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『誓約のそら―烏の飛翔編 第ニ部―』2-8

8


 天一は、自分の名前を呼ぶ声に気づき振り返った。

 小さく香り高い花々越しに、誰が自分を迎えに来たのか彼には分かっていた。


 その者は、粗い砂地の道を四足を力強く動かして駆けてくる。地上の人々一人ひとりの祈り全てを散りばめたような見事な星明りが、その者の目指す先を照らし出していた。

 その小さな賢者は、もう間もなく目的地に着こうという距離で、再び叫ぶ――天一さーん!


 天一はしゃがみ込み、駆け込んでくるキタを両腕に迎え入れた。

「キタ、迎えに来てくれたんだね」

「はい、一緒に館に帰りましょう」

 キタはうれしそうにピンクの舌を出しながら答えた。

「そうだね、まだこれからやることがたくさんある」

「そうです。まだまだたくさんあります」


 キタがそう言うと、天の星のひとつから光の筋が降り落ち、天一とキタを取り囲むように光の円を地上に描いた。

 すると、その地上の輪からさらに輝きの増した光のカーテンが立ち上り、天一とキタを包み込む。天一は、その光のカーテンの中で懐かしい安心感を覚えた。

 さあ、僕は僕の道を進まなくっちゃ……。

 天一はそう考え、そこにある物を確認するように首元を手の平で押さえる。と、いつしか天一とキタは、複数の動物の彫刻が施された大理石の柱に囲まれた、長方形の広間の中央に移動していた。


 天井からは柔らかな光を放つ楕円形の巨大なランプが間隔を置いて数点宙を浮き、天井には花のような雪の結晶のような、それとも星の最期の光を模したようなステンドグラスがはめ込まれている。

 そして、数段高くなった広間の奥のほうには、北斗七星の紋章が織り込まれた深紅の布で覆われた横長のテーブルが置かれており、天一とキタと向かい合う形で七剣星が――向かって左側から、貪狼、巨門、文曲、禄存、廉貞、武曲、破軍の順に――横並びに座っていた。


「おかえりなさい、天一さん」

 武曲が、深さと透明感のある穏やかな声で天一を迎え入れた。そしてキタのほうを見て軽くうなずくと、再度天一に目を向けた。

「早速だけれども、スパイクから受け取った物をこちらに持ってきてくれるかな」

 天一は武曲の言葉に反応して首元に手をやると、スパイクが掛けてくれたシルバーのネックレスを外した。

 鎖にぶら下がる円盤が、キラキラと瞬いてスパイクの瞳を天一に思い出させる。これを受け取ってからどれだけの時が経ったのだろうかと、天一は手の平の円盤を見つめて思った。

「それをこちらに並べて」

 天一の思考を断ち切るように、武曲がテーブルの上を指し示す。たしかに、武曲たちの前にあるテーブルの真ん中にはすでに何かが置かれていた。

 天一は低い階段を数段上がってテーブルの前まで行くと、机上の物が何であるか確認した。

 それはお父さんが天一に託した黒い筒と、初めて目にする(鶏の卵よりもかなり大きいが、片手でつかめるほどの大きさの)淡い水色の卵だった。

 天一は筒の横にネックレスを置いた。七剣星たちには、それがすでに何なのか分かっているようで、武曲のほかに余計な口を開く者はいない。

 天一は、これから何が起こるのか予想できず、戸惑いながらちょうど目の前にいる禄存(今はくすんだ青色のドレスを着ている)に目をやった。彼女は天一を励ますように口角を上げてにっこりと笑顔を向けた。天一もつられて微笑み返した。


「では、その円盤を鎖から取って、その筒のてっぺんに置いて」

 天一の微笑みが見えたのかどうか、かまわず武曲が天一に指示を出す。天一は言われるがままに円盤部分を鎖から外すと、筒の上部にそっと置いた。天一も七剣星たちも静かに見守る。

