『誓約のそら―烏の飛翔編 第一部―』3
僕がこの町に引っ越してきたのは、小学校を卒業し、中学校に上がる前のすきまの時期だった。理由は、母親が亡くなってしばらくして、一緒に暮らしていた母方の祖母も亡くなり、結局それまで離れて暮らしていた父親に引き取られることになったからだ。
父と母は僕が二歳の時に離婚した。もちろん僕自身はよく覚えていないが、離婚する前までは、僕と母は父と一緒にこっちの町に暮らしていたらしい。だが、僕には父と二歳まで同じ家に住んでいた記憶はなく、そのためどちらかと言えば年に数回、僕らの町にやってくる「おとうさん」という呼び名の背の高い親戚の男の人、という感じで十二歳の春まで接していた。寡黙だけど優しい、優しいけれど遠い、という印象は一緒に暮らし出してからもずっと変わらない。
母が亡くなった日は、ほぼ一日中激しい雨だった。
その日はなぜか母も祖母も僕もいつもより寝坊してしまい、全員がバタバタと朝の支度をする、慌ただしいスタートだった。祖母は窓から外を眺めては、「今日は一日雨っぽいねえ。洗濯物が干せないわ」とブツブツ言っていた。
母は介護職に就いていて、家から車で二十分程度の老人ホーム兼デイケアセンターで働いていた。そこは当時で創設十年の施設で、母はこの生まれ育った町に僕と戻ってから、すぐに資格を活かしてスタッフとして働き出していた。そこのセンター長が母の幼なじみ(僕を含めてみんなが「みったん」と呼ぶ、ふっくらとした元気いっぱいな女の人)だったこともあるだろう。
いつもは歩いて小学校に通っていたが、母の職場への通り道ということもあり、母は遅刻しそうな僕を車で学校の近くまで送ってくれた。二人とも、まさかこれが最後のドライブになるとも知らずに。
「忘れ物ないね。傘ちゃんと差して。気をつけてね」
「はーい、いってきます。バイバイ」
こんななんてことない普通の会話が、最後だった気がする。気がする、というのは、実際にはどういう言葉をやり取りしたのか、はっきりと一言一句までは覚えていないからだ。覚えていないくらい日常の一瞬で、虫の知らせや悪い予感なんてものが入る余地もなく、本来なら一生思い返すこともない数秒の特別意味を持たない時間のはずだった。
その日の夕方、母は車にはねられて頭を打ち、意識が戻らないまま亡くなった。
祖母――母親の母親で、祖母の夫(つまり僕の祖父)はその4年前に亡くなっていた――は、ひとり娘が突然交通事故で亡くなったことに、当然ながら大きなショックを受けた。だが、お葬式の手続きなど気丈に執り行い、母の友人・知人たちにもきちんと対応し、取り乱した姿を誰にも見せないようにしていた。まだ小学生の、母親を亡くした孫の前では、特に気をつけていたのではないだろうか。その孫が、毎日泣いたり叫んだりふさぎ込んだり反抗的になったり急に従順になったりしていたなら、なおさらだ。我ながら、かなり大人げなかったと今なら思う。
祖母は、すべてのごたごたが終わり、孫がまた学校に毎日通うようになり、時が落ち着きを取り戻させたように見えた娘の死後一年ほどたったある日、心筋梗塞で倒れて戻らぬ人となった。娘の写真を胸に抱きながら。
祖母が倒れているのを見つけたのは、夕食前に帰宅した僕と僕の父だった。その日は、数か月ぶりに父が僕に会いに来ていた日だったからだ。
父は、いつもは僕を家の前まで送り届けると、そのまま滞在しているホテルに帰るか、長距離列車で自分の町まで帰るかだった。だが、その日は僕が玄関のチャイムを鳴らしても祖母が出てこず、僕が背中の青いリュックサックを下ろして自宅のカギを探しているのを少し離れた場所から眺めていた。僕は父に「おばあちゃん、家にいないみたい」と叫んだ。買い物の時間にしては少し遅かったが、買い忘れたものでもあったのかもしれない。
僕がカギを取り出した時には、父は僕のすぐ後ろに立っていて、僕がカギを開けるのを黙って上から見下ろしていた。そして僕と一緒に玄関まで入ってきた。父がここまで足を踏み入れるのは、かなり珍しいことだった。僕は不思議に感じて父の顔を見上げた。
