10.魔の森へ(フィラルド視点)
アルロッパはルーロ伯爵領で一番大きな街だ。
その中心にある大きな噴水広場は、街の人々の憩いの場になっていた。
待ち合わせをする者たちが噴水の縁に腰を下ろし、そのすぐ脇を、駆けてゆく子どもたちの靴音が軽やかに追い抜いていった。
フィラルドの目的は広場をぐるりと囲むように立ち並ぶ店々だ。
明日出立する前に旅支度を済ませておこうと思って街の中心まできたのだが、ふと思い立ち、ひとつの店に入った。
昼を少し過ぎた時間だが、まだ軽く賑わう店内には、煮込み料理の香りやパンの香ばしい匂いが漂っていた。カウンターとテーブル席には数組の客が座り談笑している。
「いらっしゃい!」
恰幅のいい女性の大きな声が響く。
宿屋を兼ねた食事どころで、夜は飲み屋にもなるらしく、カウンターの奥には酒がずらりと並んでいる。
「あれ?お兄さんもしかして王都から来てるっていう騎士様かい?」
「あぁ、よく分かったな」
この店に来たのは初めてだったと思うのだが…。
「そりゃあ、あんたみたいな色男、そうそういないからねぇ。三週間くらい前だったかね?うちに来る衛兵の連中が『顔が良くてめちゃくちゃ強いやつが来た!』って騒いでたんだよ」
周りからそんな風に言われているとは思わなかった。思わず眉を上げ、軽く目を見開いて驚く。
――なるほど、そんなふうに言われていたのか。
少し照れくさく、視線をわずかに逸らす。
「あぁ、立たせたまでで悪かったね。カウンターで良いかい?」
「あ、あぁ」
頷いて十個ほど並んだカウンターの真ん中の椅子に腰を下ろす。
「注文は?今日のおすすめはじっくり煮込んだシチューと、採れたて野菜のサラダだよ」
「では、それで頼む」
「あいよ!」
昼時を過ぎたとは言え、まだまだ忙しそうに店内と厨房を行き来する女将さんに声をかけてるのは少し気が引けた。二組ほど客が出て行き、女将さんの動きが少し落ち着いたので、タイミングを見計らって声をかけた。
「少し聞きたいことがあるのだが、”治癒の聖女様”について知っているか?」
女将さんはそれを聞いてちょっとびっくりした顔をした。
「なんだい、お兄さん。そんなこと聞いて回ってるのかい?でも、そう言えば最近その噂は聞かないね。銀の髪のすんごい美女だろ」
おかみさんがそういうと、右手の少し離れたカウンター席にいた男がこちらを向いて声をかけてきた。
「いやいや、違うよ女将さん。銀髪の女の人は”女神のような女”だろ?治癒の聖女様じゃねぇよ」
「いや、それは”美しい美貌の聖女様”だろう?なんでも精霊が見えてるって噂の」
今度は反対側に座っていた中年の男が話に加わってきた。フィラルドを挟んで3人が知っている話を口々に語るのだが、かえって混乱してくる。
「それは、全員同じ女性じゃないのか?」
全員“銀髪”と“美貌”というのは合致しているんだ。普通なら同じ人物だと思うだろう。
そういうと、客たちと女将は顔を見合わせて、揃って首をかしげた。
「でもよ、治癒魔法使ったところなんて皆んな見てないって言ってたぞ」
「裏の通りの野菜売りの爺さんが治癒魔法かけてもらったって言ってたよ」
おかみさんが口を挟むが、右の男がすぐに反論する。
「あの耄碌爺さんだろ?死にかけて幻でも見たんじゃねぇか?」
左の男も負けじと口を開いた。
「俺はよ、その噂の女が精霊と話をしてたって聞いたぞ」
「ひとりごとじゃねぇのか?俺たち精霊なんて見えないんだから、本当に精霊と話してるかなんか分からねぇよ」
右の男の言い分にも一理ある。
「じゃあ、どこに住んでいるのか知っているか?」
「あっ、それなら聞いたことあるぞ。俺の馴染みの店のやつが聞いたんだってよ。そしたら、「魔の森」って答えたらしい!絶対嘘だろ!よっぽど声かけられたのが嫌で誤魔化したんだよ」
左の男が大笑いしながら言った。大した顔でもないのに、あんな美人に声かけるなんて良い度胸だと、ますます笑っている。
(そうだよな、魔の森に住んでいるなんてありえない。だがーーーどうやら噂の元になる女性はどこかにいるらしい。)
頭の中で話を整理してたら、ドン、と目の前にシチューとサラダが置かれた。
「まぁ、なんにせよ、その噂はもう二年ほど聞いていないから、今はこの街にいないんだろうね」
女将がそう締めくくり、この話はお終いとなった。
(治癒の聖女なのか、すごい美貌を持つただの女性なのか……。本当に魔の森に治癒の聖女がいるのだろうか?)
