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鉄の翼

作者: 神山はる

 いぶし銀の窓枠が、流れる風景をいちいち四角く切り取っていた。僕がこれから飛ぶ、青い空をも。



 これは、すこしばかり昔のこと。


 僕の住む国は戦争をしていた。

 戦地は遠い遠い異国のどこかで、僕たちは一体どうして戦争が起こっているのか、どんなことが行われているのかさえ知らなかった。そして、ただ言われるがままに自分たちの国を褒め称え、戦争へ旅立つ男の人たちを賞賛した。理由なんて大人たちには関係なかったみたいだ。何処と戦っているのかと聞いても、大人たちは誰も答えてはくれなかった。ただ嫌悪の表情で、一言「S」とだけ言い残す。まるで、名前を呼ぶのさえ忌々しいとでもいうように。

 国の誰もが、自分たちは正義だと信じていた。

 皆、戦争は幸せをもたらすと思っていた。

 僕の住む国は、とても小さい。飛行機で上を飛んだなら、あっという間に通り過ぎてしまう。緑豊かな国だから、空から見たらきっと綺麗だろう。他の国から伝わった機械を使った産業で、街々はにぎやかになり始めていたけれど、それでもまだ畑や森林のほうがずっと量が多かった。風の強いカラリとしたこの国の気候は葡萄が育つのに良いとのことで、その大半は葡萄畑で、僕はそのみずみずしい果実を手に入れるために、時折こっそり畑にしのびこんだりしていた。


 そんな国が戦争をしていた。


 今思えば、どこにそんなお金があったのだろう。葡萄だけが特産物の小さな国に、銃や飛行機や爆弾を買うだけの資金があったなんて不思議な話だ。けれど、事実は事実で、国の中には確かに銃も飛行機も爆弾も存在していた。

 そして、何より僕の心を惹きつけたのは、スマートな機体で軽やかに空を飛ぶ戦闘機だった。まるでタカのようなその姿をかっこいいと思った。そして僕は、中等院を卒業した後、遠く国の外れにあるあそこ、軍隊基地へ向かったのだ――。


 漂白したようなかすれた朝日が、今日も窓の外から始まりを告げる。耳元で響く目覚まし時計。重たい身体を持ち上げて、僕は制服に手を通した。

 ここでは、毎日が同じように繰り返されていく。食事、訓練、また食事、また訓練……少し退屈ではあるけれど、間近で飛行機を見ることができるので文句はなかった。戦闘機の操縦士を志願する人はとても多くて、僕はまだ訓練でしか飛んだことがない。でも、あのくらいじゃあ、まだまだ空を飛んだとは言えないと思う。だって、目の良い僕がまだ街の様子を判別できるくらいだったもの。

 いくら初夏でも、朝の空気はやっぱり冷たい。少し開いた窓から入り込む冷気に震えて、僕はガラスの窓を慌てて閉めた。

 ちらりと見えた空を、今日も銀色の鳥が旅立っていった。 

 さあ、朝ごはんを食べなくちゃ。今日も長い一日が待っている。

 食堂に近づくにつれ、人の気配が増えてくる。誰もがここで食事をするのだから、当たり前ではあるのだけれど、それでも目の覚める心地がする。食堂に足を踏み入れると、見知った顔がすごい勢いで食べ物を口に運んでいた。その顔がふいにこっちを向く。軍隊一の操縦士、ウォルドは、僕を見つけてにやりと笑った。

「よお、アル。飯なら隣でどうだ」

「おはよう。そうするよ、ありがとう」

 僕の返事に、ふん、とウォルドが鼻をならした。目には少しばかり意地悪な色が浮かんでいる。

「相変わらず素直だな。貴族の坊やみたいだ」

「君と比べれば誰だって素直だよ」

「ま、そりゃあそうだな」

 僕の言葉に、彼はあっさりと納得して表情を和らげた。本当にころころとよく表情の変わる人だ。

 決して大きくはないのに、強靭でしなやかな身体とその動き、強い光を宿す焦げ茶色(ダークブラウン)の瞳に鋭利な輪郭。その凛々しい風貌は、故郷の街では女の子の注目の的だったらしい(あくまで噂だけれど)。確かに、彼には他とは違う鮮烈な雰囲気がある。そして何より、彼の踊るような飛行は操縦士たちの憧れだった。もちろん、僕もそのひとりだ。

 彼のダンスを、一度だけ見たことがある。

 訓練の模範だった。颯爽と機体に乗り込んだ彼は、まるで彼自身が機体であるように、いとも簡単にくるくると空を踊りまわっていた。こんな風に言うと、たいして難しくない気がするけれど、それを僕がやろうとしたらこうはいかない。さっさと落っこちるだけだ。それくらい、彼の飛行はずば抜けて良かった。

 ウォルドはとても正直だ。悪く言えば、頑固ということになる。自分が間違いだと思うものには決して屈しないし、上官だろうが本部の人だろうが恐れない。それでも、彼の実力は軍隊には貴重らしく、反感を買いながらも、彼が何か罰を受けたことはなかった。

 そんなウォルドと、平凡な僕がどうしてこんなに仲がいいのか。周囲の人にはさぞ不思議なことだろう。僕だって不思議だ。ただ、入隊したばかりの頃、格納庫で彼に出会った。そのとき彼に、飛行機は好きかと聞かれた。僕は、自分は空を飛ぶことが好きなので、飛行機は二番目です、と答えた。そうしたら、ウォルドは何故か笑い出して、お腹を抱えながら、お前は合格だと言ったのだ。それからずっと、ウォルドは何かと僕をかまってくれる。

 食事を手に入れ、彼の隣に座る。温かな湯気が立ち上る。隣では、ウォルドがその湯気の行き先をぼんやりと見つめていた。大きな窓からの日光に、瞳と同じ色の短い髪が透けてきらきらと光っている。僕はスープを口に運ぶ。うん、美味しい。

