第24話 守らないという選択
谷の朝は、いつもより静かだった。
焚き火の数は変わらない。
人の数も、減ってはいない。
それでも、
何かが決まる前の空気が漂っていた。
***
アルトは、谷の入口に立っていた。
向かいには、ミルド・ラゼン。
地方自治連合の調整官。
その背後には、昨日と同じ部下たち。
「ご検討いただけましたか」
ミルドの声は、穏やかだ。
急かさない。
だが、引かない。
「はい」
アルトは、短く答えた。
胸の奥が、重い。
だが、目は逸らさない。
「お断りします」
一瞬、風が止まったように感じられた。
***
「……理由を、伺っても?」
ミルドは、表情を崩さない。
怒りも、苛立ちもない。
それが、逆に怖い。
「あなた方の提案は、正しいです」
アルトは、はっきり言った。
「ここを安定させる。
長く持たせる。
弱い人を守る」
すべて、正論だ。
「ですが――」
一歩、前に出る。
「それを受け入れた瞬間、
ここは“登録しないと居られない場所”になります」
ミルドは、黙って聞いている。
「評価制度が下がった世界で、
それは新しい評価です」
アルトは、続ける。
「この谷は、
評価から逃げてきた人の場所です」
登録。
基準。
当番制。
それは、救いでもある。
だが、
逃げ場ではなくなる。
***
「では、放置する、と?」
ミルドの声が、少しだけ低くなる。
「守らない、という意味ですか」
その言葉に、
周囲の空気がざわついた。
アルトは、否定しない。
「はい」
はっきりと、言った。
「守りません」
誰かが、息を呑む音がした。
「ここに来た人が、
困っても、失敗しても」
一度、言葉を切る。
「私が代わりに決めることはしません」
ミルドの眉が、わずかに動く。
「それは……無責任では?」
正論だ。
アルトは、少しだけ目を伏せた。
「そうかもしれません」
否定しない。
「でも、
私が決め始めたら、
ここは私の場所になります」
それは、
最も避けたい未来だ。
***
沈黙。
ミルドは、しばらく考え込んだ。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……あなたは、
人を守る気がないわけではない」
「はい」
「ただ、
守り方を選ばないだけだ」
アルトは、頷いた。
「選ばない、という選択です」
ミルドは、苦笑した。
「危険な考えだ」
「分かっています」
だから、引けない。
***
「分かりました」
ミルドは、一歩下がる。
「我々は、
強制はしません」
安堵の空気が、わずかに流れる。
だが。
「ですが――」
その声が、場を引き締めた。
「支援も、行いません」
当然の帰結だ。
「食料、医薬品、調整要員。
すべて、提供できない」
それは、脅しではない。
ただの、現実。
「それでも、
この形を維持しますか?」
アルトは、ドレイクを一瞬だけ見る。
ドレイクは、何も言わない。
決めるのは、アルトだ。
「……はい」
アルトは、答えた。
「ここは、
“守られない場所”である必要があります」
ミルドは、静かに息を吐いた。
「……残念です」
心からの言葉だった。
***
自治官たちが去った後。
谷には、重い沈黙が残った。
「……大丈夫なのか」
誰かが、呟く。
答えは、ない。
アルトは、谷の中央に立ち、声を出した。
「支援は、ありません」
ざわめき。
「困ったら、
自分たちで決めてください」
さらに、ざわつく。
「出て行く自由も、
ここに居る自由も、同じです」
それだけを、伝えた。
***
夜。
焚き火の前で、アルトは肩の力を抜いた。
「……嫌われましたね」
ドレイクが、短く言う。
「だが、
境界は守った」
アルトは、頷いた。
胸の奥が、痛い。
だが、後悔ではない。
これは、
受け皿が初めて“敵”を作った日だ。
そして同時に。
この場所が、
誰のものでもなくなった日でもある。
火は、まだ消えていない。
だが。
次に吹く風は、
もっと冷たい。
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