第18話 名もない場所
評価制度が縮退運用に入ってから、七日が過ぎた。
世界は、急には変わらない。
剣が止まっても、疑いは残る。
命令が消えても、恐れは消えない。
それでも――
確実に、空気は違っていた。
***
街道から外れた、小さな谷。
かつては地図にも載らない放牧地だった場所に、
今は、いくつかの焚き火が灯っている。
柵も、旗もない。
門も、看板もない。
ただ、人がいる。
「……ここで、いいんですか」
若い男が、遠慮がちに言った。
農具を背負い、顔には疲れが残っている。
「いいかどうかは、分かりません」
アルトは、正直に答えた。
「だから、名前も付けていません」
集まったのは、十数人。
評価を下げられ、
移動対象になり、
それでも、どこにも行けなかった人たち。
「ここでは、何をすれば?」
別の女が、尋ねる。
「何をしてもいい」
アルトは、焚き火を見つめた。
「しなくてもいい」
その言葉に、何人かが戸惑った顔をした。
命令がない。
役割も、評価もない。
それは、自由というより――
不安だ。
「……働かなくていい、という意味ではありません」
アルトは、少し言い直した。
「働いたから価値がある、という場所でもないだけです」
誰も、すぐには頷かない。
それでいい。
***
少し離れた場所で、ドレイクが腕を組んで見ていた。
「随分、危うい場所だな」
「はい」
アルトは、即答する。
「正直、いつ壊れてもおかしくない」
「それでも、やるのか」
「……やらないと、もっと壊れます」
評価が戻れば、
彼らはまた数字に戻される。
それだけは、避けたかった。
***
夕方。
谷に、静かな動きが生まれる。
誰かが、勝手に火を足す。
誰かが、余った干し肉を分ける。
誰かが、何もせず、ただ座る。
指示はない。
管理もない。
それでも、人は勝手に動く。
「……不思議ですね」
若い女が、ぽつりと言った。
「怒鳴る人がいない」
アルトは、少しだけ笑った。
「俺も、そう思います」
***
夜。
焚き火のそばで、アルトは一人考えていた。
――これは、国じゃない。
――組織でもない。
制度の代わりには、ならない。
ただの、隙間だ。
だが。
「……これでいい」
胸の奥に、微かな苛立ちがあった。
もっと、上手くできたはずだ。
もっと、多くを救えたかもしれない。
その感情を、初めてはっきり自覚する。
――悔しい。
それでも、答えは出さない。
出してはいけない。
***
同じ夜。
帝国・中央評価局。
イリス・フェルディナは、新しい報告書を読んでいた。
「……谷に、非登録者の集団」
眉が、わずかに動く。
だが、命令書は出さない。
今は――
出せない。
「……監視対象、保留」
彼女は、そう記す。
評価制度が下りた世界で、
それは、最大限の譲歩だった。
***
谷。
風が吹き、焚き火が揺れる。
誰も、英雄を見ていない。
誰も、指導者を求めていない。
それが、この場所の条件だ。
アルトは、空を見上げた。
星は、いつも通りにある。
戦闘力ゼロ。
追放者。
それも、変わらない。
だが今。
評価されない人間が、
評価されないまま生きている。
その事実だけが、
静かに、ここにあった。
名前は、まだない。
だが、この場所は――
確かに、始まっていた。
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