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『誓約のそら―烏の飛翔編 第一部―』9


「色々と探ってみたんだが、どうやら君のお父上はやつらに捉えられたのではなく、どこか安全な場所に身を隠しているようだ」

 金は僕に向かってそう言うと、手の大きさに合ったどでかい銅のジョッキをグイッとあおった。

「お父上ひとりだけなのか、誰か連れのモノがいるのかどうかまでは分からない。だが、自らの意志で姿を隠したのは確かだ」


「彼が自分の意志で隠れたのなら、そうそう簡単には見つからないでしょうね」

 キタは考え込むように静かにそうつぶやくと、僕を見つめて言った。「ひとまず、お父さんのことは心配いらないようです、天一さん。彼はきっとなにか次の手を考えているはずですから」

「そうだな。ただし烏がいなくなった今、お父上はこちらに連絡しづらい状況だから油断はならないが……」と銀が言葉を続けた。「とにかく、こちらも次を考えないと、だな」


 そういうと豪快に肉にかぶりつく銀の表情を眺めても、何を考えているのかまだ何も考えていないのか、僕にはさっぱり分からなかった。いきなり僕だけルールさえ知らない謎の競技大会に放りこまれたような、変な生き物の後についていった結果、大きな穴に落っこちて悪夢を見ているような――あえて言葉にするならそんな心境だ。


「貪狼さんは、僕とキタがこれから行く場所が『お父さんとカギを守ることに繋がる』と言っていました。ここがその場所だと思うんですけど、それはどういう意味なのか教えてもらえますか。僕にはまだ状況がよく理解できていないんです……」


 ひとりだけ話に置いてけぼりを食っている僕は、両手をギュッと握りながら膝の上に置いた。不安と焦りを抱えながら手ごたえのない宙に浮かんでいるようだった。さらに、胸のあたりで小さな虫がぞわぞわとうごめき、今にも血流に乗って全身を移動するような不気味な感覚がさっきから拭えない――僕はお父さんのことを何も知らないのだ。彼らよりもずっとずっとずっと、なにひとつ自分の父親のことを知らない。


「しょうがないものはしょうがないさ」金は、僕が申し訳なさそうにもじもじしているのと見てそう言うと、なごますようにガハハハと笑い、「なんでも聞きたいことは聞けばいい。俺たちに遠慮はなにもいらない」と僕に盛大なウインクをした。

「ええと、それじゃあまず、金さんも銀さんも、父とは以前から知り合いなんですか」僕はとりあえずの思い浮かんだ質問をした。とにかく少しでも知らないことを知りたかった。


「知り合い、というのではないな。うん、直接お会いしたことはない」と銀が僕の質問に答えた。

「だが俺たちや妹たちはずっと前からお父上のことは存じ上げている。お父上が大事な任務を背負っていることも、俺の周りのモノたちは知っている」

「妹たち? 金さん銀さんには妹が何人かいるんですね」僕はなんとなく彼らそれぞれに似た女性を想像した。プラチナブロンドとオレンジの髪の体格の良い女性たち。

「ああ、二人。正確には俺たちは四つ子であり、二人ずつがセットになった異父兄弟でもある。そして妹たちと俺たちは別々の場所で暮らしている。だからこそ、今回も俺たちだけでは分からない情報を妹たちが手配して集めてくれたんだ」


 金の言葉に僕は頭が混乱した。「四つ子」であり、「二人ずつがセットになった」異父兄弟?――まるでなぞかけだ。だがそこにこだわっているのは僕だけで、当人たちもキタも当たり前のようだった。金の言葉を受けて、銀が言葉を続ける。さすが双子、息ピッタリだ。「妹たちによると、烏を襲ったのは奴らのなかでも計算外だったらしい。つまり、一部の暴徒がなにかをきっかけにして、長年の宇宙の均衡を破るためにカギを奪おうと突発的に動き出した。だから全体として統制が取れている訳ではないようだ」

「奴らって、あの『異法者』ってやつですよね」

 そうです、キタが答える。「我々とは考え方の異なる者、我々とは優先順位が異なる者、価値基準が相いれない者、守りたいものが違う者――色々と言い換えられますが、便宜上『異法者』と呼んでいるのです。ちなみにあちらはあちらで、我々のことを『事なかれ主義者』と呼んでいます」

