第4話 観測者たちの結論
第三軍団の臨時野営地は、街道から少し離れた林の中に設けられていた。
無駄がない。だが、張り詰めすぎてもいない。
――魔王軍らしい、とアルトは思う。
焚き火の前に座らされ、木の杯を渡された。中身は温い薬草茶だった。
「毒は入っていないわ」
向かいに腰を下ろした女が、淡々と言う。
黒い外套、整った所作。丘で会った魔王軍副官――リリア=ヴァルディスだ。
「信用してます」
アルトが答えると、彼女は一瞬だけ目を細めた。
「随分と早い信用ね」
「昨日と今日で、十分でした」
嘘ではない。
帝国なら、まず尋問。次に拘束。最後に評価だ。
ここでは違う。
リリアの背後では、数人の魔族兵がさりげなく配置についている。
警戒はしているが、敵意は薄い。
「あなたは、自分が何をしたか理解している?」
唐突な問いだった。
「……何も、していません」
アルトは正直に答えた。
リリアは、首肯する。
「ええ。その答えが一番正確ね」
彼女は指で地面に、簡単な図を描いた。
街道、帝国軍、魔王軍、馬車、盗賊。
「あなたは命令していない。交渉もしていない。
それなのに、全員が“自分の判断で”剣を下ろした」
指が、中央で止まる。
「因果が、あなたを中心に再配置された」
アルトは黙ったまま、焚き火を見つめた。
理解していないわけじゃない。
ただ、それを“力”だと認めるのが、少し怖かった。
「魔王様は、この現象を“ノイズ”と呼ぶわ」
「……ノイズ?」
「戦闘力や指揮系統で説明できない揺らぎ。
戦場において、本来あってはならない存在」
リリアは、アルトをまっすぐ見た。
「あなたは、その中心にいる」
しばし沈黙。
やがて、アルトはぽつりと言った。
「……それでも、俺は何もできません。
さっきだって、もし誰か一人でも剣を抜いていたら――」
「死んでいたでしょうね」
リリアは、あっさり言った。
アルトの肩が、わずかに強張る。
「万能ではない。
それが、あなたの“人徳”の弱点」
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
――やっぱり、そうだ。
「人徳は、相手の選択に依存する。
強制できない。だから不安定。でも――」
リリアは、焚き火に小枝を放り込む。
「だからこそ、私たちは恐れている」
「……恐れる?」
「支配は壊れる。でも、信頼は残る。
あなたが通った後、兵の配置も、街道の流れも、少しずつ変わり始めている」
アルトは、思い出していた。
馬車の子どもの笑顔。
盗賊の、剣を下ろした手。
自分が“正しいことをした”とは、思っていない。
ただ、そうするしかなかっただけだ。
「魔王様は、あなたを敵とも味方とも定義していない」
リリアが立ち上がる。
「――観測対象、よ」
「ずいぶん物騒な扱いですね」
「帝国なら、即処分」
彼女は、少しだけ口元を緩めた。
「それに比べれば、優しいでしょう?」
夜風が、焚き火を揺らした。
「一つ、忠告を」
リリアは、背を向けたまま言う。
「あなたの人徳は、全員には効かない。
“選ばない者”には、通じない」
「選ばない者……」
「自分の意思を手放した者。
評価に、命令に、数字に――全部預けた存在」
アルトの脳裏に、帝国の評価水晶が浮かんだ。
「そういう相手に出会ったとき、あなたは初めて“何もできない”立場に立つ」
それは、予言のようだった。
リリアは振り返り、最後に一言だけ残す。
「それでも進むなら――
魔王軍は、あなたを排除しない」
去っていく背中を見送りながら、アルトは深く息を吐いた。
理解された。
評価された。
それなのに、胸は重い。
「……観測、か」
焚き火の火が、静かに燃えている。
戦闘力ゼロ。
それは変わらない。
でも今、確かに分かったことがある。
この世界には、
“測れないものを、恐れる側”と
“測れないものに、賭ける側”がいる。
そして自分は――
もう、どちらからも目を逸らされる存在ではない。
それが、少しだけ怖くて。
少しだけ、腹が立った。
「……勝手に観測するなよ」
誰に向けた言葉でもなく、アルトはそう呟いた。
焚き火が、ぱちりと音を立てた。
――次は、きっと“通じない相手”が来る。
そんな予感だけが、夜の底に残っていた。
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