第28話 届かない距離
谷に、変な静けさが広がっていた。
騒がしいわけではない。
不安が爆発しているわけでもない。
ただ――
外と繋がっていた感覚が、薄れている。
***
朝。
谷の入口に立っても、
人影は見えなかった。
以前なら、
通りがかりの行商人や、
移動中の難民が、
遠くに点のように見えた。
今は、ない。
「……三日、ですね」
アルトが言った。
「人の出入りが、完全に止まってから」
ドレイクは、短く頷く。
「意図的だな」
物流路が変わった。
道が塞がれたわけではない。
ただ、
誰も通らなくなった。
それが一番、効く。
***
昼。
谷の中央に置かれた掲示板――
正式なものではなく、
誰かが立てた木の板。
そこに、簡単な書き付けが増えていた。
塩、残り少
針金、在庫なし
布、補修不能
誰も騒がない。
だが、
数字が減っていくのは、分かる。
***
「……前なら」
ラグが、ぽつりと言った。
「誰かが通りすがりに、
布くらいは分けてくれた」
アルトは、何も言わない。
それは、事実だ。
「今は、
助けを求める相手がいない」
ラグは、地面を見つめる。
その背中に、
少しだけ疲れが見えた。
***
午後。
小さな判断ミスが起きた。
谷の外れで、
水路の補修をしていた二人が、
資材の使い方を巡って言い合いになった。
「そっちは、後回しだろ」
「いや、今やらないと――」
大きな喧嘩にはならない。
だが、
決める人がいない。
アルトは、その場にいなかった。
戻ってきた頃には、
補修は中途半端なまま、
水が漏れていた。
「……やり直します」
誰かが言う。
時間と体力が、余計に削られる。
***
夕方。
焚き火の前で、
ラグが珍しく、弱音を吐いた。
「……正直」
声は低い。
「自治官の案、
全部が間違いだとは思ってない」
周囲が、静かになる。
「登録も、当番も、
あれば楽だ」
誰も、否定しない。
それが、現実だ。
ラグは、アルトを見た。
「それでも、
ここにいるって決めた」
一度、言葉を切る。
「……でもさ」
視線が揺れる。
「このまま、
削れていくだけなら、
意味はあるのか?」
それは、裏切りではない。
継続への疑問だ。
***
アルトは、すぐに答えなかった。
簡単な言葉なら、いくらでも出せる。
だが。
「……分からない」
正直に言った。
それが、この場の唯一のルールだ。
「楽な方を選ぶのも、
正しい」
「ここに残るのも、
正しい」
ラグは、黙って聞いている。
「だから――」
アルトは、少しだけ視線を落とした。
「俺がいるから、
ここを選んでいるなら」
空気が、張る。
「それは、
間違っている」
誰かが、息を呑んだ。
「俺は、
理由になっちゃいけない」
それは、
初めて口に出す不在の予告だった。
***
夜。
谷は、静かだ。
焚き火は、減った。
だが、消えてはいない。
アルトは、少し離れた場所で、
一人空を見上げていた。
星は、変わらない。
変わったのは、距離だ。
外との距離。
人と人の距離。
そして――
アルト自身との距離。
「……囲われていますね」
ドレイクが、隣に立つ。
「ああ」
「剣も、命令も、ないのに」
「だから、効く」
アルトは、小さく息を吐いた。
これは、攻撃じゃない。
選択肢を、
一つずつ減らすやり方だ。
谷は、まだある。
だが。
ここに居続ける理由を、
誰もが自分で考え始めている。
それが、
一番の変化だった。
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