14.距離
フィラルドは自由に飛べるようになり、プリシラは屋根の高さくらいまで浮かべるようになった。ただし、ゆっくりとなら。
流石に疲れてきたので、家の中で休憩することにした。魔力よりも体力の消耗が激しい。普段使わない筋肉を使ったからか、ぷるぷると震える足をなんとか動かして、ソファに寝転んだ。今は椅子に座るのも辛い。
「何か飲み物でも飲むか?」
ピンピンしているフィラルドが、倒れ込んだプリシラに声をかけてくれる。
「お願い…」
飲み物といっても、この家には水しかないので、それをフィラルドが注いで、プリシラに差し出す。
「ありがとう」
コップを受け取るためなんとか起き上がる。足だけじゃなくて、手も震えてた。溢さないようにそっと飲むと、冷たい水がほてった体を冷やしてくる。
「って、あれ?冷たい?」
「水魔法も少し使えるからな。ずっと外にいたから体を冷やした方がいいだろう」
なんと気遣いのできる男か。感動してしまう。感動の眼差しでフィラルドの方を見ると、ちょうど椅子に座るところだった。
「ところで…、」
フィラルドはなんと言葉を繋げるか考えるように、視線を彷徨わせる。何を迷っているのかと、不思議に思いながら、プリシラはフィラルドを見つめる。
「あなたは、私に何も聞かないのだな」
……なんのことだろう。
(何か聞いた方がいいことってあったかしら?)
一生懸命思い出そうとするが、全く心当たりがない。
「兄のこととか……なぜ毒を盛られたかとか。俺の立場だって、君は何も聞かなかった」
「……だって別に興味ないもの。あなたはお兄さんを助けたかった。そして私はそのための治癒薬を持っていた。それ以外はどうでも良いわ」
あっけからんとプリシラが言うと、フィラルドは驚いたようにこちらを見る。
「あ、あとは俺の騎士団としての立ち位置とか」
この人、焦ると「俺」って言うようになるのね。……ちょっと面白い。
話とは全然関係ない事に気を取られながら、フィラルドの問いに答える。
「あなたはあなたよ。律儀で気配りができて、お菓子をくれて、美味しいご飯を作ってくれるフィラルド・オーラム。それで十分。それ以外に必要なことって何?」
目を見開いたフィラルドをきょとんとした目で見返す。
プリシラとしては、今、目の前にいるフィラルドという人物がどんな立場でも構わなかった。過ごした時間は短くても、悪い人ではないことは分かる。人のために必死になれる人は、良い人だ。
少しの間固まっていたフィラルドだが、軽く俯いて「そうか」と呟くと顔を上げて穏やかな目でプリシラの方を見た。
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ」
スカイブルーの瞳が優しげに細まる。
(これは…!直視してはいけないやつよ…!!)
分厚いメガネで表情は多少隠れているが、顔が真っ赤になったら流石にバレてしまう。
パタンとソファに倒れ込み、顔を腕で覆う。
「……それは、良かったわ」
「でも……」
まだ続けるのか。別の意味でプリシラのダメージが大きいので待ってほしい。
「私は、あなたの事をもっと知りたいと思う。私も可能な範囲で答えるから、あなたの事を聞いても良いだろうか」
……もしかして、最初から私のことを聞きたかったのだろうか。確かに自分で言うのもなんだけど、気になることはたくさんあると思う。それでも何も聞いてこなかったのは、フィラルド自身が何も聞かれなかったから……?
………律儀か!!!
「あはは!良いよ、なんでも聞いて。言いふらされるのは困るんだけど、別に絶対隠している事なんかはないから」
面白くなって、お腹を抱えてソファの上で大笑いしてしまう。メガネを外して、滲んできた涙を指で拭いながら、ソファからゆっくりと起き上がる。
「あなたは、私のこと言いふらしたりはしないでしょう?じゃあ良いよ」
フィラルドの方を見ると、プリシラの瞳を見て固まっている。
「……綺麗だな」
一瞬何を言われたか分からなかったが、すぐに瞳の色の事だと気がつく。
「この色はね、母様譲りなの。私の自慢よ」
褒められて嬉しくなる。でも、メガネをかけていないと色々と大変なので、すぐに掛け直した。
「あなたの母君というと、”治癒の聖女様”、か?」
「そうそう、あなたにとっては”美貌の聖女様“、ね」
初対面の時を思い出して、少し意地悪を言ってしまう。
「そっ、その節はすまなかった!混乱していたし、噂を集めていたら美貌なのか治癒なのかよくわからなくなってきて……!」
手を彷徨わせながら、焦ったようにフィラルドが弁解する。
「決してあなたを貶すつもりはなくて……!」
「ふふふ」
慌てるフィラルドが面白くて笑ってしまう。まぁ母様だったら、美貌という言葉の方が出回ってしまっても不思議ではない。
「ごめんなさい、別にもう怒ってはないのよ。まぁちょっとだけイラッとしたけど」
「……本当にすまなかった」
項垂れてしまったフィラルドが、なんだが可哀想だけど面白い。子犬のしっぽが見えてきそう。
「母様は美人だから仕方ないわよ。実際に会ったことはないのよね?」
「あぁ、私がアルロッパに来たのは最近のことだからな」
「じゃあ、今度帰ってきたら会わせてあげるわ」
「………っえ?」
プリシラがサラッと言った言葉で、フィラルドは固まってしまう。この人よく混乱するわね。
「あなたの母君は、二年前に亡くなったのでは……?」
「えっ?元気いっぱいだと思うわよ?」
なぜそんなことを言うんだろう?
