第4章 アサシン・ユキコ その任務
◆SF/現代ドラマ/少しハードボイルド
◆未来から来たアサシン × 古物商の男
◆非日常と日常のギャップ
◆戦闘力MAXの女 × 庶民的な男
◆“救われない未来”から漂着した女が、生まれ直す物語
この作品は「派手な戦闘」よりも、
ふたりの距離が近づいていく感情の動きと、
現代の日常に混ざる非日常を楽しんでいただければ幸いです。
投稿はゆっくりペースになるかもしれませんが、
最後まで大切に書きたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
第4章 アサシン・ユキコ その任務
今日は仕事だ。
そう思うと、胸のどこかがスッと軽くなる。
いつもの日常に戻れる——そんな安堵だ。
シャツに袖を通し、スラックスを穿き、ベルトを締める。
カウンターではユキコがトーストを食べながら、じっと俺の支度を見ている。
目が合うと気後れした。(ああ、悪夢さめやらん)と心の中でつぶやき、苦笑いする。
一瞬、手が止まったが、すぐに“仕事モード”に戻った。
そんな俺の心など知る由もないユキコが、冷静な表情で口を開く。
「仕事に行くのね。たしか、都内の貿易会社に勤めているのよね」
「うん、そうだよ。……職場も調べてたんだ?」
「あなたのことは、調べられるだけ調べたわ。
半世紀前の人でも、記録は案外残ってるものね」
“仕事モード”に入った俺は、会話の半分を聞き流しながら支度を続ける。
ソファに腰を下ろし、靴下を履いてテレビのスイッチを入れる。
ニュース、天気、交通情報。それを眺めながら新聞をめくる。
経済紙、一般紙、『リユース経済新聞』、専門誌『目の眼』。
会社に行けば海外誌も読む。ネットで拾えば速い情報も多いが、
“足の遅い情報”は紙でじっくり向き合ったほうが頭に残る。
これは上司に叩き込まれた習慣で、もう八年続けている。
営業は、雑談の一言で勝負が決まる。
場の空気を読み損ねれば、主導権を相手に奪われる。
くだらない話のつもりが、商機を逃すきっかけになることだってある。
だから、朝の流し読みも真剣勝負だ。
その積み重ねのおかげで、俺は会社でも稼ぎ頭になった。
もともとアンティークが好きで、大学では古美術史を専攻した。
清朝の青磁、ガレのガラス、古伊万里、マイセン——。
どれも品としての魅力はあるが、
俺が惹かれるのは、そのアンティーク一つひとつの“背景にある人間の物語”だ。
骨董は旅人。
誰の手を渡り、どんな時代を越えてきたのか。
それを想像するのが、たまらなく好きだった。
ふと振り返ると、
ユキコがまだ、静かにこちらを見ていた。
まるで、俺という男の“別の顔”を観察しているかのように。
「あ、そうそう」
出勤前に思い出し、キッチンへ向かった。
「昼飯だけど、昨夜寝る前にバスク煮込み作っておいた。
温めて食べてくれればいいから」
「バスク? ……何それ?」
「洋風の煮込み料理だよ。
さっき火を入れておいたから、今ちょうど味がしみてる頃」
そう言った途端、ユキコの顔がパッと明るくなった。
彼女はスッと立ち上がり、IHコンロの上の琺瑯鍋へ向かう。
蓋を開け——中を覗き込み——
スプーンを手にして、今にも味見をしようとして——。
「こら。今食べたら昼の分なくなるぞ~」
ピタッ。
ユキコはスプーンを咥えたまま固まり、
“叱られた子供みたいに”ビクッと肩をすくめた。
そして、恨めしそうに俺を見上げる。
(……可愛い)
なんとか笑いを堪えて立ち上がり、玄関へ向かう。
未来から来た凄腕の戦士だって?
