『誓約のそら―烏の飛翔編 第一部―』24
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「……って訳にはいかないだろ、動き出したものは……」
彼らのひとり――弓矢を持ってハンティング帽をかぶり、顔全体にはなにかの記号が赤字で書かれた布をつけた体格の良い男が、もう一人――明るい紫色の長髪の女(こちらは顔が丸出し)に向かって言った。
男の顔を覆う布には切れ目があるのか、途中でスパスパと何かを口もとに持っていって吸っては煙を吐き出している。この動作と布と低い声のために、男が何を言っているのかよく聞こえない。
「まあ、そう焦るな。休めるのはありがたい。気が滅入ってしまいそうだったよ」
男の声とは反対に、女は良く通る高い声でそう答えると、同じく何かを満足そうに吸って煙を吐き出した。二人は全く異なる服装をしているため、いわゆる「兵隊」や「警備隊」というようには見えない。そもそもそういう概念はないのかもしれない。
「それにしても、ヒトトセは……」
男が声をひそめて何かつぶやく。女は何がおもしろかったのか、クククっと笑い出した。男もつられて低い声で笑う。
「いや、ほんとうにそうだ。ねずみ一匹通らないってもんだぜ」と女が笑いながら言う。
「……かもしれないしな」と男がまたぼそぼそとつぶやく。
「そうだな」女が答える。「まあ俺はこれ以上のエネルギーの無駄遣いさえ起らなければ、地球に恨みはないんだけど、あの人たちの場合は……」
そこで女の声が途切れた。なにか言いにくい話題に触れてしまったようだ。
「……」
男は無言で深くうなずいている。
「ま、しばらくは続くだろうよ。とりあえず、鐘が鳴る前にあっちの端まで行ってしまうか」と、女が話を切り上げる。
二人はスパスパと吸っては吐き出すを繰り返しながら、ぶらぶらとテントの奥のほうに歩いていってしまった。
完全に彼らの足音や声が消え、他に人の気配がしないことを確認すると、マイニーを首に巻いた僕とキタとイーニーは、作り物の馬や大人が余裕で数人入れそうな大きな箱、雲をかたどったような奇妙なオブジェなどの後ろを通って素早くテントの出入口へと向かった。
まずは小さなイーニーが先遣隊長としてテントのひだの下部分から顔を出し、それからしっぽを縦方向に振った。
「進んでも大丈夫、という意味だよ、あれは」とマイニーが僕の耳元で教えてくれた。
イーニーに続いてキタが外に出ていき、最後に僕が小さく屈みながらテントのひだの切れ目から外へと顔を出した。
テントの外は誰もいない町だった。とはいえ、冥界の帰りで通った落ち着いた雰囲気の街並みとは異なり、どちらかというと可愛らしい、絵本に出てくるお菓子でできた家のような、白い石壁に赤と黄色を組み合わせた家々が石畳の道の両脇に並んでいる。
道は少し曲がりくねった上り坂のようで、道の先がどのようにどこまで続いているのかは分からない。
僕から少し離れた前方にいるイーニーは道の先をじっと見ていたが、こちらを振り返って「あの先で何かが起きているみたいですよ」と言った。
たしかに、町でありながら誰もいないというのもおかしい。みんなどこかに集まっているのかもしれない。
「私たちが目指すのも向こうの先のほうです。とにかく行ってみましょう」とキタがすたすたと歩き出したので、僕たちは誰もいない静かな石畳の道を進むことにした。
お菓子のような家が続く通りには、本当に誰もいないようだった、ところどころ見られる通りに面した窓にはカーテンやブラインドが閉められ、内側の様子は分からない。だが、ここに今まさに人が住んでいるという生活の気配は残っている。パンを焼いたようなおいしそうな香りさえも漂っていて、僕は随分のあいだ、なにも食べていないことを思いだした。金銀兄弟やスパイクの家でのにぎやかな食卓が懐かしい。
