第8話 いない場所で、勝ちは決まる
街道沿いの丘を離れてから、アルトは半日以上、誰とも会っていなかった。
風と足音だけが、一定のリズムで続く。
背後にいるはずのドレイクも、今日は少し距離を取って歩いていた。
「……何も起きないな」
アルトがそう呟くと、ドレイクは短く鼻を鳴らした。
「起きている。
ただ、お前が“見る必要のない場所”でな」
意味を問う前に、前方から伝令が走ってきた。
魔王軍第三軍団の兵だ。
鎧は土埃にまみれているが、顔色は悪くない。
「第一軍団長!」
「報告しろ」
「帝国軍の前進部隊が、北の分岐路で足止めされました」
アルトは、足を止めた。
「戦闘ですか?」
兵は首を振る。
「いえ。戦闘にはなっていません」
ドレイクが、少しだけ口角を上げた。
「……理由は?」
「帝国側の補給部隊が、進路変更を要求されています。
街道沿いの集落が、自主的に通行を制限したと」
アルトは、目を瞬いた。
「集落が……?」
「はい。
“これ以上、兵を通せば生活が立ち行かない”と」
それは、異常だった。
帝国の前進を、武力ではなく――
生活を理由に止める。
「帝国側は?」
「強行突破を検討したようですが……」
兵は、少し言い淀んだ。
「第一軍団長。
現地の指揮官が、それを拒否しました」
ドレイクの眉が、わずかに動く。
「……誰だ」
「名は出していません。
ただ、“無意味な衝突は評価を下げる”と」
アルトは、ゆっくり息を吐いた。
――あの集落だ。
三日前、自分が立ち去った場所。
人々が「選ぶ」ことを覚えた場所。
「続けろ」
ドレイクが促す。
「結果、帝国軍は進路を変更。
戦闘は回避されました」
報告は、そこで終わった。
しばらく、沈黙。
アルトは、遠くの雲を見ていた。
「……俺は、何もしていません」
それは、言い訳でも謙遜でもない。
「分かっている」
ドレイクは即答した。
「だからだ」
彼は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「俺たちは、誰かに従ったわけじゃない。
だが――」
拳を握る。
「思い出した」
アルトは、視線を向けた。
「何を?」
「選ぶ前に、考えるということを」
ドレイクの声には、熱がなかった。
それが、逆に重い。
「お前がいた場所では、皆が“どう勝つか”を考えなかった。
“どう壊さないか”を考えていた」
伝令の兵が、小さく頷く。
「集落の者たちも、同じです。
帝国軍に逆らう勇気はなかった。
ですが……」
「通さないと、選んだ」
アルトが、静かに続けた。
「はい」
兵は、はっきり答えた。
アルトは、その場に腰を下ろした。
胸の奥で、何かがゆっくり形を変えていく。
――これは、勝利だ。
だが、自分のものじゃない。
***
一方、その頃。
帝国軍・臨時指揮所。
「……理解できないな」
若い帝国将校が、地図を睨んでいた。
「住民が道を塞ぐ?
武装もしていない連中が?」
隣で、年配の副官が言う。
「理屈としては、正しい。
強行すれば、補給効率が落ちる」
「だが――」
将校は歯噛みした。
「こんな判断、今までなかった」
副官は、ぽつりと呟く。
「最近、多いらしい。
理由を聞くと……」
「聞くと?」
「“あの男が通った後は、無理に戦わなくていい気がする”と」
将校は、顔を上げた。
「……誰だ、それは」
「分かりません。
名は、はっきり出てこない」
だが。
確実に、何かが広がっている。
***
再び、街道。
ドレイクは、アルトの前に立った。
「これが、お前のやり方だな」
「違います」
アルトは、すぐ否定した。
「俺のやり方じゃない。
俺は、残しただけです」
「何を」
「考える余地を」
ドレイクは、しばらく黙り込み、やがて低く笑った。
「……厄介だな」
「そうですね」
アルトも、同意した。
剣より遅く、命令より曖昧。
だが、一度広がれば、止められない。
「帝国は、この“異変”を見逃さない」
ドレイクの声が、少し低くなる。
「分析される。
原因を探される」
アルトは、分かっていた。
次に来るのは、
理解しようとする者――数字の側の人間だ。
「……面倒ですね」
「だが」
ドレイクは、はっきり言った。
「もう、お前一人の問題じゃない」
アルトは、空を見上げた。
雲は、ゆっくりと形を変えている。
誰の命令でもなく。
戦闘力ゼロ。
それは変わらない。
それでも。
アルトがいない場所で、勝敗はすでに動いている。
その事実だけが、静かに積み上がっていった。
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