考え込むほどに、フィラルドの頭はこんがらがっていく。
* * *
それからもう少し街の人に話を聞いたところ、どうやら「銀髪」と「美貌」と言う二点はどの噂も共通していた。そして、「魔の森」に住んでいると言う話も少し出た。「魔の森の奥、ライネルの花を辿ったところに住んでいる」と聞いた人が何人かいたのだ。
治癒の聖女という話も出たが、あまり多くは聞かなかった。アルロッパは比較的治安のいい街だ。よくよく考えると、街で頻繁に治癒魔法をかける場面などほとんどないだろう。
そんな事情もあり、わかりやすい「銀髪で美貌」という噂の方が大きくなったのかもしれない。
* * *
翌日、フィラルドは朝早くから街を発ち、馬を走らせて魔の森に最も近い田舎町を目指した。
同じ領地内とは言え、目指す町は王国でも最北端に位置しており、アルロッパからは距離が離れている。
昼過ぎには着くと思っていたのだが、途中で何度か魔物に遭遇し、予定よりも時間を取られてしまった。バルドが言っていた通り、魔物の数が増えているように感じた。可能な限り急いだものの、町に着いたのは夕方近くだった。
王国最北端の町ーーールーメル。魔の森から程近い場所にある町で、農作物の他に魔の森からあふれ出た魔物を狩って得られる魔石や、それを使った魔道具の売買で生計を立てている。
規模は小さいが、魔の森に隣接しながら逞しく暮らす人々の町は、不思議と活気に満ちていた。
町に入るやいなや、すぐに声をかけられた。
「あれ?もしかしてフィラルド様ですか??」
前に訪れたのは三年前。それでも覚えている者がいたらしい。
「あぁ、そうだ。久しぶりだが、よく覚えていたな」
「そりゃあもう!フィラルド様みたいな美しい騎士様、忘れるわけないですよ!うちのかぁちゃんなんか今だにフィラルド様の話をしていますよ!」
その声をきっかけに、町の中から人々が次々に集まってきた。
「おぉ、フィラルド様だ」「きゃー!!フィラルド様!」「今日はどんなご用事で?」「お一人ですか?」
みんなが一斉に喋るので、収拾がつかなくなってきた。どうしたものかと戸惑っていると、人混みの奥から衛兵が現れた。
「おいおい、一体なんの騒ぎだ?魔物でも出たのか?」
集まった人々をかき分けて近づきながら言う。
「魔物ではないな」
フィラルドが冷静に答えると、目の前の男が目をまん丸に見開いて驚いた。
「あれ?!フィラルド様?!どうしてここに?」
その男はバルドの部下の衛兵で、ルドという男だった。この国では、各領地ごとに衛兵団が存在して、領主が管轄している。この町の衛兵も、アルロッパに本部を置く団から派遣された支部があるのだが、規模は小さい。現在駐在しているのは四名ほどと記憶している。
「魔の森のことでな。少し時間をもらえるか?」
「えぇ!もちろん」
ルドは町の人々に「はい解散して〜」と呼びかけながら、フィラルドを支部まで案内してくれた。
衛兵団ルーメル支部は、少し大きな家くらいの大きさだ。基本的に四人ほどの衛兵が駐在しているだけなので、そこまでの広さは必要ないらしい。
今は、ルド以外の衛兵は出払っているようだった。
フィラルドに椅子を勧めて、ルドが口を開く。
「それで、改めて本日はどうしたんですか?」
「最近、魔の森から出てくる魔物が増えているという報告を受けた。バルド殿から頼まれて、様子を見にきたのだ。それと、個人的な用事もあってな」
「あぁ、なるほど。確かに最近魔物が少しずつ増えてきたって報告をバルド団長にしましたね。フィラルド様が来てくださるなら心強いです!」
「どこまでできるか分からないが、とにかく調べてみようと思う。協力を頼みたい」
「そりゃあもちろん!こちらこそよろしくお願いします」
フィラルドは少し間を置き、口を開いた。
「それと……これは個人的に調べていることなのだが……。治癒の聖女の噂を知っているだろうか?アルロッパで聞いたところ、「魔の森の奥、ライネルの花を辿ったところ」に住んでいる。という話を聞いたのだが」
少しでも情報が得られれば助かるというくらいで、大した情報は期待していなかったのだが、返ってきた答えは予想を覆した。
「知ってますよ」
「……えっ?」
思わず聞き返す。
「と言っても、本当に治癒の聖女様かは知りませんがね。ただ、魔の森の奥に住む女性がいるのは確かですよ」
本当にいるのかーーー。治癒の聖女ではなくても、魔の森に住んでいるというだけで普通の人では無い。