「事なかれ主義者……」

「はい。我々、つまり七星剣の主たちや私のようにお仕えするモノたち、また金銀さんたちのような七剣星と連携を保っている方たち、そして天一さんのお父さんのように地球の人間のなかで『カギの管理者』として選ばれた者は、宇宙の均衡を保つために存在しているのです。ですが、彼らにとってはその均衡の価値も、均衡を保つ行為の価値自体も理解できないのでしょう。考え方が異なるからこそ、見える世界も異なるのです。だから、彼らの目には我々が長年行っていることは、いわゆる事なかれ主義に映っているようですね。まあ、我々も彼らの考え方を完全に理解するのは無理なので、長年相いれない者たちとしてうごめいている訳なのですが」


 キタの説明を聞きながら、僕は「宇宙の均衡」という壮大な言葉に圧倒されていた。僕のこれまでの人生のなかで、宇宙どころかなにかを均衡に保とうとしたことなんてあっただろうか。いや、そもそも均衡ってなんだよ。宇宙の均衡が崩れると、いったいなにが起こるというのだろうか。


「『宇宙の均衡』については、簡単に説明できるものではないのですが……」キタはどこまでも僕の心を見透かして、答えた。

「たとえば、身体の骨の歪みをそのまま放っておくと、その影響が周辺の筋肉や血流やリンパの流れにまで及んで、またそれらの影響がその先の身体の各パーツに悪影響を与えて、身体全体の不調に気づいた時にはどこがその不調の発端なのか分からず、また元の正しい位置に修復するのも難しい……という事って、地球の生物の身体にはありますよね。そんなイメージで、我々はそもそもの歪みが生じないように目を配り、均衡を保つことで宇宙の在り方を維持しているのです」


 キタは自分の説明が僕に伝わったかどうか探るように、僕の顔を見つめている。僕はふかふかの毛皮に埋もれながら、キタの言葉を頭のなかで繰り返し、分かったような分かってないような曖昧な表情を浮かべて「ウチュウノキンコウ……」と外国語の呪文のようにつぶやいた。バカみたいだが、それが精いっぱいの僕の答えなんだからしょうがない。


「あの、あのさ、じゃあもしもその均衡が崩れて宇宙の在り方が維持できなくなったら、どうなるのかな」僕は素直に聞くことにした。考えても分からないものは分からないんだからしょうがない。


「地球を含めて多くの星が消滅する」金が答えた。

「非常に多くの星がな」銀が言葉を続けた。「そして手始めに天の川銀河が消滅する。それに連鎖して他の銀河たちもどうなることか」

「だから我々は、均衡を崩さないようにこうして動いているのです」

 キタはそれ以上の説明は無駄だと思ったのか、話を打ち切るように暖炉の前で頭を左右に振って耳通りを良くしている――ような仕草をしている。残念ながらキタがなにを考えているのか、やっぱり僕には全然分からない。しかもあまりに重すぎる金銀の答えに、僕の頭はフル回転しながらもどこか現実味を失っていた。いや、それどころかまだこの目の前の光景が現実だとは到底思えない。妙にリアルな長い夢の断片じゃないんだろうか。


「とにかく、俺は明日もう一度妹たちのところに行って、ある人と会うことになった。その人がお父上からの伝言かなにか、はっきりしないんだが、とりあえず『大切なもの』を持っているらしい。ま、俺はメッセンジャーのメッセンジャーってやつだ」

 金は僕たち全員を見回しながら言った。

「明日会えなければ会うまで待つかもしれんし、状況によってはすぐ帰ってくるかもしれん。それは俺にもまったく分からん。だからテンイチ、キタ、数日間はここにいるつもりでいてくれ。君たちはむやみに動かないほうが良い」

「俺は君たちと残って辺りを警戒する。なにか少しでも気になる事があれば、すぐに言ってくれ」

 銀はゆったりと深い声でそういうと、安心させるように僕に向かってほほ笑んだ。


「分かりました。実際、天一さんの家にまで奴らは来た訳ですしね。ではそういうことにしましょう」と、キタがはきはきと元気よく答える。僕ももちろん同意した。


 ほぼ金銀兄弟が豪快に飲み食いをして豪快な昔話に花を咲かしてから、僕とキタは僕たちのために用意された寝室へと金に案内された。客間を出て元の道をたどり、玄関ホールの右側の階段を上がり、二階に着くと左に曲がって三番目のドアの前で金が立ち止まる。「ここが君たちの部屋だぞ」


