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悪役令嬢

婚約破棄されたので、王家の死亡通知を先に出しました

作者: くるみ
掲載日:2026/05/11

「セレスティア・ルヴァン。お前との婚約は、この場をもって破棄する」


王太子アルベリク殿下の声が、大広間に響いた。

夜会の音楽がぴたりと止まり、百を超える視線が私に突き刺さる。

殿下の隣には、淡い桃色のドレスを着た男爵令嬢マリエルがいた。彼女は怯えた小鳥のように殿下の袖をつかみ、けれど口元だけは、ほんの少し笑っている。


「セレスティア、君は冷たすぎる。マリエルが泣いているのに、一度も慰めようとしなかった」


「予算審議の席で泣き出し、会議を三度も中断させた方を、どう慰めればよろしいのでしょうか」


ざわり、と空気が揺れた。

殿下は顔を赤くした。


「黙れ。君のような女を、未来の王妃にはできない」


「承知いたしました」


私は深く礼をした。

すると、殿下は勝ち誇ったように笑った。


「ずいぶん素直だな」


「はい。では予定どおり、王家の救命措置を終了いたします」


その瞬間、大広間のざわめきが消えた。

殿下の目が細くなる。


「……何を言っている?」


「殿下が婚約を破棄なさったので、私の職務も終了いたしました。王国防衛結界の管理権限を、本日ただいま返納いたします」


私は胸元から銀の鍵を取り出した。

それは、王妃候補にのみ預けられる古い魔術具だった。

けれど本当は、王妃候補に与えられる飾りなどではない。

王国を王国として生かしておくための、最後の心臓である。


「明朝六時、東方の瘴気堤が停止します。七時には北部の魔獣避けが消え、昼までに王都の浄水魔法も止まります。夕方には王城の空調が切れます」


「空調などどうでもいい!」


「いえ。王城の空調が切れると、地下の古代竜が起きます」


「なぜ王城の地下に古代竜がいる!」


「初代国王が勝手に埋めたからです」


私は銀の鍵を侍従長へ差し出した。


「こちら、返納いたします」


侍従長は受け取らなかった。

というより、受け取れなかった。

指先が震えていた。


「セ、セレスティア様。お待ちください。結界管理者の交代には、最低三か月の引き継ぎが必要だったはずでは」


「はい。ですから、三か月前から殿下にお願いしておりました。『マリエル様とのお茶会を一度お控えいただき、引き継ぎ会議にご出席ください』と」


私は殿下を見た。


「全十二回、すべて欠席なさいましたね」


殿下の顔から血の気が引いた。

マリエルが小さく首をかしげる。


「でもぉ、セレスティア様がいなくても、誰かがやればいいだけですよね?」


私は彼女に微笑んだ。


「ええ。できます」

マリエルの顔がぱっと明るくなる。


「ほらぁ!」


「ただし、二十年かけて死ぬほど勉強すれば、です」


マリエルの笑顔が固まった。


「ちなみに私は三歳から始めました。今からでは少し遅いので、毎日十八時間ほど勉強すれば間に合います」


「十八時間……?」


「食事中も詠唱訓練をすれば、十九時間まで増やせます」


マリエルは殿下の袖から手を離した。


「わ、私、体が弱いので……」


「存じております。泣く体力はおありのようですが」


また、ざわりと広間が揺れた。

殿下が一歩前に出る。


「セレスティア、脅すつもりか」


「いいえ。通知です」


私は淡々と言った。


「婚約破棄、承りました。よって、私が王妃候補として担っていた無償労働を終了します。王家は、明日からご自身で生存してください」


その時だった。

大広間の天井近くに、青白い文字が浮かんだ。


《王国管理掲示板》


貴族たちが一斉に悲鳴を上げた。

これは私が作った魔術である。

会議に来ない者のために、王国の危機を全員に見える形で表示する、極めて親切な仕組みだった。


《新規スレッド:王太子が結界管理者を追放した件》

《1:南部辺境伯 終わった》

《2:王都水道局長 終わりましたね》

《3:北部騎士団長 明朝七時からですね?》

《4:東方修道院長 明朝六時、瘴気堤停止予定を確認》

《5:古代竜 夕方まで起こすな》


広間が凍った。

殿下が天井を指さす。


「何だこれは!」


「王国管理掲示板です。各地の責任者が緊急時に情報共有するためのものです」


「なぜ古代竜が書き込んでいる!」


「地下にも回線を通しました」


《6:古代竜 空調を止めたら王城を逆さにする》


侍従長が膝から崩れ落ちた。

宰相が青ざめた顔で私に近づく。


「セレスティア嬢。いや、セレスティア様。どうか、どうか一度お考え直しを」


「婚約破棄は王太子殿下のご決定です」


「殿下!」


宰相が殿下を振り返る。


「謝ってください!」


殿下は唇を噛んだ。


「なぜ私が謝らねばならない。これは彼女の仕事だろう」


「違います」


私の声は、自分でも驚くほど静かだった。


「これは、私の愛でした」


殿下が黙った。


「王国が好きでした。民が眠れる夜が好きでした。北部の子どもが魔獣を知らずに育つことも、東方の畑が瘴気に枯れないことも、水道局の方々が毎朝きちんと水を流してくださることも、私は好きでした」


