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『誓約のそら―烏の飛翔編 第一部―』25

25


 ひげ男の後ろ姿が坂道の曲がり角に吸い込まれた頃、まずは僕が口を開いた。


「今のってさ、さっきすれ違ったおじさんだよね。この家もさっきおじさんが出てきた家と同じような気がするし……」


 僕の言葉が、ここにいる全員の総意であることは間違いなかった。そして僕の言外の言葉の意味も、全員が理解していることは言わずもがなで伝わった。


「私たちは、いえ、私はどうやら自分の鼻よりも目を信じすぎたようです。面目ないです」

 キタが、悔しそうに口を開いた。

「急ぐあまり、単純なまやかしをすっかり信じてしまいました」

「まやかし?」と僕が訊き返した。

「はい。私が誤った道に誘導された結果、私たちは全員、悪意の元で作られた時間と空間のループにはまり込んでしまったのです」

「つまりそれって、さっきのおじさんはその前にあったおじさんと全く同じ人で、この道はさっきの道と同じ道、ってこと? このままだと何回も同じことが繰り返される……みたいなこと?」

「まあ、簡単に言えばそういうことです」

 意気消沈するキタに代わって、イーニーが答えた。


「うーん、じゃあさ、どこで誤った道に誘導されたのか、元の道をたどったほうが良いのかな?」

「たしかに途中まで、目星のニオイはしていました。ですからそこまでは誤っていないはずなのです」キタが答えた。

「なにが正解なのかはわかりませんが――」とイーニーが続ける。「元の道を後ろからたどることはもはやできませんから、前進して元の道を戻ってみましょう」


 イーニーの不思議な表現に、僕は怪訝な顔をして自分の後ろを振り返った。僕たちがついさっき通ったはずの道の先は薄く霧が立ち込め、その先には粒子の細かな暗闇が無の壁になってさえぎっていた。


「確かにこれじゃあ元には戻れないね……」僕の言葉に、首元のマイニーがうんうんと同意した。


 キタを先頭に、僕たちはまた坂道を上がった。途中から石段になり、金銀兄弟に似た巨大な石像が予想通り現れる。キタは左側の石像の足元で立ち止まって慎重にクンクンとニオイを嗅ぐと、やっぱりこっちのほうでここまでは合っていますねえ、と思案顔で言い、僕たちは群衆の背中の背後に沿ってまたもや左側に回った。


 創造の柱団同志のみなさん――ヒトトセの声が響き、演説が始まった。

 キタは時々ニオイを確認しながら、前回と同じく建物と建物の間の通路を進む。銀色の球体がところどころ転がっており、僕たちの姿を映す。


 僕たちの姿を映す?


「ねえ、キタ」

 僕は前を進むキタに声をかけた。キタとイーニーが足を止めずにちらりと振り向く。なんですか、とキタが訊いた。


「あのさ」僕はあえて冷静な口調で続けた。

「この銀色のやつに、僕の姿が映っているんだけど、おかしくないかな? だって僕は今フードを被っているから、姿は――」

「見えないはず」とイーニーが続けた。


 キタが立ち止まり、僕たちはその場に立ち尽くした。沈黙……


 みいつけた


 気味の悪い声が僕の背後で発せられた。


 背中の肌から筋肉までがビリビリとしびれ、一気に冷や汗が流れた。僕の本能が振り返ってはいけないと必死で伝えている。僕は脳に足を蹴り出すように命令を出すが、伝達がうまくいかないようで足が動かない。

 キタと目線が合うが、キタも静止している。その時、突然カンッという高い金属音が耳元でしたと思ったら、フードが頭から外れてずるりと僕の首元からなにかが落ちた。

 目をやると、細かな毛に包まれたマイニーの肉体が地面にぐにゃりと転がっていた――これらはおそらく0.01秒ほどの出来事だったかもしれない。


「マイニー!」


 叫ぶと、呪縛が解けたように身体が動いた。


 僕はマイニーの身体をとっさに掴み、身体を反転させてイーニーとキタと並んだ。

 振り返った先には暗闇の壁が広場への道を閉ざし、その前には黒いマントを被った髪のない大柄の男が背中を丸め、両腕はだらりと力なく下ろして立っていた。


 男の顔は、半分はまぶたも頬も口元もだらりと垂れ下がったシワで埋もれており、もう半分はシワひとつないつるりとした肌で、無垢な赤ん坊のようなつぶらな瞳が銃口のように僕を捉えていた。