 何も起こらない……かのように天一が思った時、円盤から逆流する滝のような光の噴射が天井まで立ち上がり、彼らの頭上からバチバチと電流のような音を立てながら降り注ぐ。

 それから光の噴射は急速に円盤を通して筒の内部へと吸い込まれ、完全に筒に閉じ込められると、筒の色は漆黒から純白へと変化していた。筒の上部から円盤の姿は消えていた。

「天一さん、その筒を手に取ってみてください」

 武曲が冷静沈着な口調で言う。天一は恐る恐るその純白の筒をそっとつかんだ。

 その瞬間、ポンっという、その場にふさわしくない少しコミカルな音とともに、筒の形が天一の手の中で変化した。


 それは、白い半透明のガラスのペンに変わっていた。


「へえ、天一さんのはペンなんだね」

 文曲がようやくいつもの軽い口調で口を開いた。「持ち運びやすくてよかったよかった」

 それになにかと役に立つ――聞き慣れない声がして天一は内心驚いたが、それは初めて顔を合わせた廉貞の声だった。

 廉貞は黄色い着物姿の彫りの深い顔をした男性で、武曲より少し老いているようにも見えたが、天一には彼らのことはよく分からなかった。

 なにせ目で見えるものだけが本当ではない世界なのだから。

 この人がアキラ君の属星かと、天一は廉貞の様子を興味深く伺った。だが、廉貞はそれ以上余計なことは言わないと決めたかのように、腕を組んでまっすぐに前を向いたまま動かなくなった。


「役に立つかどうかは天一さん次第だが、なかなかよい形をしている」

 破軍がそう言うと、禄存も、形も色も良いね、と続けた。天一は自分の手の平に乗ったガラスペンに視線を落とし、このペンはこれから自分が持っておくということなのだろうかと思案した。

 その時、武曲が言った。

「天一さん、そのペンを持ってキタのいる場所まで戻ってください」

 天一は何がどうなっているのか理解できないまま慌てて返事をし、ペンを握りしめたままで壇上を降り、キタがいる元の場所へと戻った。

「そのペンをご自分の前に置き、床に片膝をついてください」

 天一は武曲の言う通りに、ペンをそっと床に置くと、檀上の彼らに向かって片膝をついた。

 七剣星全員が同時に立ち上がり、武曲が宣言をする。


「茂籠天一、我々はあなたを『次期カギの管理者』として正式に迎え入れます」


 天一は促されるようにペンを再度手に取って立ち上がった。

 これまでは「正式」じゃなかったんだ……と言いそうになったが、キタがうれしそうに短いふわふわのしっぽをちぎれそうなほど激しく左右に振っているのを見て、とにかく彼らに正式に認められて良かったんだと実感した。


「では天一さん、これから新しい任務を託します」

 再び七剣星たちが椅子に座ると、檀上の武曲が言った。

「この卵を冥王のところに届けてください」

「冥王の……ところへ?」


 武曲が示す「卵」とは、長テーブルの上に置かれた水色の卵であることは明らかだった。

「そう、冥王のところへ。その前に、この卵が何であるか簡単に説明する。

 これは、マイニーに潜伏した『創造の柱団』の手の者の一部を、巨門が誘い込んで閉じこめた『スパティウム』の一種です」

 あまりに唐突に思いもしなかった情報をさらりと教えられて、天一は慌てて言葉を理解しようと頭の中をフル回転させる。武曲も天一の混乱が分かっているようで、少し間を置いてから話しを続けた。


「あの者たち、つまり創造の柱団の代表者であるヒトトセやその周りの者たちのことだが、彼らは天一さんを一度連れ去った後で、あえて私たちに助け出させるように仕組んだ。そしてその際に天一さんを深く眠らせれば、この七星剣の館で看病されるとも予想していた。だから、眠りの呪いをかける時に対象者の中に『自分の一部』のようなものを潜伏させて、誰にも疑われずにこの館に入り込んだ。

 まあ、実際に眠りの呪いを受けたのは天一さんではなくマイニーだった訳だがね」

「でも、あなたたちはその罠を見破っていた?」天一が質問する。

「物事はらせん状に繰り返されるものだ。何事も机上の空論通りにはいかないということさ」

 破軍が武曲の代わりに答えた。

「で、でも、それならわざわざ僕を連れ去らなくても、たとえばあの映画館で眠らせた時に『僕の身体』に仕込めば……」

「たしかにそれは考えた。どうしてわざわざ一度、自分たちの領域にまで天一さんを連れ去ったのか……。だが、これは完全に憶測なんだけどね――」武曲が言う。

「ヒトトセは天一さんと話がしたかったんじゃないかな。地球に住まう『人間』というものを知りたかったんじゃないだろうか」

「僕と話がしたかった? あのヒトトセが……」


 天一は、ヒトトセとどんな会話をしたか思いだそうとした。だが、正直あまり覚えていなかった。

 というのも、あの時の天一は目の前の敵に対して激しい怒りと憤りと憎しみを感じ、話しなんてしようとは思いもしなかった。そう、あのヒトトセこそ、天一の大切なモノたちを次々と奪う張本人であり、元凶なのだとみなしていた――いや、今もそうみなしているのだから。