「アル。お前、今日はどうする?」

「訓練だよ。午前中はランニング、午後は隊形と操縦の勉強かな。今日は飛ばない」

「そうか」

「ウォルドは?」

「飛ぶさ。前回飛びに行ったやつが怪我したらしい。代わりに行けっていうんだ。今度は北部に行く。もっとも、早朝出発じゃないだけマシだけどな」

「ふうん」

 まあ、彼の実力なら当然の結果だろう。今までだって、何度も前線に向かっている。つまりは、経験も才能もあるってことだ。

 ふいに、ウォルドが小さな声で呟いた。

「空で消えた魂は、空へ還るんだよな」

「え? どういう意味?」

 思いがけないその言葉に、彼のほうを見ると、何故か彼は遠い目をして、どこか哀しそうに息を吐いた。

「……いや、何でもない。じゃあ、俺はそろそろ行くよ。訓練、ちゃんとやれよ」

「うん。気をつけて」

 そう言うと、彼は軽い敬礼を残して去っていった。そして、それが僕が彼を見た最後だった。


 北部AZ60前線解散。そんな知らせさえ、国にはほとんど入ってこない。政府の偉い人達が、情報を自分たちの所でストップさせてしまうのだ。だから、国民は自分たちが勝利していると信じて疑わない。そんなに上手くいくはずないのに。それは軍隊であっても変わりはなくて、僕のような下っ端は戦場の様子なんてちっとも知らされていなかった。

 その日、僕は訓練飛行を終えて宿舎へ向かっていた。北部前線解散の事実は、その途中に情報通の知り合いがこっそりと教えてくれた。

「アル、知ってるか。AZ60前線、解散したらしいぜ。もちろん、負けたんだ。政府のおっさん達は、目の色変えて隠蔽しようとしてるって」

 彼、ウォルドを思い出した。あの日から、一度もウォルドの姿を見ていなかった。ウォルドはきっと、最前線で戦っていたに違いない。その知り合いにウォルドのことを聞いたら、彼は黙って首をふった。それは、患者の家族に不治の病を告げる医者にも似ていた。

 

 ウォルドが、死んだ。

 真偽を確かめたわけじゃない。けれど確かめる必要もないのだ。前線が解散することは、すなわち其処が完敗したことを示す。生き残れる可能性は無に近かった。

 彼よりも美しく飛べる人がいたのだろうか。彼が勝てないほどに、強い相手が存在したのだろうか。信じられない。だって、彼の飛行はあんなに軽やかだったのに。あの日、彼が言った呟きを思い出した。彼は、空へ還ることを望んでいたのだろうか。

 基地の外れに、彼の小さな墓を作った。土を小高く盛って、花を供えただけだけれど、無いよりはいいと思って。もしウォルドが見たら、安っぽいって笑うかもしれない。でも、死んだら文句は言えないから、僕の勝ちだ。

 昨日、上官に明日の早朝に出ろ、と言われた。ついに、僕にも役が回ってきたのだ。できるなら、生きて帰りたいし、なおかつ綺麗に飛びたいと思う。でも、ウォルドのことを考えると少し怖い。怖いけれど、逃げ出す気はなかった。

 だって、ずっとこれだけを待っていたのだ。

 空を飛ぶことだけが、僕の存在意義なのだ。


 寒い朝だった。空気は凍ったまま足元に溜まっていくようで、息をするたびに肺の奥へと滑り込んでくる。フライトジャケットを着込んだ僕は、宿舎前でシャトルバスに乗り込んだ。音も無くドアを閉めて、バスが出発する。滑走路へ向かうこのバスには、僕と一緒に飛ぶ隊員があと三人乗っていた。誰も、何もしゃべらない。むしろ、しゃべらないことで精神を保っているのだ。口を開けば自分の気持ちを言葉にしてしまいそうで、皆窓の外を見つめていた。

 バスの中では、微かにラジオが流れている。     

 今はソプラノの綺麗な歌が流れていた。


咲く花の美しさより

愛のきらめきに魅せられるの

誰もが笑いあって

青い空を見上げる日々

この世にあふれる愛こそが

確かな平和をつくるのだから


 そんな内容の歌詞だった。これから人を殺すかもしれない僕らには、なんとも不釣合いなものだ。まるで、僕らの罪を際立たせるように。

 僕らは皆罪人だ。殺せるとわかっていて、人を殺しに行く。戦争という名の罪。僕もウォルドも、戦う人全てが負った十字架。

 空は今日も変わらず青いのに、地上は刻々とその土を赤く染めている。ならばせめて、澄んだままの空で死にたい。そう思うウォルドの気持ちがわかった気がした。


 目の前に現れた、灰色の機体。鉄色の翼が、鈍い光を放つ。これが僕の命の鳥。僕は器具を背負って飛行機に乗り込む。ヘルメット、サングラス、マスクを装着。油圧計その他をチェック。キャノピィがゆっくりと下がっていく。響くエンジンの低い音。手袋をはめた手が少し震えた。

 次第に増していく速度に、身体が押し付けられる。地面が離れる直前、見上げた空は鮮やかな蒼穹だった。


 僕は、青い世界に飛び込んでゆく。


読んでいただきありがとうございました。

数年前、地元の文学冊子に載せていただいたものです。その頃、私は妙に戦闘機に憧れていたんですね。今でも好きですが。

批評・感想・アドバイス大歓迎です。ずばずばお願いします!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 表現がとても綺麗だと思います。 続きを匂わせるラストが好きです。決して明るくはないのに、何処と無く希望を抱かせるような。こんな小説が書きたい、と素直に思いました。 [一言] 私自身、飛行機…
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