「だって、初めに会った時、母君のことを聞いたら、『母は二年前に…』って言っていただろう?」
「あっ、そういえば…言ったわね?えーっと、母様と父様は、二年前に新婚旅行に行ったっきり帰ってきてないのよ」
「しんこんりょこう」
「そうよ」
「それは、その、なんだ、間違っていたら申し訳ないのだが、私が知っているしんこんりょこうとは新婚の夫婦がする旅行の事なのだが…」
「そうね。というか、それ以外にある?」
「2年間も?」
「2年間も」
お互いの間に気まずい空気が流れるが、先に耐えきれなくなったプリシラが口を開く。
「……えっとね、初めにちゃんと伝えようとは思ったのよ?でも初対面で言えないでしょ?『うちの両親は新婚旅行に行って、二年も帰ってきてません』なんて」
フィラルドも思うところがあったのか、それ以上はプリシラを追及しなかった。
「その、私も勘違いしてすまなかった。それで、今ご両親はどちらに?」
「知らないわ。少なくともこの国にはいないと思うけど」
「連絡をとっていたりしないのか?」
「たまに連絡は来るけどね。でも、お互い元気ってことだけ伝えるくらいで、どこにいるのかまでは知らないの。でも、多分そろそろ一度帰ってくると思うんだけど……」
お互いに元気に過ごしていればそれで良いと思っているから、頻繁には連絡をとっていない。
「では、やはり治癒の聖女はいるのだな」
「治癒の聖女と呼ばれているのは知らなかったけど、噂を聞く限りは、多分そうよ」
「そうか……」
そう呟いて、フィラルドは考え事をするように窓に目を向けて黙ってしまった。
「ふわぁ」
静かな部屋と昼下がりの木漏れ日が眠気を誘う。昨日は徹夜したせいで眠たい。魔道具の製作と飛行魔法の練習で頭も体も疲れた。
プリシラの欠伸に気がついたフィラルドがこちらを見る。
「一眠りするか?」
「そうね、軽くお風呂に入ってから寝ようかしら」
「わかった。……。厚かましいかもしれないのだが、もう一泊させて貰えないだろうか」
そういえば、昨日も泊まっていたはずだ。徹夜のせいで日付の感覚が分からなくなっていた。
「もちろんどうぞ。私多分朝まで寝ると思うから、好きに過ごしてちょうだい」
「では、もう少し外で飛行魔法の練習をしている。それに、上から見たら魔の森の異変も何か分かるかもしれない」
そう言いながらフィラルドは首元の魔道具を触る。それを見て大事なことを思い出した。
「あっ!忘れるところだった!ちょっと待ってて!」
忘れないうちに早く返さなければ。慌てて戸棚から箱を取り出して、中に保管していたルビーのペンダントを手に取る。
「これ!返そうと思って!」
預かっていたペンダントをフィラルドに差し出す。けれども、フィラルドは手を伸ばそうとはしない。
「……もし良ければ、それはもう少し預かっていて貰えないだろうか」
「えっ?なんで?」
治癒薬の代金はちゃんともらったのだから、早く返したい。この家に不釣り合いな宝飾品で、預かっているのもちょっと怖いのに。
「魔道具のお礼ができていない。それに、謝礼を払いに来たはずが、寝床まで借りてしまった」
「いや、それは別に気にしないで。魔道具は趣味だし、家に泊まったって言っても私何ももてなしをしていないわよ?」
と言うか、今のところプリシラがお世話されている気がする。
「そんなわけにはいかない。この魔道具は素晴らしい。この国の移動手段が一変する発明だ」
ペンダントを触りながらフィラルドが真面目な顔で言う。そう言えば、言い忘れていた。
「ちなみに、その魔道具は風の精霊との相性が良くないと使えないと思うわ。それと、魔道具に書かれている紋様だけど私にしか直せないと思うから、もし壊れたら持ってきてね」
プリシラの言葉に、フィラルドの眉がぴくりと動いて、何かを考えるように視線を彷徨わせた。
「もしかして、遠くに声を届ける魔道具を作ったことがあるか?」
「えっ?そう言えば結構前に作ったわね。どうして知っているの?」
「今、その魔道具は私が所有している」