「とにかく、もうマイニーにかけられた呪いは残っていないから安心しなさい」と武曲が、どこか遠くに投げかけるような笑みを天一に向けた。

「じゃあマイニーは、目覚めたんですか?」

「いや、でももうすぐだよ。イーニーとミーニーが側について、マイニーが自然に自分で目覚めるのを待っている」文曲が答える。「だから天一さん、あなたは武曲の言うように『お届け物』をしてくださいな」

「私も一緒に行きます」天一の足元でキタが頼もしく言った。


 天一は再び檀上に呼ばれ、テーブル越しの七剣星の前に立たされた。

 巨門が無表情で水色の卵を両手で包み込むように掴むと、天一に差し出す。天一はそれを受け取ろうとして、手に持ったままだったガラスペンをどうしようか迷った。

「それはこれからずっと持っていてください。そうだな、ズボンのポケットに入れておくと歩きにくいかな?」

 武曲は隣に立つ廉貞のほうを見たが、廉貞は腕を組んだまま思案しているように黙っている。

 天一は、武曲がこめかみに指を当てて少し困った表情をした姿に、父親の面影を見た。特に一緒に暮らすようなって間もなくは、よく目にした姿で懐かしささえある。

 お父さん、と思わず呼びそうになり、天一はそれを慌てて飲み込んだ。代わりに、「あの、ポケットに入れるとすぐに壊れてしまいそうで……」と答える。


「その心配は無用だよ。見た目ほど弱くはないし、すぐに傷ついたり壊れたりはしない。ただし大切に扱わないと、そちらもあなたを守ることはない。それは契約とは別次元の理だからね」


 武曲の言葉に、廉貞が無言でうなずく。すると、それまで黙っていた貪狼が、相変わらずのバケツのような白帽子の下から唐突に口を開いた――鎖を通せば良いんじゃないのかい。そこのそれそれ。

 白手袋をした長い指をくいくいと動かして、貪狼がテーブルの上を指さす。そこには、スパイクから受け取ったネックレスの銀色の鎖が、役目を終えたとばかりに控えめな様子で置かれていた。

「なるほど、さすがは貪狼だ」

 武曲はそう言うと、右手を伸ばして鎖を取り、左手で天一からガラスペンを受け取った。そしてガラスペンの柄の先に鎖を指先で押し付け、何事か小声でぶつぶつとつぶやいた。

 すると、半透明のガラスペンから一瞬白い光が射し、その光が収まると、武曲の手から鎖にぶら下がったガラスペンが何事もなかったかのようにゆらゆらと揺れていた。


「鎖は天一さんの思うままに伸び縮みする。だから上手に使いなさい」

 そう言いながら、武曲は天一の首にその鎖をかけた。天一は武曲にお礼を言って胸元のペン全体をさっと触ってから、パーカーの中に大切にしまい込んだ。七剣星全員がその様子を見守っていた。


「お父さんのことは心配しなくてよい。天一さん、あなたは自分のやるべきことをやって、また戻ってきなさい。意志のある者は『家』に戻ってこそ円環を完成させるのだから」


 そう遠くない昔、父親にも同じようなことを言われたような気がしたが、天一ははっきりとは思い出せなかった。

 だが今、武曲の言葉を聞いて、天一はまるであの「お父さん」に言われたかのように感じた。今はもう武曲に対して怒りも戸惑いもない。ただそこ――武曲と天一の間――には、天一自身うまく言葉にできないが、「つながりの光」のような存在が確かにあった。


 そして、いつか再び起こるであろうヒトトセとの対峙に向けて準備を進めるのが今の自分の役目なのだと、天一は武曲のどこまでも深くどこまでも澄んだ瞳の奥を覗いて悟った。

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