 最初、僕とキタは隣同士の別々の寝室を使うように言われたが、キタの判断で一緒の部屋で休むことになったのだ。僕はひとりでも大丈夫だと言ったが、キタは完全に僕の意見を無視していた。たしかにキタの身になれば、僕ひとりを置いておくのは心もとないのかもしれない。そんなわけで僕は素直に引き下がり、キタと同じ部屋で眠ることにした。


 部屋のなかは鉄のフレームのベッドが一台と、ところどころ本が歯抜けになった背の高い古びた木製の本棚、本棚と同じ色調の古い木製の収納家具、ベッドの頭のほうの白壁には地味な色使いの小さな絵がかかっていた。狭くはないが広くもないスペースながらベッドと窓が極力離されているのは、窓からの侵入を警戒してのことかもしれない。


「テンイチのその服では寒いだろうから、そこのワードローブから適当に着てもらってもかまわない。なあに、全部清潔なものだから心配すんな。俺たちの汗はついてない。そもそも俺たちには小さすぎて着られないんだから」

 金は文字通りガハハハとこれまた豪快な音を立てて笑い、僕の頭にごつい手を軽くぽんっと置いた。温かい手だった。そんな風に誰かに頭を触られたのはおそらく小学生以来だったからか、僕の頭のてっぺんにはしばらくその感触が残っていて奇妙だった。


「そうそう、それからこの靴を明日からは履いてくれ」

 金は大きな身体をかがめてベッドの下に手を入れると、見た目は僕がよく見知っている、白黒のローテクスニーカーを取り出した。「ほら、こういうの、テンイチは履くんだろ。俺たちからの贈り物だ」と金は言い、じゃあおやすみと去っていった。


 金が去った後、一通り部屋のなかをチェックしてから、僕は火のついた薪ストーブの前に立ち、台所で見た現代的なメタニックカラーの巨大な冷蔵庫について考えていた。たまに小さくパチパチと音を立てるストーブの熱を感じながら、色々と整合性が取れていないんじゃないの、とも思ったが、今はこの世界のルールに則ってなんとか場面をクリアするしか進む道はないと自分を納得させることにした――大丈夫、なんとかなる。


「ねえ、キタ」僕は背中を温めながら、ベッドの下を覗き込むキタに声をかけた。「ここは僕の家のある場所よりも随分寒いんだね。北のほうにあるのか、山の上のほうなの?」

「そうですね」キタはベッドの下から鼻先を出すと、「どちらとも言えますし、時間軸や空間軸が天一さんの捉え方とは異なるとも言えますし、ま、そんなところです」と言ってにかっと笑い、いかにも健康そうなピンクの舌をへっへっと出した。


 それほど眠くはなかったが、僕たちはベッドに入り、翌日に備えて休むことにした。部屋の明かりを消そうと、さっき見つけた枕元に置かれた四角いボタンを押す。天井からぶら下がる電球の灯りがパチンと消えた。


「ねえキタ」僕は足元で丸くなり、薄暗い中で丹念に肉球をなめているキタに声を掛けた。

「さっき、『天一さんのお父さんのように地球の人間のなかで『カギの管理者』として選ばれた者』って言ってたよね。あれはつまり、お父さんは元々は普通の地球の人間だけど、なにかの基準があって、ある時突然、君たちの世界のだれかに『カギの管理者』になるようにされたってこと?」

「まあ、おおざっぱに言えばそういう事ですが、そうですね……」

 キタはなめるのを止めて顔をあげた。どう説明すればよいのか困っているようだった。「天一さんのお父さんの場合は、少し違います。天一さんのお父さんは、元々は違ったんです。おそらく候補の一人ではあったのですが」

「え、候補とかあるんだ……」僕は驚いて上半身だけ起き上がり、足元のキタを見つめた。キタは僕の顔をちらっと見たが、すぐに目をそらした。そしてどこまで話すべきか思案したようだが、ポツポツと話し始めた。


「ええっと、はい。私もそこまで詳しく経緯は知らないのですが、ええっとまずですね、『カギの管理者』は、地球上に人間が暮らすようになってから、人間の誰かにその役割を担ってもらうことになりました。ですが人間には寿命という時の尺度があります。寿命がきたら冥界に行かなくてはいけません。そのため交代要員として、前もって数人の候補が七星剣の主たちによって選ばれるようになりました。候補に選ぶのは、母親のお腹の中にいる胎児から2歳までです」