驚いた。随分前に作った魔道具で、初めて紋様を刻む魔道具が完成した時に、田舎町の魔道具屋に買い取ってもらった品だ。使えればとても便利な魔道具ではあったものの、色々と欠点が多くて、安値になってしまった。
「あれ、あなたが持っているのね。もしかして使えるの?」
田舎町の魔道具屋の店主は使えなかった。他の人にも試してもらったが、プリシラ以外で使える人がいなかったのだ。
「あぁ、とても役に立っている。そうか、あれもあなたが」
役に立っている。そう言われると製作者として嬉しくなる。自分が思っていた通りに動くのが魔道具作りの一番の楽しみだが、役に立つのであればそれはそれで嬉しい。
「そう言って貰えてよかったわ!」
そんな話をしていたら、なんとなくまたルビーのネックレスはプリシラが預かる流れになってしまった。我が家で一番上等な箱に収まるネックレスを見て、謎の敗北感を感じた。
* * *
次の日、宣言通り朝まで寝ていたプリシラは、すっきりとした気分で目覚めた。ベットの上で腕を伸ばして伸びをする。あくびを一つして、大きく息を吸うととても良い匂いが漂ってきた。
「あれ、もしかして…」
そっと扉を開くと、キッチンで調理をするフィラルドの背中が見えた。こじんまりした家なので、部屋からでもキッチンが近くてよく見える。
プリシラの部屋の戸が開いた気配に気がついたのか、フィラルドが後ろを振り返った。
「あぁ、おはよう。朝食を作っているからもう少し待っていてくれ」
朝日が差し込み、青みを帯びた髪と優しく細められた眼差しが光に溶ける。その光景に目を奪われて、胸が締めつけられた。
……これは。
「…おはよう。ちょっと顔洗ってくるわね」
わかった、と言う声を聞きながら外に向かった。家の中でも顔は洗えるが、外の空気を吸いたくなった。
水魔法で冷たい水を出してから、思いっきり顔を洗う。
(これは、まずい。)
出会った時から、フィラルドに対して心がざわめくことがあったけれど、今朝のあれば良くない。反則だ。
ーーー”運命の相手“
その言葉が脳裏に浮かぶ。
(いえ、違うわ。かっこいい騎士様が、朝から美味しいご飯を作ってくれたら誰だって浮かれるでしょう。)
そう、一昨日からの餌付けによってフィラルドが素敵に見えているだけで、決して好意なんて抱いていない。顔がいいから照れてしまうだけで、女性なら誰だって同じようになるはず。
もう一度冷たい水を出しながら、頭の中で必死に言い訳を並べる。
今度はもう少し冷たい水を出す。早く熱った頬を冷やさないといけないから。
* * *
フィラルドが心配して外を見にくるまで、顔をしっかり洗っていたプリシラは、昨日と同じく素晴らしい朝食を食べてまた胃袋を掴まれた。
(これは美味しいご飯に惹かれているのよ)
誰に対してか分からない言い訳を並べながら、しっかりと完食した。
「では、そろそろ出発する。魔道具の性能についてはまた伝えにくる」
結局、魔の森の魔物が増えている理由はわからなかったみたいだが、<畑を守るくん一号>が上手くいけば、畑の被害は減らせる。
フィラルド曰く、もし魔物に対して有効であれば、アルロッパの街の魔道具工房で量産してもらえるかもしれないとのことだった。
「空を飛ぶ魔物にだけは気をつけてね」
今回、フィラルドは飛行魔法で町まで飛んでいくと言っていた。前回の”吹き飛ばす“ではなく、”飛ぶ“魔法だ。
でも、前回のようなスピードと威力は出ないので、もし空で魔物にあったら危険かもしれない。
「あぁ、ありがとう。危険を感じたらすぐに逃げるよ。では、また」
そう言って、ゆっくりと浮かび上がったフィラルドは、そのまま町の方角へ飛び立った。
「また…。ね」
”運命の相手”
ーーープリシラにとってそれは、とても怖い言葉。
フィラルドの言葉や仕草に落ち着かなくなるのは、自覚している。でも、それだけでは“運命の相手”とは言えないはず。
また会いたいと思う気持ちと、これ以上深入りするべきじゃないと言う理性の間で気持ちが揺れる。
「大丈夫。私は絶対に“運命の相手”を好きになったりしない」
胸に手を当てて、自分に言い聞かせるように呟く。目を瞑り、一呼吸ついてから工房の方へと足を向けた。