銀の鍵が、私の手の中で冷たく光る。


「けれど、愛は命令ではありません。踏みにじられても続けるものではありません」


マリエルが震える声で言った。


「で、でも、王国が滅んだら、セレスティア様だって困るじゃないですか」


「困りません」


私は微笑んだ。


「三日前に隣国から採用通知が届きました」


「採用通知!?」


「はい。結界管理者として、正規雇用していただけるそうです。週休二日、残業代あり、研究費支給、昼食無料です」


《7:南部辺境伯 弊領も雇いたい》

《8:王都水道局長 残業代……実在したのか……》

《9:古代竜 昼食無料は強い》


殿下が怒鳴った。


「勝手に他国へ行くなど許さない!」


「婚約破棄された元婚約者に、何の権限で?」


殿下は答えられなかった。


私は最後に、殿下へ向き直った。


「アルベリク殿下。最後に一つだけ申し上げます」


「何だ」


「マリエル様を愛するのは自由です。ですが、国を動かす仕事を、愛嬌で代替できると思わないでください」


殿下は何か言おうとした。

けれど、言葉は出なかった。

私は銀の鍵を掲げた。


「では、王国防衛結界の管理権限を停止します」


大広間の灯りが、一瞬だけ暗くなった。

遠くで鐘が鳴った。

けれど、瘴気はまだ来ない。

魔獣もまだ来ない。

本当に危機が始まるのは、明日の朝だ。

だからこそ、今夜のうちに終わらせなければならなかった。


背後では、王太子がようやく叫んでいた。


「待て、セレスティア! 婚約破棄は取り消す!」


私は振り返らなかった。

その代わり、胸元の小さな通信石に触れた。


「各領、第二段階へ移行してください」


王国管理掲示板に、新しい文字が浮かんだ。


《10:南部辺境伯 民への説明を開始》

《11:北部騎士団長 魔獣避けの臨時結界、起動準備完了》

《12:王都水道局長 非常用浄水石、全区画に配布済み》

《13:東方修道院長 瘴気堤の代替祈祷陣、展開準備完了》


広間が、今度は別の意味でざわめいた。

宰相が顔を上げる。


「セレスティア様……これは……」


「念のための備えです」


私は言った。


「王都の結界に不具合が起きても、地方が巻き込まれないように。数年前から、少しずつ各地へ補助結界を移していました」


殿下の顔が歪む。


「なら、なぜ私に言わなかった!」


「定例報告書に、何度も書きました」


殿下は黙った。

掲示板の文字は、さらに流れていく。


《14:王都第三区 子どもと高齢者への説明完了》

《15:西方農業組合 備蓄倉庫を開放》

《16:古代竜 民に被害を出す趣味はない》

《17:古代竜 ただし王城は少し揺らす》


その直後、王城だけがぐらりと揺れた。

シャンデリアが鳴り、貴族たちが悲鳴を上げる。


「古代竜は、意外と律儀なのですね」


私がそう言うと、掲示板に文字が浮かんだ。


《18:古代竜 意外とは余計だ》


私は少しだけ笑った。

そして、銀の鍵をもう一度掲げた。


「王国防衛結界の本体は、明朝から順次停止します。けれど、民を守るための補助結界は、すでに各領にあります」


「そんなものが……」


殿下が呆然とつぶやく。


「国を守るための備えです。本来なら、王家が真っ先に把握しているべきものでした」

私は彼を見た。


「あなたが私を『冷たい女』と呼んでいた間、私はこの国がひとつの鍵だけに依存しない仕組みを整えていました」


広間の誰も、笑わなかった。


「だから、滅びるのは王国ではありません」

私は静かに言った。


「王家です」


その言葉と同時に、掲示板に最後の通知が浮かんだ。


《19:王国管理掲示板 緊急評議を開始します》

《議題:王家による結界管理権の独占を一時停止し、諸領連合による暫定管理へ移行する》

《賛成:南部辺境伯、北部騎士団長、東方修道院、王都水道局、西方農業組合》

《参考意見:古代竜 水道局に一票》

《反対:王太子》

《結果:可決》


殿下が叫んだ。


「無効だ! 私は王太子だぞ!」


《20:古代竜 地下から見る限り、王太子より水道局の方が役に立っている》


それを合図にしたように、広間の空気が変わった。

貴族たちはもう、私だけを見ていなかった。

彼らは殿下を見ていた。

王冠を持つ者ではなく、王冠しか持たない者を見る目で。

私は銀の鍵を侍従長の前に置いた。


「私の仕事は、これで終わりです」


「国民を救うところまで……ですか」


侍従長が震える声で尋ねた。


「そこまでが、私の仕事でした」


背後で、殿下が何かを叫んでいた。

けれど、もう聞こえなかった。

王家が滅びるかどうかは、知らない。

けれど少なくとも、畑には明日も朝日が差す。


子どもたちは、魔獣の足音ではなく、パン屋の鐘で目を覚ます。

水道局はまた朝から忙しく働き、古代竜は地下で毛布を要求するだろう。

そして私は、初めて自分のために王城を出た。


掲示板に、最後の文字が浮かぶ。


《21:隣国人事部 セレスティア様の入職手続きが完了しました》

《22:セレスティア 有給はいつから使えますか?》

《23:隣国人事部 初日からです》


私は、初めて声を出して笑った。

国を救うために生きてきた私の人生は、今日からようやく、私を救うために始まるのだった。

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― 新着の感想 ―
古代竜いい〜ww つよいww 揺らすくらいはするけどそれくらいにしとく竜さん、ぐーすか寝てる間に上に城建てられちゃったのかもね。出ていくのも面倒臭いからいいや…どうせ人間すぐ死ぬし…とか思ってるのかも…
古代竜www
古代竜がキャラとして良すぎる。好き。毛布、差し入れしてやりなよ。初代王のせいで埋められたんなら予算くらい出せと。 ワンオペ令嬢が去った後に国が崩壊するうのはお腹いっぱいだったので、王族以外に被害がな…
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