第9話 数字が示さないもの
帝国軍・中央評価局。
石造りの建物の奥、窓のない分析室で、イリス・フェルディナは記録板を並べていた。
木製の机の上に、同じ形式の報告書が三枚。
「……また、か」
低く呟く。
北部街道、前進停止。
南方補給路、予定変更。
中部集落、自主的通行制限。
どれも、戦闘は起きていない。
損耗はゼロ。
数値だけ見れば、理想的な結果だ。
だが――。
「説明がつかない」
イリスはペンを走らせ、共通項を洗い出す。
指揮官の能力? 違う。
戦力差? 関係ない。
補給量? むしろ安定している。
「……原因不明、が多すぎる」
彼女は顔を上げ、壁に貼られた評価基準表を見る。
戦闘力。
指揮力。
資源効率。
損耗率。
どれにも、異常はない。
――にもかかわらず、戦争が進まない。
「フェルディナ監査官」
部屋の扉が開き、若い補佐官が入ってきた。
「北部の現地指揮官から、追加報告です」
「読み上げて」
「住民との交渉の結果、通行を断念。
理由は……“生活への影響が大きいため”」
イリスの眉が、わずかに動く。
「判断基準は?」
「……評価への影響を考慮したと」
沈黙。
それは、正しい判断だ。
規則上も、評価上も。
だが、今までなら、選ばれなかった判断。
「……誰が、その考えを持ち込んだ」
「不明です」
補佐官は、ためらいがちに続けた。
「ただ、現地では“最近よく聞く話”だと」
「何を?」
「“無理に通す必要はない”
“戦わなくても、守れるものがある”……と」
イリスは、ゆっくりと椅子にもたれた。
感情論だ。
だが、現場がそれを選んでいる。
「……名前は?」
「誰も、はっきりとは。
ただ――」
補佐官は、資料を一枚差し出した。
「共通して出てくる単語があります」
そこに書かれていたのは、たった一行。
“戦闘力ゼロの追放者”
イリスは、紙を取った。
「……冗談?」
「私もそう思いました」
だが、報告書は否定しない。
戦闘力ゼロ。
評価不能。
存在価値なし。
本来、影響を及ぼすはずがない存在。
「……面白い」
イリスは、静かに言った。
補佐官が、驚いた顔をする。
「監査官?」
「恐ろしい、の方が正確かしら」
彼女は、指で机を叩いた。
「評価制度は、秩序のためにある。
不確定要素は、排除すべき」
だが。
「その不確定要素が、
秩序を壊さずに“戦争を止めている”としたら?」
補佐官は、言葉を失った。
「調べるわ」
イリスは立ち上がる。
「個人名。行動履歴。
接触者リストを洗い出して」
「捕縛ですか?」
即答はなかった。
イリスは、少しだけ視線を落とす。
「……いいえ。まだ」
捕まえる理由はない。
犯罪も、反逆も、していない。
ただ――。
「この存在は、制度を試している」
無意識か、意図的かは関係ない。
「試されているのは、私たちよ」
評価制度が。
帝国そのものが。
***
夜。
イリスは、一人で資料を読み返していた。
ふと、古い記録に目が止まる。
――過去の大戦。
損耗率が、異常に低い戦区。
「……ここも、原因不明」
その欄に、小さく書き添えられていたメモ。
“住民協力的”
彼女は、目を閉じた。
胸の奥が、少しだけざわつく。
「……感情は、危険だ」
それは、自分に言い聞かせる言葉だった。
父は、感情で判断し、部下を失った。
だからこそ、評価制度が必要だった。
公平で、冷酷で、揺らがない基準。
――なのに。
「その外側で、世界が動く?」
あり得ない。
認めてはいけない。
だが、無視することもできない。
イリスは、記録板を閉じた。
「戦闘力ゼロの追放者……」
その名を、まだ知らない。
だが、はっきり分かっていることがある。
この存在は、
帝国の敵ではない。
――もっと厄介なものだ。
帝国の“前提”そのものを、揺らしている。
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