そんなの、食べ物の前ではどう見ても“ただの子猫”だ。
「じゃあ行ってくる。合鍵はここに置いておくから。……気をつけてな」
「……いってらっしゃい」
振り返ると、そこには
俺に向かって小さく手を振る“子猫ユキコ”がいた。
頬が緩むのを自覚しながら、俺は玄関のドアを閉めた。
***
ユキコは、昼下がりにマンションを出た。
どうしても、自分の目でマンション周辺の様子を確かめておきたかった。
ヨシヒコから借りたこの街の地図を片手に、
建物の並びや通りの雰囲気、人通りの具合を確認しながら歩いていく。
どの街並みも春の日差しで明るく、
時折すれ違う人々の表情も柔らかい。
ジャケットにスウェット、スニーカー。
ごく普通のカジュアルな服装の若い女が一人で歩いている——
この世界ではありふれた光景だろう。
だが、ユキコの常識からすると、
「こんなに無防備な状態で、女性が一人で外を歩ける社会」など、考えられなかった。
昨夜から、彼女はテレビを食い入るように見ていた。
この時代の“常識”がどんなものかを、少しでも多く吸収しようとして。
テレビが映し出す日常の風景。
ニュースもバラエティも、彼女にはどれも刺激的だった。
人々は奔放で、画面の中は急に賑やかになったかと思うと、
遊興施設のアトラクションではしゃぐ人々の映像に切り替わる。
ドラマでは、男女がほぼ同じ立場で描かれる。
恋人同士、夫婦、友人——さまざまな関係性を画面いっぱいに見せつけ、
笑いあい、怒鳴りあい、ときに泣きあったりもする。
そんな光景を、ユキコは何度も何度も繰り返し見た。
タイムトラベルの末にたどり着いたこの時代は、
ユキコにとって、ほとんど「別の惑星」にさえ思えた。
——本当にここは、自分たちの世界へと繋がる“過去”なのか?
そんな疑問すら湧いてくる。
初めは、ネットのサイトの画像だけが派手で煌びやかなのだと思った。
だが、今日こうして実際に自分の足で歩いてみると、
この街も、人も、空気さえも、ユキコのいた世界とは“色”が違った。
まるで本当に、別世界だ。
ユキコのいた未来の世界は、どちらかと言えばモノクロだった。
街のどこを見てもグレーで、
色がついているものといえば信号と、
大きな施設に設置された街頭モニターだけ。
そこには、政府が流す日常生活の指示やニュース映像が、
色鮮やかに、しかし淡々と映し出されているだけだった。
人々の顔に笑顔はなく、
それぞれが決められた行動を、決められた場所で、決められた時間に繰り返す。
静かで、味気なく、どこまでも均一で——
“人間として扱われている”という実感は、ほとんどなかった。
それでも、多くの人々は教育のおかげで、
その世界を“当たり前”として受け入れていた。
そこには、個人の意識など存在しないも同然だった。
そんな世界に疑問を持ち続けたのが、ユキコたち解放運動家だった。
政府が施行する法律や行政に敢然と抵抗し、
“元の、人間らしい生き方”を取り戻そうと立ち上がった者たち。
独立自治運動として始まったそれは、やがて世界規模の解放軍へと姿を変える。
ユキコが生まれた頃には、すでにその戦いは何十年も続いていた。
地下組織化した解放軍は、世界中で有機的につながり、
ディストピア化した世界体制を転覆させようと、
各地で政府軍と血みどろの戦いを繰り広げた。
その戦いの中で、解放軍は次第に政府軍を圧倒し始める。
全世界で同時多発的に拠点を攻め落とし、
いくつもの要衝を解放していった。
——そして、ある事件が起きる。
政府が厳重に管理してきた「タイムトラベル装置」のある施設が、
解放軍によって制圧されたのだ。
時間そのものを制御する権限の一部が、
解放軍の手に落ちた。
解放軍は、急遽「時間工作」を専門に行う新たな機関を立ち上げる。
過去へ人員を送り込み、歴史そのものを書き換えるための組織だ。
タイムトラベル専用のエージェントを養成し、
ディストピアの原因となった“元凶”を過去から断ち切る——