それにしても、この町の人たち全員『創造の柱団』のメンバーなのだろうか。それとも元々あったこの町に『創造の柱団』が移り住み、元の住民のなかに紛れているのだろうか。
そんなことを考えながらキタの後を急ぎ足で進んでいると、ちょうど僕が通り過ぎた家のひとつから、ひげもじゃ顔の男が突然出てきた。
僕は身体をこわばらせた。だがその男は僕のこともキタやイーニーのことも全く気にしていないようで、少し慌てたように出っ張ったお腹を揺らしながら坂道を駆け上がっていく。
「あの人は何も感じていないようですね。私たちは見ようとしないと見えない小さきモノですし、天一さんの姿はそもそも見えていませんから」とキタが僕を安心させるように言った。
「天一さんのことは誰も目もくれません」
「目もくれない……そのようだね」僕は苦笑しながら自分の身体を見下ろした。
「僕の姿って見えてないんだ。すごい」
「はい、ですからその帽子は外さないでください。とはいえ、姿を見えなくする作用は絶対的でもないですし、天一さんの器自体が存在していないのではないので、この世界の物体に接触するのはできるだけやめてください。何が起きるかは私にもわかりませんから」
キタの言葉の意味をかみしめながら、僕たちはまた先を急いだ。さっきのひげ男の姿はすでに曲がった道の先に消えていて、建物の先頭に広がる青空には雲がまるで絵に描いたように、鳥が翼を広げて羽ばたいているような形でいかにも雲らしく漂っていた。
僕は「そう言えば、ここはそもそもどこなの? 地球のどこかなのかな?」と首元のマイニーに訊いた。キタの「この世界の物体」という言葉に引っ掛かりを覚えたのだ。
「ううん、地球からはうんと遠いところにあるすごく小さな星で、すごくスキマのスキマ」とマイニーが答えた。
「それでテンイチを探すのに手間取ってしまったんだよ。手掛かりはあったけど、最初は違う場所にいってしまったりして、探すの結構大変だった」
「そうなんだ、でもなんだかここ、地球みたいだな。空だって青いし雲もあるし……」
「それは――」とキタが振り返った。
「やつらが地球の空に似せた大天幕を張っているからです。これを張っていないと、この星はずっと永遠に真っ暗闇の中に遠くの星々の光がわずかに点在している世界になるのです」
「それって、地球の夜が続くみたいなこと?」
「全然違います。闇の深さも孤独の質も違います。おそらく天一さんのような地球の生物には想像できません。彼らが地球の生物の闇の深さも孤独の質も想像できないのと同じです」
キタは少し憐れんでいるような口調でそう言うと、空を見上げてからまた歩き出した。
しばらくすると上り坂には段が施され、その一段の高さが徐々に高くなって石段になった。僕たちは念のためにできるだけ目立たない階段の端のほうを選んで駆け上がり、段の終わりまで到達した。
段の終わりの両側にはどこかの国の英雄か神話の登場人物を模したような巨大な石像がにらみを利かせている。が、なんとなくそれぞれ金銀兄弟に似た顔で、僕は畏怖よりも親しみを感じながら、そのうちのひとつの足元を通り抜けた。
階段の先には古代遺跡のような柱が並ぶ建物に囲まれた広場が現れ、群衆がみんな同じように背中をむけている。意外と足の速い、あのひげ男らしき丸い背中もあった。彼らは前方のなにかに気を取られているようで、中には背伸びをして様子を伺おうとしている人もいる。僕たちは彼らの誰にも見とがめられることなく、キタが先導する左手のほうへと向かった。
創造の柱団同志のみなさん、と広場の前のほうから女の声――ヒトトセの声がした。
僕たちは群衆の背中を見ながらそそくさと移動する。どうやら群衆は広間の前方真ん中に向かって楕円を描いているようで、どこまでいっても背中背中背中……。ヒトトセの自信に満ちた声が響いている。