父はなにか考えを巡らしているようで、いつも以上にタカのような目で、眼光鋭く廊下の奥の遠くに視線を置いていた。そして、僕に「ちょっとここにいて」と言い、靴を脱いで家の中に入り、廊下をずんずんと進んでいった。僕は少し遅れて、父の後をついていった。ちょっとは待ったんだからもういっかな、と判断したのだ。自分の家の玄関でずっと待つなんて退屈だし、なんだか父の顔がこわばっているようで気になったから、という言い訳もあった。
父は廊下の奥の「みんなの部屋」に突っ立っていた。「みんなの部屋」とは、いわゆるリビング兼ダイニングルームで、みんな――おばあちゃんとお母さんと僕――が普段食事をしたり、テレビを見たり、おしゃべりをしたり、そういう日常生活のなんてことない事すべてを行う部屋のことだ。その部屋の出入口近くに父がいたので、僕はそっと父の背後から、父が見ているものを覗き込んだ。祖母がうつむきで倒れていた。僕の母の額装された写真を下敷きにして。
僕の頭は目の前の意味を捉えることを止めた。それはまるで切り取られた写真を見ているような、すべてが時を止めたまったくの平面の世界のようだった。
後から思い返すと、父は祖母が倒れている姿を見た時点で、すでに逝ってしまったことを悟ったのだろう。だからこそ、慌てることなく、やるべきことを順序だてて行っていたのだ。僕が祖母の倒れている姿を見たこともすでに起こったことだと割り切り、特にはなにも言わずに、呆然としている僕を近くの椅子に座らせてから、おそらく警察に電話していた。
翌日は、僕の十二歳の誕生日だった。
僕は、まさかおとうさんと僕が一緒に暮らすとは思いもしなかった。いや、普通なら、これまで一緒に暮らしていた祖母も母親も亡くなった子どもを、(経済的・精神的に大きな問題を抱えていない、と思われる)実の父親が引き取るのはおかしなことではないだろう。だが、なぜだか分からないが、僕にはあのたまに会う「おとうさん」が、僕を引き取るとは、想像できなかったのだから仕方ない。だが、現実として、父は僕にこう訊ねた――一緒に来るか、と。父親にもらった新しい自転車にまたがりながら、僕はただうなずいた。
時に人生には、自分の意思だけではコントロールできない大きな荒波がやってくる。人はただそのなかに飲み込まれながら、目の前の景色が移り変わるのを宇宙のひとつの真理として受け入れるしかないのだ。その当時の僕は、言葉にできないモヤモヤした薄暗がりの心を抱えながら小学校を卒業し、それほど多くない友人たちと(また遊ぼう、手紙書くね、なんて適当な言葉を心のどこかで嘘だと思いながら)お別れをし、おとうさんが住む町に引っ越した。
おとうさんは、想像通りと言うべきか、忙しそうな人だった。時々、数日間家を空けることもあった(というか今もある)が、特定の誰かと親しいようでもなく、なにかと出張が多い仕事人間といった感じだった。だが家を空ける時は、必ずおかずを数点作り置きしてくれて(ありがたいことに、料理は結構うまい)、「足りなかったらこれで買い足して」と、申し訳なさそうに余分の食費を置いておいてくれた(というか今も置いてくれる)。
おとうさんとの共同生活の最初の半年は、僕にとっては現実味がまるでなかった。それまでは、たまに、忘れたころにほぼ一日会うだけの人で、僕はおとうさんのことを正直「僕といる時だけこの世界に存在している登場人物のひとり」じゃないかと半ば本気で思っていたのだ。
そんな「たまに出てくる登場人物」の家に僕の部屋ができ、ほぼ毎日同じ屋根の下で寝食を共にし、ゴミ出しや掃除・洗濯などの日常の繰り返しを共有し、時々は一緒にスーパーマーケットに行ったり外食したり映画を観に行ったりしている――しかも初めての町で、初めての学校に通い、初めての同級生たちに囲まれながら。人生のスピードが急加速で進み、いつか見えないカーブでハンドルを切り損ねて、また大けがをするのかもしれない……。なんてことをふと夜中、隣の部屋でおとうさんが寝ている気配を感じながら思うことも正直言って少なくなかった。
母の名前は「聖」と書いて「ひじり」だった。そのため、みったんは母のことを「ひーちゃん」と呼んでいた。
母の生前、僕と母とみったんは、休みの日になるとよく三人で郊外の湖畔に日帰りで出かけた。母が自分の車(僕が物心つく頃にはすでに家にあった、中古のチョコレート色のミニ)を運転する時もあれば、みったんの黄色いセダンが出動する時もあった。僕はそれを「バナナカー」と名付けていた。見た目もだが、なぜか車内にはいつも熟れたバナナのような南国の甘いニオイがほんの微かにしていたからだ。
