第3話 何もしていないのに、勝っていた
夜明け前、焚き火の残り火が小さく爆ぜた。
俺は簡単な朝食を済ませ、野営地を離れる準備をしていた。
ここに長居する理由はない。盗賊が戻ってこない保証もないし、何より――追放者が留まる場所じゃない。
「……静かすぎるな」
遠くで、風に混じって金属音がした気がした。
剣が触れ合うような、乾いた音。
魔王軍の領域が近い。
帝国軍の哨戒と、小規模な衝突があっても不思議じゃない。
だが、俺は様子を見に行かなかった。
――行っても、俺にできることはない。
戦闘力ゼロ。
その現実は、ちゃんと理解している。
俺は工具袋を肩にかけ、森を抜ける小道へ足を向けた。
***
正午前、開けた丘に出たときだった。
下方の街道で、人だかりができている。
鎧の色で分かる。帝国軍だ。
「……面倒だな」
避けようとした、その瞬間。
「おい! そこのお前!」
呼び止められた。
若い兵士が数人、こちらを指差している。
顔つきに、見覚えがあった。第七演習場で笑っていた連中だ。
「やっぱりな。ゼロだろ? 追放されたって聞いたぞ」
もう一人が、あからさまに鼻で笑う。
「こんなとこで何してんだ? まさか、魔王軍に寝返りか?」
言葉の端に、期待が混じっていた。
――見つけた、叩いていい相手。
「通りがかりです」
「はっ。相変わらず、役に立たない返事だな」
兵士たちの背後で、別の動きがあった。
帝国軍の小部隊と、街道脇で向き合っている一団。
角のある兜、黒い外套。
魔王軍だ。
数は拮抗している。
だが、帝国軍の方が緊張していた。隊列が乱れている。
――まずい。
この距離で衝突すれば、街道は戦場になる。
避難民や商人が巻き込まれる。
「おい、ゼロ。見ろよ」
兵士の一人が、愉快そうに言った。
「これから始まるんだ。戦闘力のある奴らの戦いがな」
俺は、何も言わなかった。
言えなかった、じゃない。
言う必要がなかった。
なぜなら――。
「……おかしい」
帝国軍の隊長格が、苛立った声を上げた。
「魔王軍の動きが遅い。様子見か?」
魔王軍側も、剣を抜かない。
互いに、じりじりと距離を詰めるだけ。
そのとき。
街道の反対側から、馬車が現れた。
「止まれ!」
帝国兵が叫ぶが、馬車は止まらない。
御者が必死に手を振っている。
――昨日の。
俺が助けた、あの馬車だった。
「子どもがいるぞ!」
「避難させろ!」
一瞬で、場の空気が変わった。
帝国軍の隊列が崩れる。
魔王軍も、剣を下げる。
その隙を縫うように、別の集団が街道脇から現れた。
――野営地の、盗賊たち。
武器を持っているが、剣先は地面に向けられている。
「待て!」
魔王軍の副官らしき女性が、一歩前に出た。
「争う意思はない。ここは通行路だ」
盗賊の一人が、ため息混じりに言う。
「分かってる。昨日のガキがいるからな」
帝国兵たちが、混乱した声を上げる。
「な、なんで盗賊が……」
「魔王軍と話してる……?」
俺は、少し離れた丘の上で、その光景を見ていた。
胸が、妙に静かだった。
――そうか。
昨日、俺がしたこと。
馬車を助け、盗賊と話したこと。
それが、今日のこの場に、全部繋がっている。
誰も、俺のことを見ていない。
俺は戦場にすら立っていない。
それなのに。
「……撤退する」
帝国軍の隊長が、歯噛みして命じた。
「評価外の状況だ。無駄な衝突は避ける!」
魔王軍も、深追いしなかった。
街道は、戦場にならなかった。
――勝った。
誰も血を流さずに。
誰も命令せずに。
兵士たちが散っていく中、例の若い兵が、ぽつりと呟いた。
「……あれ? 俺たち、何しに来たんだっけ」
その声は、誰にも届かなかった。
***
しばらくして、人影が近づいてきた。
黒い外套の女性――魔王軍の副官が、丘を見上げている。
視線が、まっすぐ俺を捉えた。
「あなた」
なぜ、分かったのか。
俺は、ただ立っていただけなのに。
「……何か?」
「いいえ」
彼女は、静かに首を振った。
「ただ、確認したかっただけ。
この場に、戦闘力ゼロの追放者がいると聞いたから」
胸が、少しだけ締めつけられる。
「噂は、早いですね」
「ええ。でも――」
彼女は、街道を振り返った。
「今日の結果は、誰の戦果でもない。
それなのに、一番得をしたのは……あなたでしょう」
俺は、答えられなかった。
彼女は微笑むでもなく、ただ言った。
「魔王軍第三軍団副官、リリア=ヴァルディス。
――あなたの名前を、聞いても?」
「……アルトです」
「覚えておきます、アルト」
それだけ言って、彼女は去っていった。
丘に残された俺は、しばらく空を見ていた。
雲が流れ、風が吹く。
何も変わっていない。
でも。
――確かに、何かが動き始めた。
戦闘力ゼロ。
それでも、俺の周りで、世界が勝手に形を変えていく。
それが、良いことなのか、悪いことなのか。
まだ分からない。
ただ一つだけ、はっきりしている。
この世界の“勝敗”は、
水晶が決めているわけじゃない。
そして俺は――
もう、ただの「ゼロ」ではいられないらしい。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