「私たちの長年の想いがついに実現し、この新たな第一歩を踏み出すことが叶いました。これは私たち創造の柱団の主張の真実性が何にも勝り、同志みなさん、私たち全員の意志が、全宇宙のパワーバランスにこれまでにないインパクトを与えることの正当性を確かなものにした証なのです」
ここで群衆からわっと拍手が沸き起こった。
「同志みなさんもご存じのように、例の箱のカギをまさに握っている『あの者』の急所を、私たちは全員の力によって確保することができました(ここでも拍手が沸き起こった)。これもまた、私たち同志一同のたぐいまれなる努力と忍耐、そして内なる強さが生み出した当然の成果と言えます。私たち創造の柱団は、これまでの不当な扱いから脱却し、事なかれ主義者たちの権力志向を打ち砕くためにさらに一致団結するのです」
一様に背中を向けて同志代表の演説に集中している群衆の内、数人は盛大な拍手とともに「そのとおり」「やったやった」というような威勢の良い掛け声をパラパラと発した。
これらの群衆の反応は予想通りだったのか、それとも期待以上の盛り上がりだったのか、ヒトトセは少し感極まったように演説に間を空けた。
この間にも、僕たちは誰にも気づかれずに群衆が描く背中の壁のカーブから離れて、建物と建物の間の道を片方(向かって左側)の本物の石壁に沿って進んでいった。ヒトトセの声がまた響き始めたが、はっきりとは聞こえなくなっていて、内容までは分からない。が、度々拍手が沸き起こっているようで、群衆は広場にまだまだ留まってくれていそうだ。
このまま誰にもすれ違わなければ逃げ切れる――そう僕は感じていた。
左右の壁のすぐ脇にはところどころ、サッカーボールぐらいの大きさの銀色に光る球体がアート作品のように置かれていた。だが、生きているモノは大小に関わらず全くいない。
壁の角まで来たところで、先頭を行くキタがぴたりと止まった。イーニーと僕も立ち止まる。目の前にはクリーム色の高い塀があり、左右どちらかにしか進めなくなっていた。
「こっちで合っているはずです。目星のニオイが強くなっているので」キタが僕を振り返って言った。「おそらく左方向かと」
キタよりもさらに小さなイーニーがキタの前に行き、角から顔をのぞかせて右、左とすばやく確認する。それからしっぽを縦に振って、左方向へと進んだ。キタ、僕も続いて右側をちらりと確認してから左側へと進む。幸いなことに、この通りにも誰一人として姿はない。
僕たちはまた建物の壁に沿って先を急いだ。キタがまた振り返って、「ニオイはしています」と言う。僕はうん、とうなずいた。
その僕の首の動きに合わせてマイニーがごそごそと動いた拍子に肩から落ちそうになったので、僕はフードの上から手でそっとマイニーの身体を支えた。マイニーが僕の首に身体を巻きつけて身体を安定させる。
さすがに僕の息が切れてきたが、ここで休む訳にはいかない。僕たちは少しペースを落としながらも歩み続けた。
すると、いつしか左右の道には、あの可愛らしいお菓子のような家々が並び始め、上り坂になっていた。生活感のある香ばしい香りがかすかに漂う。僕たちは誰もいない町の中を通り抜けているのだ。キタが立ち止まり、顔をあげてクンクンとにおう。それから少し首をかしげ、ちょっとなにかを考えてから、混ざりものがありますがとにかく進んでみましょう、と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
その時、僕の横手にある家からひげもじゃ顔の男が出てきた。
ひげ男は僕たちのことなど一切気に掛けず、出っ張ったお腹を揺らしながら急いで走っていく。残された僕たちは立ちすくんだまま、子グマのような男の後ろ姿を無言で見送った。
彼が向かった道の先の空には、まるで鳥が翼を広げているような形の雲が浮いていた。