「それって、どういう子が選ばれるの?」

「私も細かな条件までは把握していません。残念ながら。ですがいわゆる世襲ではありません」

「世襲じゃない、ということは親子間で引き継がれる訳ではない。ということは、誰が選ばれてもおかしくはないんだね」

「はい、そういうことです。そして最終的にその中のひとりが、次のカギの管理者になります。その時点でまた数人の候補者が選ばれる……、それを繰り返すのです」

「まあ、なんとなくは分かったよ。でも、なぜ人間がそんな大事な役目を担うようになったの? だって人間なんて、キタたちに比べたらなんにも不思議な力なんてないよ。普通だよ普通」


 僕は「普通」という言葉をことさら強調した。キタはわずかに首をかしげて、

「天一さんの言う『不思議な力』とか『普通』というものが何を指すのかは私には分かりませんが……、人間もまた星の子です。そして星は宇宙のダークマターの子です。つまり人間はダークマターの子孫みたいなものです。そういうことです」と僕に説明する。

「えっとさ、その『ダークマター』ってなに? ねえキタ、聞いてる?」


 キタは僕の質問に答えず、身体をぶるっと震わせると、丸くなって眠る体勢になった。


「……私では説明しきれないので、ダークマターの話はまた今度にして、今は休みましょう。おやすみなさい」


 キタはそう言うと顔を背けて、少しわざとらしくすやすやと寝息を立て始めた。僕はそんなキタをじっと見つめてから、手を伸ばしてキタのふわふわの毛に包まれた小さな頭をそっと撫でた。キタが意識しているのは分かったが、何も言わずわざとらしい寝息を立てているので、そのまま頭から背中に沿って数回撫でてから、おやすみなさいと言った。


 自分でも変だと思うが、ふと、そういえばこれから学校をどれくらい休むことになるのか、そもそも無断欠席なのだから誰かが家に連絡してくるんじゃないか、こういう場合、学校が捜索願を出したりするんだろうかなどと考えたが、ダークマターの後でキタに訊くようなことでもないので、僕もまた頭から布団をかぶって寝ることにした。


 ピチャン……ピチャン……ピチャン……という規則的な音に気づいたのは、夜明け時分のことだった。眠くないと思いつつも、いつの間にかどんな夢を見ていたかも覚えていないほどぐっすりと眠っていたらしい僕の意識は、壁際の頭のほうから聞こえてくる水が滴るような音に反応し、僕に目覚めるように促したのだ。一度気づくと気になって仕方がない。どこかで雨漏りでもしているのだろうか。


 僕はまだ半分休んだ状態の重い身体を起こすと、カーテン越しに漏れる星明りだけが頼りの薄暗がりのなか、目を凝らして音がする頭上の壁方向に目をやった。僕の動きに反応したキタが、どうかしましたか、とささやいた。


「いや、なんか雨漏りみたいな水の音がかすかに聞こえて……」


 僕は灯りをつけようと枕元の電球のスイッチを探した、が見つからない。仕方なくベッド脇のサイドテーブルに置かれたガラスランプに灯りをつけ、音がした方向に視線を巡らした。


 その時、壁とベッドのフレームの間の空間でさまよっていた僕の視界に、重力に引かれた水滴が流れ落ちた。ピチャン――僕は慌ててその水滴の発生元をたどる。これだ、頭の上にかかっている絵の、くすんだ金色のデコボコした額縁にゆっくりと水が溜まっている。この水はどこからきているのか、さらにその水源をたどる。柔らかなオレンジ色のランプの灯りは絵の下半分を照らし、僕はその灯りの中で水の湿りを目で確かめる――その水源は、絵の中の川だった。


「キタ、ちょっと見て」

 僕は人差し指の腹でそっと絵の川に触れ、その指先をキタに見せた。明らかに湿っている。油絵の表面からジュワっと水分があふれ、ゆっくりと時間をかけて額縁にまで流れて、そこからまた溜まった水分が小さな塊となって床へ落ちているのだ。

「こんなことってあるのかな」僕はキタに訊いた。「絵から水が落ちてくるなんて……」


 キタは僕が見せた指の湿りをクンクンと鼻を鳴らして確認すると、何も言わずにベッドから跳ね降り、少し開けていた部屋のドアから廊下へと顔を出してうぉーんと犬のような遠吠えをした。金銀兄弟を呼ぶ緊急サイレンのようなものなのだろう。


 キタが吠えているあいだ、僕はランプを両手で持ち上げると、それを壁の絵にかざした。夜の川面の様子を描いた小ぶりの作品で、深く暗いミッドナイトブルーに月明りがうっすらと控えめに川面を照らして、静かな水の揺らめきが表現されている。人の姿はなく、画面奥には川に掛けられた橋の欄干が、見る者の心境を試すかのようにぼんやりと浮かびあがっていた。全体的に寂しく陰鬱で、正直上手いのか下手なのか僕には判断がつかなかった。