僕たち三人は、サンドウィッチや空揚げや卵焼きの詰まったランチボックスと水筒とおやつを持参して、歌を歌ったりしりとりやクイズ合戦をしたりしながら、車で2、3時間程度のその場所に早朝から出かけた。
みったんは色白で背が低く、ふっくらとしたマシュマロっぽい感じの女性で、背が高くやせ型で、どちらかと言えば健康的な浅黒い肌の母とは対照的な外見だった。でも二人は一緒にいると本当に楽しそうで、大きく口を開けて笑い合っているのを見ると、まるで前世は双子だったんじゃないかと思うくらい波長が合っていた。
僕が七歳ごろのある週末、湖畔からの帰りの車内で、みったん選曲のポップミュージックと助手席の母と運転中のみったんの話し声をなんとなく聞きながら、僕はバナナカーの後部座席に座った状態でまどろんでいた。だいたいいつも帰路はこんな感じで、はしゃぎすぎた後の僕は家に着くまで完全に電池切れしたように爆睡した。
だがその時はまだ爆睡にまでは至っておらず、夢を見ているでもなく、起きていると言えば起きているような、そんなフワフワした心地よい疲れと時間の波にもまれながら、母とみったんが僕に内緒でアイスクリームを食べている妙な錯覚に襲われて慌てて目を覚ました。
二人は、ホームの居住者のナカムラさんが肥満でお菓子を制限されているのに、こっそり食べた最中の皮の粉を口周りにつけていて困った話や、共通の知人のユウさんに最近彼女ができたが、どうも彼女には名前がいくつもあって謎が多すぎる問題、などをとりとめもなく楽しげに話し続けていた。アイス争奪戦に乗り遅れていないことを知り、僕はまた、心地よいまどろみの
綿に包まれそうになっていた。その時、みったんの声が耳に入ってきた。
「そう言えばこないだ、山中歯科の前のバス停で天とモロ君が一緒にいるの見たよ。二人共すぐにバスに乗っちゃったけどね」
天とは僕のことで、モロ君とはおとうさんのことだ。以前聞いた話では、父も母とみったんの幼なじみだったらしい。ただし、みったんと父はそんなに仲良くないようで、僕は彼らが顔を合わす場面すら見たことがなかった。まあ、父と母でさえ一緒にいるところをほぼ見たことがなかったのだから、当然と言えば当然なのだが。
「ああ、そうね、こないだ久しぶりに会いに来てたから、あの人」母が答えた。「多分映画を見に行く時だったんじゃない? ほら、えっとなんだっけ、ちょっと前に公開した、えっと……あれあれ」
「いや、それだけじゃ分かんないし」みったんが笑う。「あ、でも分かった。最近話題のあれね。私も観に行きたいんだけど、まだ行けてないのよ」
「それ、最近話題のあれ。さすがみったん。なんでもお見通しだね」
「まあね。ひーちゃんの頭の中なんて、この世で一番簡単に見えちゃうもん。でもすごいね、天はもうあんな難しい映画観てるの? やっぱり天は天才天才」(言い方が軽いよ、ひーちゃん、とぼんやり思う僕)。
母は「いやいやその前に、簡単に人の頭の中のぞき見るのやめてよ。悪いクセだよ、それは」などと笑っていたが、その後、少し何か別の心配事があるような調子で「なんかね、とりあえず映画っていうのが二人の定番なのよ。だから天の好みかどうかっていうよりも、『今この映画やってるから観ようか』ていう流れでなんとなくあの人が選んでるんだと思うよ。天が興味あるかどうかとか理解できるとかは関係ないの。この子も多分、タイミング的によっぽど観たいのがなければ、他はなんでもいいみたい。主張がないのか、大人に遠慮しているのか、なんか別のことを自分なりに考えてるのか……とってもいい子過ぎる時があるんだよね」と言い、大げさにため息をついた。
「フーン、なるほどね」みったんの声が続く。「あのさ、天はモロ君のこと、どういう風に思ってるの? 今さらだけど、会うとやっぱり嬉しいのかな。天は普段、彼の話し全然しないから、関係性がよく分からないっていうかね。やっぱり嬉しいのかな、会えると」
母は少し考え込み、言葉をゆっくりと探していた。だが、この後母がどう答えたのかは、覚えていない。僕が起き出したのに二人が気づいて、話題を変えたのかもしれない。とにかく、いつもここで僕の記憶はなくなっているのだった。