それが、彼らの描いた新しい戦略だった。
その時間工作機関のひとつが「クノイチ」。
ユキコが所属していた機関だ。
ほかにも、同類の機関が四つ。
トモエ、ワルキューレ、ジャンヌダルク、アマゾネス——。
いずれも、女性戦士や英雄の名を冠した組織だった。
だが、時間工作には大きなリスクが伴う。
その根幹にあるのが、ノヴィコフ自己整合性原理——
「時間旅行が可能であっても、
旅人の行動はすべて“すでに歴史に含まれていること”に限られ、
自己矛盾を引き起こす行動は“物理法則によって禁止される”。」
とされる考え方だ。
一般的には、「歴史の強制力が働き、元に戻ろうとする力」と解釈されている。
つまり——
ディストピア化した世界の原因となった法律の制定と施行を、
“過去に遡って取り消す”という行動そのものが、
この原理によって禁止されている可能性がある、ということだ。
もし自己整合性原理が発動した場合、
時間工作員も、そのいる世界線も、
“はじけ飛ばされ”、時空がゆがむ大障害を引き起こす危険性がある。
それでもユキコたちの時代の時間工作機関は、
この危険を理解したうえで、それぞれの機関から工作員を送り出した。
複数の世界線に同時に揺さぶりをかけることで、
歴史の強制力を乗り越えようとしたのだ。
そのクノイチ機関の一員として、
最前線の作戦に志願したのが、ユキコだった。
この任務に参加するということは、
自分が死ぬ可能性を受け入れるということでもあった。
彼女はそれを承知の上で、
“任務遂行のためなら命も投げ出す”覚悟を固め、
この時代へとタイムトラベルしてきたのだ。
——だが、この世界にたどり着いてから、まだ任務は遂行されていない。
ディストピア化の元となる法律が、この世界で最初に国会に提出されるのは、
翌年の。1月通常国会だ。
この時代の衆議院議員・木ノ内泰人。
この法案の立案者となる男。
ユキコは、彼に近づき、暗殺しなければならない。
今のところ、“歴史の強制力”は働いていないように見える。
彼女の存在自体が拒絶されている気配は、まだない。
だが、ひとたび立案の妨害工作を本格的に始めれば、
その瞬間に強制力が働くかもしれない。
そして、もうひとつ慎重に見極めなければならないことがある。
——この世界線そのものが、
本当に「自分たちがいた未来へ繋がっている世界線」なのか。
もし、この世界線がまったく別の分岐であるならば、
ユキコがどれだけ動こうと、
彼女のいた世界は一ミリも救われない。
クノイチ機関のユキコが失敗しても、
他の機関の工作員が、どこか別の世界線で木ノ内の暗殺を成功させるかもしれない。
その場合、この世界でユキコがどれだけ足掻いたところで、
彼女はただの“余所者”でしかない。
——無理にこの世界を揺さぶろうとすれば、
この世界の自己整合性原理によって、
自分は時空の彼方へ弾き飛ばされるかもしれない。
だからこそ、慎重さが必要だった。
ここが本当に、自分たちの時代へ繋がる「過去」なのか。
それとも、似て非なる、どこか別の枝なのか。
一刻も早く、この世界線の正体を見極めなければならない。
ユキコは、街を歩きながら、
これまでの自分の足跡をなぞるように思い返す。
——どうやって、この世界を調べるか。
——どこから、木ノ内泰人に近づくか。
春の光の中、
彼女の思考だけが、静かに、戦場のような緊張感を帯びていった。
未来から来たアサシンが、
最初に覚える文化は“通販”だったり、
スカートの意味がわからなかったり、
ハンバーガーの味に微笑んだり。
そんな小さな日常の積み重ねの中で、
ユキコという人物の傷や、迷い、そして未来への不安が
少しずつ読者にも伝われば嬉しいです。
ここから先は、
ユキコの任務に関わる“非日常”が色濃くなっていきます。
ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。
次回もどうぞおたのしみに。