 男は僕をじっとりと絡みつくように眺めていたが、「あらら、肩にゴミがついていたか」と、状況を楽しんでいるように言った。


「マイニーになにを……」

 僕は腕のなかのマイニーが微動だにしないのを感じていた。イーニーがグルウウウウと唸り声をあげて、男に飛びかかった。

 だが、男が片手の人差し指をひょいと動かすと、イーニーは見えないゴムにでも弾かれたようにパンっと僕らのほうに吹っ飛んで、石畳みの道に容赦なくたたきつけられた。

「チビのお遊びは終わりかな」

 男はあざけると、地面に横たわるイーニーの身体をさする僕に顔を向けて、「もう隠れないでね」と周囲の空気を響かせるような奇妙な周波数の声音で最後通告した。


 僕は怒りと悔しさと恐怖で呼吸が粗くなり、心臓が存在の危機を察知して早鐘を打つ。


 キタは僕とイーニーの前に立ち、喉の奥からウウウウウウと唸っていた。だが同時に、僕の頭のなかに向かってメッセージを送ってきた――ミナミが来たら、イーニーを掴んで後ろの方向へ全速力で走って塀にぶつかって――と。


 ミナミが来る? と考えた瞬間、キタは男にむかって飛びかかっていった。

 だがまたもや男がハエを払うように片手を軽く振ると、キタは見えない衝撃に吹き飛ばされて建物の壁にぶつかりそうになる。が、すんでのところでくるりと身体をひるがえし、うまく壁に四肢を当て、その反動を使って地面にすたっと降り立った。


 男は間髪入れずに「無駄なことは考えないほうが良い」と言うと、キタに向かってまた片手を動かそうとする。

 僕はすばやくマイニーをイーニーの側に置き、本能の警告を無視してキタの前に滑るように飛び出すと、両ヒザを地面につけた状態で背中を男のほうに向けて両手を広げた。


 すると、僕の目の前でキタの身体全体の毛がグワッと逆立ち、真っ白な光が全身から発せられた。そしてその背中から、キタの身体の倍以上の大きさの青い光の塊が飛び出し、僕の身体を突き抜けて男のほうに弾丸のように向かっていく。振り返ったが、その青い光はどんどん大きくなり、光のまぶしさに男がどんな様子なのかは分からない。


「走って!」

 キタの声が響いた。


 その瞬間、僕は全身を雷で打たれたようなビリビリする衝撃に突き動かされ、急いでイーニーとマイニーの身体を掴むと、腕に二人を抱えて駆け出した。キタも後ろから駆けてくる。

 壁の終わるT字路の手前まで来たが、その時、僕のすぐ目の前を右から左に向かってなにかがひゅんっと通り過ぎた。


 僕は足を止めずに右方向に顔を向けた。離れた場所にハンティング帽の覆面男が弓を構えている。


 僕は――いや、僕の履いているスニーカーがスピードを上げて煙を吐き出す。塀は見えているよりも遠く、少し近づいているようでまだ距離がある。頭の後ろのほうでまた何かが右から左へと飛んでいったが、もはや気にする余裕はない。


 天一、左! とキタの鋭い声がした。


 すると今度は、左側からなにかが飛んできて、僕の腕に絡みつこうとしてきた。が、少し距離が届かず引っ込んでいく。

 左側を向くと、紫の髪の女が縄のようなものを引き寄せながら、こちらに向かって叫びながら走ってくるのが見えた。


 何も考えずに全速力で走った。塀にまであと少しあと少し……。


 僕はキタを信じて目の前の塀へと身体を横向きにして肩から突っ込んだ。壁に肩がめり込む。いや、沈み込む感覚。


 ヨーグルトのように少し重さのある柔らかな塀に対して、僕の身体は重力の方向が回転したかのように、ずるりと沈むように吸い込まれる。

 僕は二つの小さな身体を落とすまいと必死で腕に抱えたまま、真っ暗な穴のなかに立ったまま落ちていった。


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