『誓約のそら―烏の飛翔編 第ニ部―』2-1
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異法者の長が側近二人を連れて、M32の中立地点にある屋敷『烏有楼』の一室に到着すると、すでに三人の事なかれ主義者の姿があった。
相手を射抜く目を持つ破軍、常に真顔で感情の読めない巨門、そして最後の初顔は文曲のいつもの変容だろうと長は思いながら、彼らに対峙するように、大きな円卓の左半分の空いた席に座った。左右には側近たちが着席する。
そのタイミングを見計らい、文曲であろう黒髪の少年が、さあ、楽しい談話の始まりだ、と半分茶化すように、しかし半分は長とその側近たちの張りつめ度合いを確認するかのように口火を切った。
「こうして顔を合わすのは久方ぶりだね、クアティオ」
破軍が異法者の長に向かって親しげな様子で言った。クアティオと呼ばれた老いた容姿の女は、白髪の前髪を指で軽く横に流し、破軍、巨門、文曲の顔を改めて順番にゆっくりと無言で見つめた。それから、たしかにあれから随分時がたったようだ、と答える。
「時はまだ直進しているようだからな」破軍が答えた。
窓も余分な調度品もなく殺風景な部屋の中、彼らの姿だけがこの部屋の彩りとなっていた。というのも、彼らはこの部屋にいる時にしか見えない、それぞれ色の異なる炎のような影を背負っており、それらは息をひそめて主たちの話を伺っているように常にチラチラと細かく揺らいでいるからだった。
「さっそく本題に入るが……」と破軍が続けた。「そちらの一部の面々が天一さんを連れ去ってしまったようだ。そのことについてあなたたちはどこまで把握している」
クアティオは大きくため息をつき、例の少年のことだね、と答えた。
「その子を連れ去ったのは、通称『ヒトトセ』と呼ばれる者を中心とする一派だ。彼らは自分たちのことを『創造の柱団』と名付けている。そしてヒトトセは、私の身内でもある」
「身内?」文曲が口を挟んだ。
「そう、身内だ」クアティオは文曲のほうを見て続けた。「私の子どもであり孫でもあり分身でもある身内のひとりで、あの大爆発の残骸でもある」
一瞬の沈黙が部屋を覆った。が、クアティオの細く鋭い声が続く。
「ヒトトセはかなり前から、我々の協定で維持されている宇宙の均衡について疑問を呈していた。だが私たち長老会は全てを説明せずに、ただ従うように言い聞かせてきた。それがこのような結果を招いたことは分かっている。その点は私の見立て違いだった――ヒトトセは、自分も含めてすべてが無になることを恐れてはいない」
「我々が無になることを恐れているとでも?」
冷たくわずかに怒りを含んだ声が部屋に鳴り響いた。切れ長の鋭い目と大きく紅い唇が目立つ人物――巨門の一声だった。
巨門はめったに自分からは発言をしないため、破軍と文曲でさえ虚をつかれたように、自分たちのあいだに座る巨門のほうを向いた。クアティオは巨門と視線を合わせ、無表情のままでまっすぐに自分を見つめる淡い色の瞳の奥を見つめた。それから、ほんのかすかに口もとをほころばせ、確かにあなたの言う通りだ、と言った。
あなた方も私たちも無になることを恐れている訳ではない、と。
「それで――」破軍は両手をテーブルの上で組み合わせ、胸を大きく開いてクアティオに言った。「その『創造の柱団』たちはどこに天一さんを連れて行ったのか、ご存じかな?」
「はっきりとは分からない、本当だ。だが、ヒトトセの右腕のような存在として、ミマスという者がいる。ミマスには多くの兄弟姉妹たちがいるが、その中の一人の所領にいるのではないかと推測される。あの兄弟姉妹の結束はそれなりに固いからね」
「ミマス……、おそらく一度、天の川銀河美識会議で見たことがある。片メガネの男だったような……」
文曲の言葉に、クアティオは大きく頷いた。
「その通り、ミマスは片メガネをしている。普段はそれほど目立たないが、周囲への影響力をじっくりと広げていくタイプだ。実際のところ、ヒトトセではなくミマスに乗せられて『創造の柱団』に加わった者は少なくないと私は見ている」
「だが、全ては推測の域を出ない」文曲が追うように言う。
「その通り。全ては我々に秘して行われているのだ。今この瞬間も」
異法者の長は事実を事実として述べる。まるで一滴でも自分の非を認めれば全宇宙の崩壊の始まりになるとでも思っているかのように。
破軍たちは、クアティオの言葉を吟味するようにしばらく沈黙した。その時、クアティオの右隣の側近――一つ目のエンケ――が閉じていたまぶたをぎょろりと開け、長に耳打ちした。
「……新しい動きがあった。ヒトトセの居場所が分かったよ」
クアティオは、宇宙空間のある一点の座標を述べた。
「そこが『創造の柱団』の拠点になっている。例の少年もそこにいる。そしてもうひとつ、探し物も同じ場所にあるようだ」
クアティオの背負っている、炎のような影に色の変化はなかった。
嘘偽り、作為のない言葉の証を認め、破軍は「分かった。我々はこれで失礼する」と答えた。
するとクアティオが右手を挙げて、「キタたちはもう向かっているんだろう? 私たちもできるだけの援護はする。その後の事もこちらで処理するようにする。私たちの関係は維持される」と言った。
「援護は助かるけれど、ヒトトセとミマスがこのままおとなしく君たち長老会の元に戻るとは思えない。処理するってどうするつもりなの?」
文曲は踊るように身体を片側に傾け、クアティオの顔を下から覗き込むようなしぐさをしながら訊いた。
異法者の長は、ふっと息を吐くと「エントロピーのままに」と誰に聞かせるでもない小さな声でつぶやいた。
「我々はとにかく天一さんを屋敷に連れ帰る。援護の方法は任せる。ではまた何かあれば互いに連絡をしましょう」
破軍の締めくくりの言葉を合図に、巨門の両肩に破軍と文曲が左右から片手をかけた。その瞬間、彼らの姿はもう消えていた。残された異法者の長と側近二人もまた、その場から姿がなくなり、彼ら六人が背負っていた炎の残骸がチラチラと揺れてから小さな塵となって消滅した。




