚えている。
演奏は得意でも、楽譜を書くことに関しては 下手な娘、ルシフェル。
反対に、演奏は 体力的に無理だが、賢かった弟は、小難しい 音楽記号や 理論などを父から学んでいた。
弟に言われて 思い出したことであるが、たしかに 昔、弟に 《楽譜を書いて》と頼んだことがある。 父は、自分が作曲したという 膨大な数の曲を、ルシフェルに 惜しげもなく教えてくれた。
ただし、その時は 必ず 演奏を聞かせて、耳で覚えさせるという手法であり、当時 《耳の訓練にいいんだよ》とごまかされていたが、今 考えても 変な話である。
たくさんの曲が 覚えきれなくて、楽譜を書いてほしいと 弟に頼んでいたら、父は 困った顔をして、こう言ったのだ。
『父さんの曲を、楽譜として、紙に残すことは 絶対にしてはいけないよ』
優しかった父には、強く 怒られた記憶はない。
その時も、静かに 言い聞かせるような口調で 言われただけだ。
けれど、その時の 自分も弟も、父に ひどく 怒られたような気持ちになったのは覚えている。
しかも、父の作った曲には 必ず 《二種類》あった。
人前で、演奏していいものと、してはいけないもの。
「人前で 演奏してはいけないもののうちに…… 確か、《恋するトランペット》は含まれていた―――」
自分の疑問は、弟の記憶とも 昨夜 一致した。
人前で 演奏してはいけないと、念を押していた父。
抜き取られた、父の 学生時代の 記録。
破かれた、楽譜。
これらの事実を 繋げていくと、見えてくるのは いったい何だ?
トーニャの 推測のように、父と 同期の教師が、逆恨みでやった ――― にしては、何かが足らない。
もっと大きくて、もっと複雑な 何かが、実は 背後にあるような気がしてくる。
もし その考えが正しければ、父の 不可解な言動にも、説明がつくかもしれない。
「思い出せ~ ……、演奏禁止だったのは、あのトランペット曲だけじゃない。 もしかすると、父さんの残した曲の 半分――― いや、それ以上が、禁止だったはずだよね」
なぜ、教えてくれたにも関わらず、禁止だと言ったのか。
禁止ならば、最初から 教えなければ いいのだ。
それなのに、あえて 教えたのには、必ず 理由がある。
「もしかして…… すごく、危険を含むことなのかも」
珍しく、自分の推理は 間違っていないような気がしていた。
※ ※ ※
次の日の 昼休み。
中庭で 待ち伏せしていたルシフェルは、ソルファン・カイル・トーニャの三人を見つけると、人目のつきにくい 木の陰へと引っ張り込んだ。
「な…… なんだ、どうした? ルシフェル君、何があった?」
後輩の ただならぬ雰囲気を感じ取ったカイルも、自然と 顔がこわばる。
ルシフェルは、考えていたことを 単刀直入に相手にぶつけた。
「先輩方に、お願いがあります」
「わ…… 私にもか?」
「作曲家のカイル先輩は、まず 楽譜を書いてくれませんか? 父の曲を 僕が演奏するので、それを 書き取ってほしいんです」
「ちょっと、天使ちゃん どういうこと? 君は いったい何を……」
「一番初めは、見つかったばかりの トランペットの曲がいいので、ソルファン先輩、トランペット吹いてくれませんか?」
「お…… 俺が? いや、あの曲が吹けるなら、確かに嬉しいけど……」
「それから、トーニャ先輩」
「…… 僕には、何を お望みなのか、聞くのが 怖いなー」
「トーニャ先輩、専攻はチェロですよね? 実は…… あの《恋するトランペット》には、続きがあるんです」
「続きって…… 曲の続きってことじゃなくて?」
「違います。 トランペットの求愛に対しての、《返答》みたいなもので、チェロが主役の 《いとしい人》という曲なんです」
「…… それを、僕が 演奏するってわけだね?」
「はい、そうしたいんです」
カイルが楽譜を書き、トランペットは ソルファンが演奏する。
続いて、チェロの曲を トーニャが演奏する。
「二つの曲は、二つで ひとつ……セットなんです。二つあることで、何かしら 意味があると思うんです。 二曲とも――――― 伴奏は、ボクが弾かせて頂きますから」
「て、天使ちゃんが?」
「…… それは、ものすごく演奏したくなってくるね」
「学院内の 注目度も、かなりのものになるに違いない」
人前では 禁止されていた曲を、演奏するとどうなるのか。
終わった後に、何が起こるのか わからない。
少なくとも、穏やかな展開になることはないだろう。
「多分、危険なことになるかもしれません。 立派な音楽家の方に、こんなことをお願いするのは 間違っているかもしれません。 だから、嫌なら断ってください」
いっきに 最後まで伝えて、ルシフェルは 三人に背を向けた。
考える時間は、彼らには必要だから。
「…… 待って、天使ちゃん!」
遊歩道へと戻ろうとしていたところに、いち早く 声をかけたのは ソルファンだった。
「今の話の返事――― 聞いていかなくて、いいの?」
「え………」
振り返ってみると、不敵に笑う、頼もしい 先輩三人の姿がそこにあったのだ。




