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『誓約のそら―烏の飛翔編 第ニ部―』2-16 最終章

16


 夢泉丸を先頭に、天一とキタの三人は朝日の昇るすがすがしい早朝の野原を歩み、穏やかな波を抱く海に臨む断崖で立ち止まった。

「それで、この次はどこから川に行くの?」

 もはやここまで来るまでに遭遇した以上の難問はないだろうと油断のにじむ天一の問いに、夢泉丸は下を覗いてくださいと言って、崖の下を指さした。

 天一とキタは言われた通りに崖の下を覗いた。


 彼らの真下には、巨大な人間の頭蓋骨が山のように積まれていた。それらは波が打ち寄せるたびに白い輝きを増し、朝日を浴びて神々しく発光しているかのようだった。

「あそこに飛び込みます」

 天一の横で同じく崖下をのぞきこんだ夢泉丸が、まるで度胸試しの審判のような口調で平然と言った。「そうすれば目的の川にたどり着きます」


 さすがのキタも冥界のルールには疎いのか、怪訝そうな上目づかいで夢泉丸を見つめている。

 天一は念のために「あの頭蓋骨の山の上にここから飛び込むってこと?」と確認した。夢泉丸がうなずく。それ以外になにがあるって言うんだと言わんばかりに。


「……分かった。じゃあ三人で同時に飛び込もう」天一が自分に覚悟を決めさせるように言った。そうですね、同時に、とキタが応じる。

 キタ、天一、夢泉丸は、横並びに断崖絶壁の縁ぎりぎりの場所に立った。よく耳をすますと波が何か――おそらくは巨大な頭蓋骨たち――に当たって砕ける音が、風に乗ってここまで届いているように天一は感じた。


「夢泉丸、手を」

 天一は左隣にいる夢泉丸に、自分の左手を差し出した。夢泉丸は天一が何をしようとしているのか分からないようで、不思議そうに彼の手を見つめた。

「手を繋いで一緒に行こう」

 そういうと、天一は夢泉丸の右手を自分から取り、その冷たい小さな手を強く握った。

「一、二、三の三で、飛び込むんだ。キタもそれで大丈夫だよね」

 はい、とキタが返事する。天一さんの言う通りに。

「じゃあ行くよ、一、二、三」

 天一の三の声と共に、彼らは同時に崖の先っぽから勢いよく飛び出して、まるで誰かの供物を待ち受けているような巨大で真っ白い頭蓋骨と頭蓋骨のあいだへと落ちていった。


 天一が目を覚ますと、まだ手をつないだままの夢泉丸が横たわる天一の顔をまじまじとのぞきこんでいた。目が合うと、着きましたよと夢泉丸が言い、天一を引っ張り起こした。

 確かにそこは粗く削られた岩肌が囲む陰気な河原で、少し離れたところに夜平が立つ小舟が待機している。キタも天一が起き上がるのをしっぽを小刻みに振りながら待っている。

 天一がひとりで立ち上がると、彼らは小舟のほうに歩を進めた。


「申し訳ございませんが、私のお役目はここまでです」

 さあ舟に乗りこもうとした時、夢泉丸が言った。

「夜平がきちんと送り届けてくれます。キタさんも一緒ですし、私はここで失礼します」

「そんな、急に……」

 片足を舟に乗せかけていた天一は、慌てて足を戻すと夢泉丸のほうを振り返った。

「別れとはそういうものかと存じます」夢泉丸が表情ひとつ変えず静かに答える。

「でも、また会えるよね?」

 天一の問いかけに、夢泉丸はなんと答えるべきか迷っているようだった。だが、ようやく聞き取れないほどの小さな声で答えた――その時が来れば。


「天一さん、さあ行きましょう」

 キタが、まるで夢泉丸に助け舟を出すかのように、彼らの間に割って入った。「さあさあ、みなさんお待ちです」

 天一は後ろ髪を引かれる想いで舟に乗り込んだ。

「夜平、よろしくお願いします」という夢泉丸の呼びかけに夜平は声を出さずにうなずくと、竿を使って舟を岸から離した。


 振り返ると、岸辺に佇む夢泉丸の姿がどんどんと小さくなっていく。


「烏に、烏に僕は大丈夫だって伝えといて」

 大きく手を振りながら、天一は夢泉丸に叫んだ。「またきっと会おうねえ」

 ギイギイという櫓をこぐ音にかき消され、夢泉丸が何か答えたとしても天一の耳には届かなかった。


 そうして天一はうつむいて、自らの手で消滅させた弐夜のことを考えた――あの時、僕は彼に謝るべきだったのではないだろうか。決して許されないひどい事をしたのは、きっと彼だけではない。ある意味では自分以上に生の価値を知っていた者に対して、諦めをまとって生きてきた自分が傲慢にも光の死を与えてしまったのは、本当に正しかったのだろうか……。


 天一の後ろに座るキタが、天一の腕をトントンと優しく叩く。そうだ、感傷に浸っている場合じゃない。これからヒトトセと決着をつけてお父さんと必ず再会しないといけないのだから――天一は自分自身に言い聞かせながら、進むほどに深くなる霧の中でそっと両目を閉じた。

 そしてふと考えた――あの時、ペンの先を強く握れと言った声の持ち主は誰だったのだろうか。なにか大切なことを自分は忘れているのではないだろうか、と。


 彼の胸元からこぼれるほのかな光の粒が、少年を励ますようにチカチカと瞬いたが、その存在は誰にも気づかれることはなかった。そしてまた、天一を乗せた小舟のずっと後方で白い鳥がぐるぐると大きな弧を描きながら飛んでいるのも、誰にも知られることはなかった。


【『誓約のそら―烏の飛翔編 第ニ部―』了】

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