「その女性の家まで案内してもらえないか?」
「絶対嫌です。俺の腕じゃ自殺しに行くようなもんじゃあないですか」
ルドは即座に否定した。だが無理もない。
フィラルド自身、一度訪れたから分かるが、出てくる魔物の強さが他の比ではなかったのだ。奥に行くに連れて、フィラルドでもギリギリ勝てるかどうかという相手も出てきた。
ただ、不思議なことに昔から強大な魔物ほど魔の森から出てこないのだ。
だから、ルーメルの町は平穏に過ごしていると言える。
「では、せめてその女性が出入りしている魔の森の入り口まで案内してくれないか?」
「まぁ、そこまでなら……。もしかして、フィラルド様その女性のところに行くんですか?お一人で?」
ルドが心配そうに聞いてくるが、フィラルドは静かに頷いた。
「魔の森に異変がないか調査する事がいちばんの目的だ。そのついでに尋ねてみるだけだから、危険を感じたらすぐに引き返す。心配ない」
名目はあくまで魔の森の調査。治癒の聖女探しは、あくまでついで、と言っておかなければならない。
それに、確かに魔の森は危険だが、フィラルドは自分の実力ならある程度の奥まで進めると踏んでいた。複数で動くよりも単独でいく方が機動力もあり、万一の場合は風魔法で逃げられる。
「……分かりました。でも、今からではすぐに日が暮れます。明日の早朝の出発でも良いですか?」
「あぁ、助かる。ありがとう」
その日は町の人々に歓迎されたが、翌日に備えて早めに休むことにした。
* * *
早朝。初夏とはいえ、朝はまだ冷え込む。吐息に白さは無いものの、肌を撫でる空気は鋭く、身を引き締められる。
フィラルドは愛馬に鞍を締め直し、手綱を確かめた。
「では、案内をたのむ」
「はい。行きましょう」
ルドの案内で馬を駆けること小一時間。やがて魔の森が姿を現した。
ライネルの花ーーー白い花弁を持ち、膝丈しかない小ぶりな花だ。1年を通して花をつけているが、その他の特徴としては、肉厚で丸みを帯びた葉くらい。注意してみなければ、周囲の雑草に紛れてしまう。
「フィラルド様!ありました、ここです」
道から少し離れたところに、ライネルの花が固まって咲いているところがあった。獣道の様になっているそこを覗くと、奥の方へぽつりぽつりとライネルの花が続いている。
「案内、感謝する。ここまでで大丈夫だ。それでは行ってくる」
「はい……どうかお気を付けて」
心配そうな視線を背に受けながら、フィラルドは魔の森へと足を踏み入れた。
ーーーー結論から言うと、想像を遥かに超えるほどの危険な目にあった。
正直、自分の実力ならある程度は問題ないと高を括っていた。ましてや、女性が歩けるような道だと侮っていたのだ。だが、魔物を警戒しつつ歩くだけでも気を張るのに、さらに足元を見ながらライネルの花を辿らなければいけない。そのせいで、周囲への警戒が疎かになり、不意をつかれることもあった。
魔物との戦闘を何度か繰り返し、満身創痍の状態で、大型の四つ足の魔獣ーーー鋭い角を持つ魔獣に出会った時は、本当に終わりだと思った。残り少ない魔力を振り絞り、風魔法で草木を巻き上げてなんとか逃れた時には、人生の幸運を全て使い果たした気さえした。
だからこそ。その先にぽっかりと現れた空間で家と畑を目にした瞬間、死の間際の幻覚か、魔物の幻術だと思ったのだーーー。
* * *
魔の森の奥で出会った女性、プリシラから治療薬を受け取った後。多少回復した魔力を振り絞って、風魔法でルーメルの町まで一気に飛んだ。
自分の幸運は、まだ残っていたようだ。王族であるフィラルドでさえ見た事がない程の高濃度の治癒薬を手に入れたのだ。通常は深緑、良質なものでも黄緑程度のはず。それがーーー透明で光を帯びていた。これ以上は望めないほどの薬だった。
町まで戻ると、そのまま愛馬に飛び乗り、アルロッパを目指した。少し回復したとは言え、傷は癒えきらず、魔力も枯渇しかけている。それでも強行軍を続けられたのは、神経が極限まで昂っていたからだ。無茶をしている自覚はあったが、それでも足を止めるわけにはいけなかった。
すっかり日が暮れ、閉門直前のでアルロッパの街に滑り込む。そのままロンドのもとに駆け込み、端的な説明とともに治癒薬を託す。
そしてーーーそこで、フィラルドの意識は闇に沈んだ。
フィラルド視点最後です。次回から主人公視点に戻ります。
次回、9/13(土)までに投稿予定です。




