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『誓約のそら―烏の飛翔編 第ニ部―』2-14

14


「我々は七星剣の館に戻らなくてはいけません」とキタが言った。


 天一とキタ、そして夢泉丸の三人は、女王の城に来た時と同じく用意された馬車に乗りこむと、水仙の花畑を越え、今度は切り立った岩壁のある荒涼とした原っぱに降ろされていた。馬車が去った後、夢泉丸はキタの言葉に「知っています」と答えると、こちらに進みますと二人を誘導した。


 海(岩壁の向こう側は荒々しい波が次から次へと打ち寄せる海だった)からは何物も吹き飛ばさんと意気込む突風が絶え間なく吹き、彼ら三人の歩は遅々として進まない。こちらの世界の夢泉丸でさえも衣服が激しく風に持っていかれて足元がおぼつかない。

 キタは小さな身体の割にはしっかりと大地を捉えているものの、やはり横殴りの風にうまく足が運べないようだった。

 キタ、大丈夫? と天一は斜め後ろを歩くキタに声をかけた。


「え、何ですか? 何か言いました?」

 風で顔の毛がめちゃくちゃになびき、顔の形が変わってしまったように見えるキタが、目を細めて天一に返答する。「天一さん、大丈夫ですか?」

「うん、僕は大丈夫」

 天一はできるだけ大きな声で言うと、頭にかぶったままのフードの紐をあご下でキュっと結び直す。


「あの崖の先まで行けば、七星剣の館に戻るための川に通じる入口があります」

 夢泉丸はずっと先の方向を指さすと、「テンイチ様、お手を」と言って左手を後ろにいる天一に伸ばした。天一はその手に自分の右手を伸ばす。

 相変わらず夢泉丸の手は冷たいな、と思う。

 そうして三人は一歩一歩と夢泉丸の誘導に任せてうら寂しくどんよりとした空と暴力的な風が支配する原っぱを進んでいった。


 彼らがようやく海に突き出した目指すべき崖に近づいた時、三人を崖下に突き落とそうとせんばかりに、これまでよりもさらに威力の増した暴風が彼らを襲った――キタの身体が宙を舞う。

 天一はとっさに夢泉丸の手を離すと、キタの身体を両手で捉えようと飛び出した。

 その時、天一の頭からフードがずれ落ち、髪が風にもてあそばれて暴れ出し視界をさえぎる。


 突如、天一の目の前が真っ暗になり、彼はひとり暗闇の中で倒れ込んでいた。


「みいつけた」


 聞き慣れたくないが聞き慣れてしまった地鳴りのような声が、天一の周囲に反響する。天一は慌てて立ち上がり、周囲を見回した。

 暗闇で何も見えないと思った瞬間、光を求めた天一の心を察して、胸元で白い光の粒があふれ出す。フードから光を放つガラスペンを取り出すと、より白くより強い光が天一の身体を取り囲んだ。


 ずるりずるりずるり……、濡れた布を引きずるような奇妙な音が天一の前まで近づくと、光を避けるように止まった。

 天一とそれは、何も言わずにしばらく向き合っていた。最初に口をきいたのは、天一だった。

「弐夜」

「なれなれしく我が名を呼ぶな、人の子」

 姿は見えないが、少し動揺をにじませた声で弐夜が答えた。

「今お前は私の中にいる。そして私はお前の中にいる。二体はやられてしまったようだが、もうどうでも良い」

「僕をどうするつもりなの?」

「ひとまずヒトトセのところに連れていく。私にはお前の価値が理解できないが、それはどうでも良い。私はヒトトセとの契約を守るだけだ。七星剣の館への道は閉ざされたが、お前の身体はもらっていく」

「弐夜」天一は静かに声をかけた。

「君は元解終師なんだってね。そして解終師は、生まれなかった胎児の念からできていると聞いたよ」

「それがどうした。お前には関係ない、人の子」

「解終師は『感情』が芽生えると、役目を解かれるとも聞いた」

「役目を解かれる? 違う。処分、処理、解体、消滅、抹消――言葉なぞなんでも良いが、つまりは何も、何もなかったことにされる。生まれなかっただけでなく、そもそもなかったことにされるのだ」

 弐夜の声が苦々しげに反響する。その声の残響の最後と被るように、天一は言った。

「……二度目の死」


「お前に『死』のなにが分かる、生を受けた人の子。知ったような口をきくな」

 弐夜は強い口調で続けた。

「私の通り名は『弐夜』。これが私が命のかけらだった時間の長さ。地上で冷たい夜を二回過ごし、私はこの冥界に導かれた。本当の名は授けられず、誰も私を知らない。光の中で生きることができる人の子とは相いれない存在なのだ」


