第30話 残らないという選択
朝の谷は、驚くほど静かだった。
人は減った。
焚き火は一つ。
動きも、少ない。
それでも――
空気は、澱んでいない。
迷いが、減ったからだ。
***
アルトは、谷の中央に立った。
珍しいことではなくなっている。
人は集まらない。
呼びかけもしない。
それでも、
視線は集まる。
「……話があります」
短い言葉。
必要以上に、引き延ばさない。
***
「ここは、
評価されない場所です」
それは、最初から変わらない。
「命令も、
罰も、
支援もありません」
視線が、落ちる。
現実を、皆知っている。
「それでも、
ここに残った人がいる」
アルトは、一度息を吸う。
「だから、
確認しておきたい」
胸の奥が、少しだけ痛む。
「俺がいなくなっても、
ここに残りますか」
空気が、止まった。
***
「……どういう意味だ」
誰かが、低く尋ねる。
「文字通りです」
アルトは、視線を逸らさない。
「俺がいるから、
ここにいるなら」
言葉を、選ぶ。
「それは、
ここが“俺の場所”になっている」
それだけは、避けたい。
「俺は、
誰かの代わりに
選択を背負えません」
それは、
逃げではない。
責任の取り方だ。
***
沈黙。
誰も、すぐには答えない。
焚き火が、音を立てる。
***
ラグが、一歩前に出た。
「……残る」
短い言葉。
迷いは、ある。
それでも。
「楽じゃないのは、
もう分かってる」
視線が、アルトに向く。
「それでも、
誰かに決められるよりは、
自分で選びたい」
他の者も、頷く。
全員ではない。
だが、十分だ。
***
「……ありがとう」
アルトは、静かに言った。
それは、感謝であって、
評価ではない。
「なら」
一歩、後ろに下がる。
「俺は、
しばらくここを離れます」
ざわめき。
だが、混乱は起きない。
もう、皆知っている。
この人は、
残らないことで守る。
***
ドレイクが、低く言う。
「……どこへ行く」
「外を、見る」
アルトは、即答する。
「このやり方が、
通じる場所と、
通じない場所を」
それは、
第3部への扉だった。
***
出発の準備は、簡素だった。
荷は、少ない。
特別な餞別も、ない。
ラグが、声をかける。
「……戻るのか」
アルトは、少し考えてから答えた。
「必要なら」
それだけだ。
約束は、しない。
***
谷を出る直前。
アルトは、振り返らなかった。
振り返れば、
何かを背負ってしまう。
ここは、
彼の場所ではない。
選び続ける人の場所だ。
***
谷に残った人々は、
アルトの背中を見送った。
不安は、ある。
だが。
「いないなら、どうするか」を
考え始めている。
それが、変化だった。
***
谷の外。
アルトは、一人歩く。
評価も、支援もない世界。
だが、
評価を失った世界は、
まだ続いている。
「……始まりますね」
ドレイクが言う。
「第2段階だ」
アルトは、頷いた。
ここから先は、
谷の物語ではない。
思想が、世界に触れる物語だ。
火は、谷に残した。
消えないかどうかは、
彼には分からない。
それでいい。
選ばないという選択は、
ようやく――
彼自身からも、
離れたのだから。
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