第31話 残された場所
アルトが谷を離れてから、五日が経った。
大きな混乱は、起きていない。
暴動も、争いもない。
それが、かえって不安だった。
***
「……今日の分、どうする?」
焚き火の前で、誰かがラグに声をかける。
ラグは、一瞬だけ考える。
「……昨日と同じでいい」
それは、命令ではない。
だが。
判断だった。
周囲は、何も言わずに動く。
誰も「決めろ」とは言っていない。
だが、決まることを期待している。
***
ラグは、その視線に気づいていた。
気づいていて、
逃げられないことも分かっていた。
「……俺は、アルトじゃない」
小さく呟く。
だが、その言葉は届かない。
***
昼。
水路の点検で、問題が見つかる。
「このままだと、
三日後には使えなくなる」
「どうする?」
視線が、また集まる。
ラグは、歯を噛みしめる。
「……応急で、こっちを塞ぐ」
「恒久対応は?」
即答できない。
アルトなら、
「決めない」という選択肢を出した。
だが今。
誰かが決めなければ、
水は止まる。
「……後で、話し合おう」
それが、精一杯だった。
***
夕方。
焚き火の数は、変わらない。
だが、距離が微妙に開いている。
相談する人。
距離を取る人。
誰も不満を口にしない。
不満が、評価されないからだ。
***
夜。
ラグは、一人で薪を割っていた。
必要以上に、力が入る。
「……向いてないな」
自嘲気味に呟く。
アルトは、
判断しなかった。
だから、
判断の責任が浮かび上がらなかった。
ラグが判断すると、
それはすぐ「正解」か「不正解」になる。
それが、怖い。
***
「……無理しなくていい」
声をかけたのは、
以前からいた年配の男だった。
「誰も、
お前にアルトを求めてない」
ラグは、苦く笑う。
「……求めてないなら、
見ないでくれ」
その言葉は、
怒りではなく、疲労だった。
***
その夜。
小さなミスが起きた。
食料の配分が、少し偏った。
誰かが気づき、
誰かが気づかないふりをする。
大事にはならない。
だが。
積もる。
***
ラグは、焚き火を見つめながら考える。
この場所は、
「誰も決めない」ことで守られていた。
だが今。
決めない人間がいない。
「……アルトは、
これを分かってて出たのか」
答えは、ない。
***
翌朝。
谷は、まだある。
崩れてはいない。
だが。
ここはもう、
同じ場所ではない。
アルトがいた頃のように、
“選び続ける場所”ではなく。
**「選ばされ始めた場所」**になっている。
ラグは、その変化を理解していた。
だからこそ。
「……このままじゃ、
ダメだな」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
谷は残った。
思想も、残っている。
だが。
人が変われば、
形は変わる。
それを、
誰よりも強く感じているのが、
ラグ自身だった。
火は、まだ灯っている。
だが。
誰が薪を足すのかを、
皆が見ている。
それが、
この場所の新しい歪みだった。
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