 奇妙な沈黙が天一と弐夜を包んだ。弐夜はしゃべり過ぎたことにいら立っているようだったが、天一は弐夜の話したことを静かに頭の中で反芻していた。


 次に沈黙を破ったのは、弐夜だった。


「お前は自分がなぜ生まれ、生きて死ぬのか知っているか。必ず死が来るのに、なぜ生という無駄な過程の時間を与えられたか――お前はなぜ生まれ、生きている?」

「冥王にも似たようなことを聞かれたけれど、僕にはまだ分からない」天一は素直にそう答えた。「生まれてきたこと、生きていることが当たり前だったから」

「当たり前か」

 弐夜が軽蔑したような声を出す。だが天一は聞こえなかったかのように、思うがままに語り続けた――もはや天一自身も、語るのを止められなくなっていたのだ。まさに心の堰が切れて水がどっとあふれ流れるかのように。


「……あの日お母さんが死んで、本当に人って急にいなくなってしまうって知って、そしたら生きているほうの世界の見え方が、世界の色が全部すっかり変わってしまうって実感したけど、じゃあ今まだ生きている僕はその変わってしまった世界でこの先どうなるんだろうって怖くて……生きるってすごく怖くてさ」

「生きることは怖い、だと?」

 弐夜の声が少し小さくなる。


「うん、怖いんだよ、寂しいんだよ。人は結局ひとりなんだって思ったり、自分は普通過ぎてつまらないから一人なのかなってちょっといじけてみたり、反対にどこかみんなと違うから大勢の中にいてもやっぱり一人ぼっちなのかなって考えたり……。

 でもそんな僕でも、誰かと目を合わせて笑い合って、楽しくてうれしくて、生きててよかったって思うこともたまにはあってさ。そういう感情って本人が死んでしまったらおしまいで、次の死ぬことが決まっている誰の記憶にも残らなくなるけど、それでもその生きる者たちの一瞬一瞬が実は地球の記憶そのものになるんだとしたら、なんかちょっと、生きることができただけでもすごくて……。

 だから生と死の間の過程の時間がなければ、地球はだだっ広い広い宇宙のどこかにただ浮かんでいる空っぽの物体、それだけになっちゃうよ。そんなのつまんないだろ、冥界にとっても宇宙の他の星々にとっても。うまく言えないけど、人間も他の生き物も与えられた時間を生きて死ぬだけだけど、それでも楽しいことも寂しいことも全部ひっくるめて、たくさんの色を繋いで地球に託す。きっと死んだ後は誰も覚えてくれていなくても、それでもいい。覚えていてもらうことが生きる目的ではないんだから。

 少なくとも僕は僕のこと、僕が消えた後、誰も覚えてくれなくてもいいんだ。ただ自分が生きている時間にいろんな想いに振り回されながら、他の人の時間と一瞬でも重なりあって、別の色を作って、それで来たるべき時に終わりを迎えることができれば――なんてきれいごと、つまらないか……。


 本当はさ、僕のほうが誰のことも信じようとしなくて、誰のことも知ろうとしなくて、誰の人生とも関わろうとしなくて、ないない尽くしの世界に閉じこもっていたのに……。

 そうだな、少し前の僕なら、必ず死が来るのになぜ生きる時間があるのか、その質問の意味さえも分からなかったかもしれない。でも今はやっぱり、僕は死ぬまで、与えられた時間を生きたい。たとえその命続く間に誰にも見えない小さな花をひとつ育てることだけが使命だとして、僕はその使命を生きている間に全うしたい。誰もその花のことを知らなくても、誰も僕のしてきたことを知らなくても、誰かに与えられた役目じゃないとしても――生まれて死ぬってそういうことなんじゃないかな」


 弐夜は腕をだらりとさせたままで何も答えない。しかし、ついに口を開いた。


「人の子、お前は多くの恵まれた生者と同じく、生も死もその前も間も後も、そのものの価値を何も分かっていない。無駄に自尊心は高く、愚かで傲慢な言葉を操るだけだ。

 だが、お前の話はつまらないことはなかった。つまらないという感情を私が理解しているとしてだが……。時が来た。お前とこれ以上遊ぶつもりはない。ヒトトセとの契約が残っている」


 そうだ、もうその時が来たのだ。決着をつける時が――。その時、天一の耳元で女の人のささやき声が聞こえた。


「弐夜、僕は謝らない。君は夢泉丸やマイニーたちにひどい事をしたからね。でも僕はお前を、僕が生きている限り覚えているよ……さよなら」


 天一はそう言うと、耳元の声の言う通りに、光を発したままのガラスペンの先を右手でぐっとつかんだ。ペンは手のぬくもりに反応したのか熱を発して熱くなり、その後で急激に冷たくなったかと思うと、青みのある白い光が大きくはじけ、二人を取り囲む闇の殻の中に満ちた。

