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1-1同様、形式のみ修正
次の日から三井さんは師匠と一緒に路上に出て働いた。だが、師匠は何も分からない三井さんに接客させることは無かった。客に失礼だというのが理由だった。
「『例え路上の靴磨きであっても、プライドを持ってやるんだ。真剣にな、一つ一つの靴に気持ちを込めて、一生懸命、とにかく一生懸命やるんだ。それはな、きっとお客さんにも伝わる。良いものは良いと、認めてもらえる。喜んでもらえる。必ずだ。この喜んでもらうということが大事なんだ。……分かるか? 言ってることが』」
師匠にそう問われ、三井さんは首を横に振った。三井さんの素直な感想だった。こうした言葉は世間ではよく耳にするものの、その背後にどれだけの時間の蓄積が、人生の苦楽が込められているのか、三井さんにはまだ分からなかった。中身の無い空っぽの言葉に過ぎなかった。働くということ、働き続けるということ、その喜びや辛さが、三井さんにはまだ理解できなかった。だから正直に分からないと答えた。師匠は笑わず、しかし怒りもしなかった。ただ真剣な表情で「今は分からなくていいから、覚えておけ」とだけ言った。「いずれ分かるから」と。
そういった理由から、三井さんは師匠の小間使いに回された。師匠が靴墨が切れそうだと言えばお使いに走り、喉が渇いたと言えば飲み物を買いに走った。靴を磨き終わった客から代金を回収するのも三井さんの役目だった。師匠の手は靴墨で汚れていて、その手で釣銭の受け渡しをするのを嫌がる客もいたからだ。その代わり当面の生活費は師匠が払ってくれた。
客がいる内は接客に追われ、だから師匠の教育は、客がいない暇な時に限って行われた。師匠は確かに三井さんに技を教えはしたが、それは三井さんが予想していたよりも遥かに奥深いものだった。
師匠は殊に靴に関しては博識だった。路上で靴を磨くようになる以前、師匠は靴を作っていたのだという。靴に関する様々な知識は、そこで学んだと言っていた。
師匠は言った。ひとえに革靴と言っても、色の違いはもちろんのこと、男性用女性用の違い、靴の大きさ、フォルムの分類、皮革素材の種類、縫い合わせ方、ベルトの有無などで、一足一足が全く違う靴になる。だから当然、靴の種類によって最適な靴墨やワックスは異なってくる。そうした違いを全部頭に入れ、お客さんが足を台に上げたときに、最も良い仕上がりとなるような組合せを瞬時に判断し、靴を磨かなければならない。他にも磨く際の力の込め方や、特別気を払わねばならない点など、数え上げればきりが無い。
だが最も難しいことは、「お客さんにとっての満足」というものが何なのか、それを想像することだと師匠は言った。そしてそれは、お客さんの人間性や、社会的環境や、差し迫った状況を読み取ることに他ならないのだと言った。それが一番困難で、だが最も重要なことなのだと。
「師匠はな、こう言っていたな。『靴をピカピカに磨くことは、ある程度の経験を積めば、誰にだって直ぐできるようになる。でも、それだけじゃいけない。その人がどういう場面でその靴を履くのか。その時その靴はどういった状態であることが一番良いのか。それを考えて、靴は磨かなけれりゃならん。例えばだな……。銀行の様な地味な職場では、ピッカピカの靴は喜ばれない。ある程度の曇りを残した方が、喜ばれたりする。目立つことが嫌いな人や、着ている服の色調が暗い場合にもそうだ。反対にこれから結婚式に出るって人の靴は、これ以上ないくらいピカピカに磨いてやらにゃあならん。客が目立ちたがりの人である場合にも、ピカピカな靴は好まれ易い。そんなふうにな、お客さんの立場や、状況や、好みに合わせて、靴は磨かなけりゃならん。お客さんを読み取る技術。靴にくすみを残してやる技術。このお客さんによって、くすみを残す度合いを見極めるのが、最も難しい。一朝一夕にはできん。だが、これができるようにならなければ駄目だ。一人前とは言えない。俺達は機械じゃないんだ。人間なんだ。分かるか? これができるようでなければ、機械と同じだ。お前は人間を目指せ。いいな? 機械と同然の存在には、なるんじゃないぞ』」
そういった師匠の話を聞きながら、三井さんは感動し、また恐怖を感じていた。師匠が目の前を通り過ぎる人々を例にしながら「あの人の靴はどうだ」とか、「向こうの人は何処何処の社員だ」とかいうその話の奥深さに、真剣に感動していた。そして同時に自分が踏み込んだ世界の広さに呆然とし、その広大さとは反対に、余りにも卑小な自分の存在に、自分という存在の覚束なさに、ほとんど絶望と言っていいほどの恐怖を感じていた。師匠と出会ってたった三日ではあったが、三井さんはこの時から師匠を尊敬し、崇拝し始めた。
