第19話 自由の重さ
谷に朝霧がかかるようになった。
季節が一つ、進んだ証拠だ。
焚き火の数は、増えている。
人も、少しずつ増えていた。
それでも、ここには相変わらず――
旗も、門も、名もない。
***
「……それ、今日もやらないの?」
焚き火のそばで、若い男があくび混じりに言った。
向かいでは、別の男が薪を割っている。
「やるよ。
気が向いたらな」
「昨日もそう言ってなかった?」
「昨日は、気が向かなかった」
言い争いにもならない。
怒鳴り声もない。
ただ、作業は進まない。
少し離れた場所で、その様子を見ていたアルトは、視線を落とした。
「……増えましたね」
ドレイクが、腕を組んだまま答える。
「ああ。
働かない理由も、な」
否定できなかった。
ここでは、働かなくても追い出されない。
評価も、罰もない。
それは、守るために作った条件だ。
だが。
「守られていると分かると、
動かなくなる人もいる」
アルトは、小さく息を吐いた。
それを責める資格は、自分にはない。
***
昼。
谷の中央に、自然と人が集まっていた。
「……食料、少なくなってきてない?」
誰かが言う。
「狩りに行けばいいじゃないか」
「誰が?」
沈黙。
結局、数人が立ち上がる。
いつもと同じ顔ぶれだ。
アルトは、その背中を見送った。
――同じ人が、同じ負担を背負っている。
評価はしていない。
だが、差は生まれている。
見えないだけで。
***
夕方。
谷の端で、口論が起きていた。
「勝手に持っていくなよ」
「余ってたじゃないか」
「余ってたんじゃない。
誰も触らなかっただけだ」
声は荒れているが、殴り合いにはならない。
アルトは、近づかなかった。
止めれば、判断したことになる。
しばらくして、片方が背を向ける。
「……もういい」
それで終わった。
だが、何かが残る。
不満。
諦め。
小さな亀裂。
***
夜。
焚き火の前で、アルトは黙っていた。
「……思ってたより、難しいですね」
「当然だ」
ドレイクは、即答する。
「命令がない世界は、
善意が前提になる」
「善意が、なくなったら?」
「壊れる」
あまりにも簡単な答えだった。
アルトは、拳を握る。
苛立ちが、胸の奥に溜まっている。
――評価しない、と決めた。
――命令しない、と決めた。
それでも。
「……不公平です」
思わず、漏れた。
働く者と、働かない者。
支える者と、支えられる者。
評価していないのに、
差だけが積み上がっていく。
「初めてだな」
ドレイクが、ちらりとアルトを見る。
「何がですか」
「怒りを、隠さなかったのは」
アルトは、答えなかった。
否定も、しなかった。
***
同じ夜。
谷の外れに、火が一つ灯る。
アルトの知らない場所で、
数人が集まっていた。
「……あいつ、何もしないよな」
「自由にしていいって言ったのは、あいつだ」
「だったら、俺たちも好きにすればいい」
笑い声が、低く響く。
悪意ではない。
ただの、合理性だ。
***
焚き火の前。
アルトは、空を見上げた。
星は、変わらない。
それでも、胸の中は重い。
「……選ばない、って」
小さく呟く。
「楽じゃないですね」
ドレイクは、何も言わなかった。
代わりに、薪を一つ、火にくべる。
炎が、少しだけ強くなる。
この場所は、まだ持っている。
だが。
自由は、放っておくと重くなる。
それを、アルトはまだ知らない。
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