 その一瞬、弐夜の顔が光に照らされ、天一の目に弐夜の顔が見えた。半分は老人、半分は赤ん坊――どちらの顔も哀しく独りぼっちの顔だった。だがその顔も光の中で消えていき、全ては天一の記憶のかけらとなって溶けていった。


――生まれだされたモノは始まりと終わりのすべてを環状で描き、夢幻の中で生と死を繰り返さなくてはならない定めがここにはあります。


 子どもの声が聞こえて、天一は声のする頭上を見上げた。夢泉丸の顔が、天一の頭上高くある楕円形の穴からひょっこり覗いている。

 テンイチ様、と夢泉丸が大きな声を上げた。


 ガラスぺンの光は失われていた。が、天一の周囲はもはや暗闇ではなく、金色と銀色の水彩絵の具を水面に浮かべたようなマーブル模様の光の渦が上下左右をうねうねと動き、天一の視界を照らしていた。

 夢泉丸は穴から両手を差し出すと、早くつかまってください、と叫んだ。

「早くしないと、そこは真空状態になりますううう」夢泉丸の声が反響する。

「真空? それって僕、ぺちゃんこになるってこと?」

「いえ逆、逆! 内側からグングンと膨張して、最後は大爆発します。だから早く手をつかんでくださいいいいい」


 天一は大爆発する自分の最期を想像する間もなく慌てて両手を高く伸ばした。だが、頭上高くから差し出された夢泉丸の手には、到底届きそうにない。天一は焦ってぴょんぴょんと跳び上がったが、それでも届くには無理がある。足がかりになりそうな壁にも行き当たらない。


「天一さん、慌てないで急いで。落ち着いて一回だけ思いっきりしゃがんで思いっきり跳んでください」

 顔は見えないが、キタの声が夢泉丸の横から降ってきた。

「金銀兄弟からもらった靴を信じて」

「キタ! わ、分かった」


 天一は大きく深呼吸すると、膝を曲げてしゃがみ込み、自分自身の力も込めるように念じながら、左右のスニーカーを同時に両手の平で撫ぜた。


――テンイチ! 来い!


 夢泉丸が叫ぶと同時に、天一は両手を高く掲げながら、思いっきりジャンプした。


 先ほどまでとは全く異なる勢いで、天一の身体が跳びあがる。そして見る間に夢泉丸が差し出す両手に触りそうになった時、夢泉丸がさらに前に乗り出し、天一の両手をしっかりと掴む。天一もまた、夢泉丸の手をしっかりと掴む。

 その手は、普通の小さな子どもの手のように温かく少し湿っていた。


 と、とても子どもの力とは思えないすごい力で、夢泉丸は天一の身体を穴から外界へと引っ張り上げ、二人揃って地面の上でひっくり返った。

 そして、ひっくり返ったままの天一が自分が引き出された穴のほうを見ると、そこには何もない空間に楕円形の穴だけが浮いており、しかしその穴もまるで見えない手にひねりつぶされたアルミ缶のように見る間にぐにゃりと折り曲がって消えていった。


 先ほどまでひどい暴風域だった外界は、今やそよ風が心地よい穏やかな早朝の風景になっていた。


「大丈夫ですか?」

 キタが、地面に座り込んだままの天一の横に来て、真っ黒な鼻ずらをクンクン鳴らしながら天一の身体を点検する。

「あの元解終師ですね」

「うん、少し話をした。でももう終わったよ。あいつは、弐夜は戻ってこない」


 何が彼らの間であったのか知っているのか、それとも天一が無事ならそれでよいと思っているのか、キタはそれ以上何も聞かずに天一の手を軽くなめてしっぽをパタパタと振った。夢泉丸も何も聞かず、何事もなかったかのように冷静に立ち上がっている。

 ありがとう夢泉丸、と天一が言うと、夢泉丸は表情を崩さずに軽くうなずいた。お役目ですから、と言わんばかりに。


「あ、そういえばキタ、僕またやっちゃった」天一も立ち上がり、ズボンについた土を払う。

「何をですか?」

「キタがあのひどい風に吹き飛ばされたのが見えたから、キタを捕まえようとしたら、僕のほうが捕まったんだよね」

「だよね、じゃないです、天一さん」

 キタが怒りを通り越してあきれたように首を左右に振って、ため息をついた。

「キタはあれしきの風には吹き飛ばされません。それはおそらく幻覚ですし、天一さんはまだ見えるものだけを信じすぎです。それから何度も言いますが、私を助けるよりも自分自身を……」

「それは無理だよ」天一は真面目な顔でキタの言葉をさえぎった。「何回でも言うけど、無理なんだよ」

「……『理が無い』とはまた、上手い切り返ししです。一本取られました」

 キタは一人で勝手に納得したようで、もう怒ってもあきれてもいないようだった。


 そんな二人のやりとりを夢泉丸は黙って眺めていたが、あの先に川に通じる入口があります、と確認するように言うと、二人を先導して静々と歩き出した。


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