仕事が終われば、三井さんは師匠の家で夕食をご馳走になり、自宅に帰るということが日課となった。三井さんの部屋は仕事が始まって直ぐに奥さんが見つけてきてくれた。部屋といってもトタンで隙間風の吹く集合住宅の一室だった。四畳半の和室が一間あるだけで、風呂はなくトイレも共同だった。だが師匠の家とはそう遠くない立地にあった。それが三井さんには嬉しく感じられた。服などは師匠の使い古しを貰った。
師匠にはもちろん感謝しているが、それと同じくらい奥さんにも感謝していると、三井さんは言っていた。奥さんは三井さんを殊更に可愛がってくれた。
いつだったか三井さんが、どうして自分のような赤の他人に対してそんなに良くしてくれるのかと、奥さんに聞いたことがあった。奥さんは、自分達に子供がないからだと答えた。誰かの世話を焼けるのが単純に嬉しいのだと、そう言った。それが自分とは血の繋がりの無い赤の他人の子だとしてもそう思うかと、三井さんは重ねて聞いた。奥さんはそう思うと答えた。そして社会に出て働いたり、子供を生み育てるといったことは、とても重要なことなのだと続けた。例えそれが見も知らぬ他人の子であっても、善意の手本となり、成長を助け、人生の支えになってあげることは、とても重要なことなのだと。それが社会貢献に繋がるのだと。人は誰でも社会への貢献を、恩返しをしなければならないのだと、しみじみと語った。
だが三井さんには理解できなかった。そして奥さんに正直に理解できないと言った。奥さんは笑い、そりゃそうよと言った。それから理解できなくても仕方ない、まだ若いのだからと言葉を続けた。三井さんは、じゃあ年を取れば分かることなのかと思ったが、口には出さず、胸に閉まっておくに留めた。
その代わり三井さんは別の質問をした。そうやって自分のような里も知れない人間を助けていれば、痛い目を見ることもあるのではないかと、それでいいのかと、そう聞いた。奥さんは困ったように少し笑った後で答えた。世間は広くて、人間は五万といるから、見知らぬ他人と関わっていれば、確かにそういう酷い人間に出会うこともあるだろうが、でもそれはただ運が悪かっただけの話で、仕方の無いことなのだと。後悔したことは一度もないと、そう言い切った。
聞いてみれば、師匠と奥さんは三井さんを助けるより前にも、東京で途方に暮れる若者を助けたことがあるのだという。それも三井さんで六人目だと言っていた。その中には、三井さんの予想通り、泊めた日の夜に物を盗って逃げた者もいたそうだ。盗られたといっても貴重品は夫婦の寝室に隠してあるから、被害はそれ程でもない。タンスにあった着物が数着、といった程度だった。
三井さんはどうして止めないのかと聞いた。損をするだけなのは分かりきっているのに、どうして若者を助けるような馬鹿な真似を続けるのかと。
「それがな、社会貢献なんだと言っていたな、奥さんは。師匠は定職も無いし、奥さんには子供もいない。それでな、あと自分にできることと言ったら、俺のような根性無しを助けることしかないと、そう言っていてな。それが『社会貢献なんですよ』ってな。奥さん、笑っとったよ」
それからワンカップを一口飲み、三井さんは言葉を続けた。
「俺には分からんかった。奥さんの言う社会貢献とやらがな、なんも分からんかった。でもな、今なら分かるよ。今ならな」
三井さんは俯きかげんで私のことなど見てもいないようだったが、私はそれでも頷いた。それが私の心情だったからだ。
そうやって師匠の下で修行を積み、帰りには師匠の家で食事を摂って家に帰る生活が何年か続いた。東京の大気汚染は酷かったが、(光化学スモッグ注意報など、その頃盛んに放送されたそうだ)師匠の小間使いをしながら、三井さんは順調に知識を増やしていった。また予想以上に靴磨きによる収入は良かった。東京にはまだまだ多くの未舗装の道が残されていて、雨の日の翌日などは必ず靴が汚れた。下水処理設備も不完全だった。サラリーマン達の靴は直ぐに泥や土埃で汚れた。大事な相手に会う前、または大きな商談の前に靴を磨いてくれと頼む人は、現在とは比べ物にならない程多かった。今とは違い土曜日にも仕事はあった。その点についても、現在より靴を磨く機会は多かった。
師匠の家は、だから比較的裕福だった。白黒とはいえテレビがあるのだから、と三井さんは言っていた。ただ折角稼いで貯めた金も、酷いインフレのせいで五年もたった頃に見返すと大した価値もない金額になっていた。貯金があまり意味を為さない時代だった。
そうした中、いくらか時間が経過し、少年時代は足早に遠のき、三井さんは成人して大人になった。
話は三井さんが二十二歳の頃の出来事に移る。




