第2話 価値がないはずの男
城門を出てから、半日が経った。
帝都の外は、想像以上に何もなかった。
舗装された道は途中で途切れ、乾いた土と石がむき出しになる。風は冷たく、空はやけに高い。
「……追放って、もう少し手続きがあるものだと思ってたけどな」
独り言が、すぐに風にさらわれた。
持ち物は少ない。
工具袋、替えの服、干し肉が少し。
金は、追放の際に最低限だけ渡された。――“生き延びるための配給”。価値のない人間に対する、帝国の最後の合理だ。
歩きながら、自然と周囲を見てしまう。
地形、風向き、雲の流れ。
訓練で叩き込まれた習慣は、簡単には抜けない。
「……あ」
少し先で、馬車が止まっていた。
車輪が岩に噛み、動けなくなっているらしい。
御者らしき中年の男が、必死に押しているが、びくともしない。
その横で、若い女と子どもが立ち尽くしていた。
旅装束だ。商人か、移住者か。
本来なら、関わらない方がいい。
俺は追放者だ。厄介事を背負う余裕はない。
――でも。
「手、貸します」
気づけば、そう声をかけていた。
御者が驚いた顔でこちらを見る。
「え? あ、ああ……助かるが、あんた一人で大丈夫か?」
「力仕事じゃないです。少し位置を変えれば、抜けます」
俺は馬車の周りを一周し、車輪と岩の隙間を確認した。
角度が悪い。正面から押すと余計に噛む。
「馬を外してください。それから、こっちに少しだけ」
言われるまま動く御者。
女と子どもも、不安そうに見守っている。
俺は工具袋から、短い鉄棒を取り出した。
即席のテコだ。
「今です。ゆっくり」
――ゴリ、と鈍い音がして、車輪が外れた。
「動いた……!」
御者が目を見開く。
女がほっと息をつき、子どもがぱっと笑った。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が、少しだけ温かくなった。
「助かりました。本当に……お礼を」
女が小袋を差し出してくる。
中身は、たぶん金だ。
俺は首を振った。
「いえ。通りがかりですから」
「でも……」
「この先、道が荒れてます。日が落ちる前に、次の宿場まで行った方がいい」
それだけ伝えて、背を向ける。
――気づいたときには、もう歩き出していた。
価値がないはずの俺が、
誰かの役に立った。
それだけのことなのに、不思議と足取りは軽かった。
***
夕方、野営地の跡のような場所に辿り着いた。
焚き火の痕、壊れた柵、放置された荷。
「……最近まで、人がいたな」
嫌な予感がして、周囲を警戒する。
そのとき、草むらが揺れた。
「動くな」
低い声。
振り向くと、剣を構えた男が二人。
装備は粗末だが、殺気は本物だった。
――盗賊か。
戦闘力ゼロ。
この状況で、それはほぼ死刑宣告だ。
「金を置いていけ。命までは取らねぇ」
一人が、にやりと笑う。
俺は、ゆっくりと両手を上げた。
「分かりました。ただ、その前に一つだけ」
「あ?」
「その焚き火、昨日の夜に使ったものですよね」
男たちが、わずかに顔をしかめる。
「……だから何だ」
「薪が湿ってる。火の回りも悪い。無理して焚いたはずです」
もう一歩、前に出る。
「この辺り、食糧も少ない。だから、旅人を待ってた。でも――」
俺は、二人を順に見た。
「さっきの馬車、見送ったでしょう」
沈黙。
「子どもがいた。襲わなかった。……あなたたちは、そこまで悪人じゃない」
剣を持つ手が、少し揺れた。
「……何が言いたい」
「ここで俺を殺しても、何も楽にならない。
代わりに、さっきの宿場まで戻って、働き口を探す方がいい」
「馬鹿言うな!」
一人が怒鳴る。
だが、もう一人が小さく舌打ちした。
「……こいつ、変だ」
「は?」
「脅してるのに、怖がってねぇ」
俺は正直に答えた。
「怖いですよ。でも、あなたたちが本当に欲しいのは金じゃない」
少し間を置いて、続ける。
「――生き延びる道、でしょう」
長い沈黙のあと。
剣が、地面に下ろされた。
「……チッ。行くぞ」
もう一人も、渋々ながら剣を収める。
彼らは何も取らず、草むらの向こうへ消えていった。
俺は、その場にへたり込んだ。
「……心臓に悪い」
戦わずに済んだ。
でも、それは“運”だけじゃない。
さっきの馬車、子ども、盗賊。
点と点が、どこかで繋がっている気がした。
――力じゃない。
――数値でもない。
人と人の間にある、何か。
焚き火を起こしながら、俺は空を見上げる。
赤く染まる雲の向こう。
あの先に、魔王軍の領域がある。
「……帝国の外の方が、案外、まともかもな」
火が、静かに燃えた。
誰にも評価されない場所で。
それでも確かに、俺は“生きている”。
そして――
この世界の“評価”が、どこかおかしいことだけは、はっきりと分かり始めていた。
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