 三回ほど遠吠えをしたキタがこちらに戻ってベッドに飛び乗り、僕の足元で言った。

「おそらく誰かが通路を作ったのでしょう」

「通路?」と僕は訊き返した。「通路ってどういうこと?」


「ある地点から別のある地点へ移動する道のことだ。条件が重なれば、自ら作れる能力を持つものもいる」


 銀の声に振り返ると、金銀兄弟が揃って部屋に入ってきていた。銀が部屋の内側のドア横、彼の顔の高さあたりにある丸いスイッチを押すと天井の灯りがつき、部屋全体が明るくなった。僕は両手で抱えていたランプを慌てて元のサイドテーブルに戻した。


「通路を通って誰か来るようだな」と金が言った。右手には長い剣を持っている。「テンイチは離れていろ」


 僕はベッドから降りて、ごそごそと靴を履きながら金銀たちの横に移動した。

「もしかして、あの例の……」

「いや、奴らはこの領域に近づけない。奴らに対しては、どんな通路も通じないようにしているからな」銀が落ち着けというように、僕の右肩を軽く叩いた。反対側の銀の手には、使い古した斧が握られていた。僕は銀の少し後ろに下がり、肩越しから絵を見つめた。


 絵の中は相変わらずの静かな夜が続き、誰の姿も影さえもない。僕は右手の金銀の後頭部と、左斜め前にいるキタの後頭部を順番に見てから、また絵に視線を戻した。変化はない。


 来ますよ、とキタが言った。


 その時、絵の川の水面がゆらゆらと光を躍らせて表情を変え、生命の揺らめきを僕たちに明らかにした。もはや平面の絵具の塊ではなく、川は川であり、何者かの秘密の通り道でもあるのだ。その何者かがなんであれ、どうしてもこちら側に来たいという強い意志がこの道を通し、今まさにやってこようとしている――ということを考えた瞬間、川の水が勢いよく壁から前面に吹き出し、その水しぶきに乗って小さな黄色い玉のようなものが続けて三つ、ベッドの大部分をびちゃびちゃにしながら飛び出してきた。


 それら三つの黄色い玉は、一つはベッドの上をころころと転がると、形を変えて小さな子猫のような形になった。残りの二つも同じように、床に数回転がりながら身体を伸ばし、同じような子猫の形になった。子猫、いや、それらは猫ではなく、体長二十センチにも満たない小さな小さなトラの子だった。


 それら三匹は、身体をぶるぶるっと震わせると、同じような可愛らしいつぶらな瞳で僕たちをきょろきょろと見まわした。


「みなさん、おはようございます」

ベッドに転がっていた一匹が口を開いた。なるほど、この子たちも話ができる小動物系ということか、と僕は自分でも意外なほど冷静に思った。そうだ、ファンタジーかどうかは知らないが、もはや何も驚くことはないのだから。


「おはようございます、じゃないぞ、イーニー。俺はまだ寝足りない」銀があきれたように言った。まさに拍子抜けといった格好だ。

「それになんだってわざわざ部屋を水浸しにする必要があるんだ」


 イーニーと呼ばれた子トラは、えへへという顔をしながらベッドから降り、床にいる残り二匹の横に並んだ。床の二匹も同じように、えへへという顔をしながら体勢を整え、三匹はピッタリと横並びになって僕らと対面した。


「天一さん、彼らは向かって右から『イーニー』『ミーニー』『マイニー』という呼び名の三兄妹です」キタは僕の顔を見上げて、安心させるように穏やかに説明した。「我々とは古くからの知り合いで、いわゆる味方というやつです」


 僕は、目の前で僕の顔色をニコニコしながら伺う子トラたちに視線を移した。「えっと、僕は天一と言います。お、おはよう……」

「初めまして、一番上の兄のイーニーです」「初めまして、イーニーの弟のミーニーです」

「初めまして、イーニーとミーニーの妹のマイニーです」

 妹のマイニーが名乗り終わると、イーニーは「僕たちが来たからにはもう大丈夫。なんたって僕たちは勝利の星なので」と兄らしく元気に叫んだ。


 直後、金が「テンイチは俺の部屋で寝てくれ。俺はもう出発の準備をするから」と言い、大きなあくびをしながら部屋から出ていった。 

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