第32話 真似された思想
その集落は、谷よりもずっと大きかった。
人の数は三倍。
土地も広い。
そして――
問題も多かった。
***
「評価は、もうしない」
広場の中央で、男が声を張り上げる。
「誰が何をしても、
ここでは自由だ」
周囲から、ざわめきが起きた。
その言葉自体は、
どこかで聞いたことがある。
「谷のやり方」だ。
***
だが。
実際に起きていることは、
少しずつ違っていた。
「……それ、
本当にやらなくていいのか?」
「評価しないんだろ」
「じゃあ、俺もやらない」
仕事が止まる。
作業が抜ける。
それを、誰も止めない。
止める理由が、ないからだ。
***
「……食料が減っている」
「誰かが多く取ってる」
「でも、
評価しないんだろ?」
言葉が、盾になる。
自由は、
責任とセットでなければ、
ただの免罪符だ。
***
数日後。
争いが起きた。
「勝手に持っていくな!」
「共有だろ!」
声が荒れ、
ついに手が出る。
谷では、起きなかったことだ。
理由は、単純だ。
ここには――
選び続ける人がいない。
***
同じ頃。
地方自治連合・調整所。
「……失敗例が、出ました」
報告を受けたミルド・ラゼンは、
静かに目を閉じた。
「やはり、ですか」
責める気配は、ない。
予測していた。
「谷とは、何が違う」
「中心人物がいません」
部下は、即答する。
「決めない覚悟を、
共有できていない」
ミルドは、深く頷いた。
「思想だけが、
切り取られた」
最悪の拡散だ。
***
「このまま放置すれば、
“評価拒否”そのものが
危険思想として扱われます」
部下の声が、重い。
ミルドは、資料を閉じる。
「……それでも」
小さく息を吐く。
「完全管理に戻せば、
同じことを繰り返す」
正しさと、現実。
どちらも、間違っていない。
***
一方、その集落では。
「……谷は、
こんなことになってないらしい」
「じゃあ、
俺たちが間違ってるのか?」
誰も、答えられない。
真似は、した。
だが、
文脈を失った。
***
その夜。
小さな火が、消えた。
誰も、薪を足さなかった。
皆、誰かがやると思っていた。
誰も、選ばなかった。
***
谷。
ラグは、遠くの空を見ていた。
理由は、分からない。
だが、胸騒ぎがする。
「……外で、
何か起きてる」
それは、勘だった。
正しかった。
***
アルトは、その頃、
別の土地で同じ話を聞いていた。
「……真似した集落が、
崩れかけてる」
ドレイクの報告に、
アルトは目を伏せる。
「……やっぱり」
小さく、呟く。
谷は、
成功例ではない。
ただ、
奇跡的に持っている例だ。
それを、
誰も理解していない。
思想は、
言葉だけで広がる。
だが。
覚悟は、広がらない。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




