第22話 選ばないための条件
谷に、朝の空気が戻ってきていた。
だが、人の配置は戻っていない。
焚き火はいくつかに分かれ、
声は低く、短くなった。
誰も争っていない。
誰も追い出していない。
それでも――
ここは、もう同じ場所ではなかった。
***
アルトは、谷の中央に立った。
珍しいことだった。
誰かを集めたわけでもない。
呼びかけたわけでもない。
それでも、人は気づく。
「何かがある」と。
少しずつ、視線が集まっていく。
「……決まりを、作るんですか?」
誰かが、警戒するように言った。
アルトは、すぐに首を振る。
「いいえ」
はっきりした否定だった。
「命令もしません。
罰も、評価もありません」
ざわめき。
それなら、何をするというのか。
「ただ――」
アルトは、一度、息を吸った。
ここから先は、逃げられない。
「条件を、一つだけ提示します」
沈黙。
言葉を選ぶ時間は、もう終わっている。
「この谷にいる間、
誰かの成果を、当然のものだと思わないでください」
すぐには、意味が伝わらなかった。
「狩りに行く人。
薪を集める人。
何もしない人」
ゆっくりと、続ける。
「それぞれが、
それぞれの事情で選んでいます」
視線が、揺れる。
「だから、
“もらって当然”も、
“与えて当然”も、ありません」
誰かが、口を開こうとして、閉じた。
「……それって」
若い男が、恐る恐る言う。
「結局、
分けるか分けないかは、
各自の判断ってことですか?」
「はい」
アルトは、頷いた。
「ただし」
声が、少しだけ低くなる。
「判断した結果は、
自分で引き受けてください」
それは、罰ではない。
だが、無関係ではいられない宣言だった。
***
沈黙が、流れる。
誰かが、笑った。
「……それ、
今までと何が違うんだ?」
アルトは、答える。
「今までは、
“何もしなくても、誰かが何とかしてくれる”
という空気がありました」
胸の奥が、少し痛む。
「それを、
ここで終わらせます」
誰も、反論できなかった。
正論ではない。
だが、逃げ場もない。
***
その日の昼。
変化は、すぐに現れた。
狩り組が、食料を分ける前に言う。
「今日は、これだけだ」
「全部は、回らない」
責める声は、上がらない。
代わりに。
「……じゃあ、
明日は一緒に行く」
そんな声が、聞こえた。
義務ではない。
命令でもない。
選択だ。
***
一方で。
谷の外れでは、荷をまとめる者がいた。
「……ここ、
思ったより楽じゃなかったな」
誰も止めない。
止める理由が、ない。
***
夜。
焚き火の前で、アルトは深く息を吐いた。
「……これで、よかったんでしょうか」
ドレイクが、短く答える。
「少なくとも、
逃げなかった」
アルトは、頷いた。
胸の奥に、重さがある。
それは、後悔ではない。
責任だ。
評価はしない。
命令もしない。
だが、
場を放置もしない。
「……これが」
アルトは、焚き火を見つめた。
「俺にできる、
一番遠回りなやり方ですね」
ドレイクは、少しだけ笑った。
「向いてるぞ」
谷は、まだ不安定だ。
だが。
誰も、
“当然”の顔をしなくなった。
それだけで、
崩壊は一歩、遠のいた。
ただし――
このやり方は、
必ず誰かに嫌われる。
その時、
アルトがどう選ぶのか。
それが、
第2部の本当の山場になる。
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