第20話 見えない線
谷に、はっきりとした違いが生まれたのは、
誰かが悪いことをしたからではなかった。
ただ――
同じことを、同じように続けた結果だ。
***
「……今日も、あの人たちだけ?」
朝、狩りに出る三人の背中を見ながら、
若い女が小さく呟いた。
「まあ、いつも通りだろ」
「でもさ……」
言葉は、それ以上続かなかった。
不満を口にするのは、
この場所では少しだけ“居心地が悪い”。
評価されない場所だからこそ、
不満も評価されない。
***
昼。
谷の中央で、簡単な食事が配られる。
配る人間は、決まっている。
受け取る人間は、増えている。
「……量、少なくない?」
「今日は狩りが少なかったからな」
「じゃあ、後で何か取ってくるよ」
そう言った男は、結局どこにも行かなかった。
それを、誰も咎めない。
咎めれば、
判断したことになるからだ。
***
アルトは、少し離れた岩の上から、それを見ていた。
「……偏っていますね」
「見えないだけでな」
ドレイクは、淡々と答える。
「責任と負担が、
同じ場所に溜まり始めている」
アルトは、視線を落とす。
分かっている。
だが、どうすればいいのかが分からない。
評価は、したくない。
命令も、したくない。
それでも――
「……このままじゃ」
言葉が、続かない。
***
夕方。
小さな事件が起きた。
「それ、勝手に持っていっただろ」
「共有だろ?」
「共有って言ったのは、
誰でも好きにしていいって意味じゃない」
男たちの声が、少しだけ荒れる。
周囲の人間が、距離を取る。
止めない。
止めると、責任が生まれる。
数秒後、片方が手を離した。
「……もういい」
その言葉で、場は収まる。
だが。
握られた拳は、震えていた。
***
夜。
焚き火の前で、アルトは珍しく黙り込んでいた。
「……線を、引くべきなんでしょうか」
ドレイクは、すぐには答えなかった。
「引いた瞬間、
ここは“場”じゃなくなる」
「……分かっています」
アルトの声は、低い。
「でも、
引かないことで傷つく人もいます」
それは、否定できない。
評価をしない。
命令をしない。
その“優しさ”が、
一部の人間にだけ重くのしかかっている。
「……俺は」
アルトは、拳を握った。
「楽な方を選んでいるのかもしれません」
何もしないこと。
決めないこと。
それが、
誰かに任せることになっている。
ドレイクは、静かに言った。
「選ばないのも、選択だ」
アルトは、頷いた。
それを、今、身をもって理解している。
***
同じ夜。
谷の端。
「……そろそろ、限界じゃないか」
焚き火の陰で、数人が小声で話していた。
「働いてる奴らだけが、損をしてる」
「でも、追い出せないだろ」
「追い出さなくていい」
低い声が続く。
「分けなきゃいい」
沈黙。
それは、暴力でも命令でもない。
ただの、静かな排除だ。
***
アルトは、その会話を知らない。
だが、胸騒ぎだけは、確かにあった。
焚き火を見つめながら、ぽつりと呟く。
「……次は、
何かを決めないといけない気がします」
ドレイクは、何も言わなかった。
言えなかった。
ここで一つ、決めれば。
守れるものもある。
だが同時に、
壊れるものもある。
谷は、まだ静かだ。
だが――
線は、もう引かれ始めていた。
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