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『誓約のそら―烏の飛翔編 第一部―』19

19


 僕は多くの人が行き交う街中を歩いている。目の前には、小さな僕が歩いている。隣で手を繋いでいるのは、あの頃のお父さんだ。僕の足が遅いのも気にせず、お父さんは長い脚をゆっくりと動かして歩幅を合わせている。僕は二人の後ろをついていく。行き先は分かっている。いつもの映画館だ。


 二人は予想通り、映画館に入っていく。その小さな映画館には、僕のお気に入りのジュースとホットドッグが売っている。お父さんはロビーの売店で僕にジュースとホットドッグを、自分にはホットコーヒーだけを買う(僕が食べきれなかった分を、お父さんが食べる)。今日の映画は恐竜モノだ。


 僕たちは劇場の真ん中あたりの席に座る。客はまばら。二人を見ている今の僕は、小さな僕とお父さんの席から三列後ろに座る。僕たちのあいだに観客はいない。時々、お父さんの頭が僕のほうにかがみ、なにかぼそぼそと話している。あの頃、僕はお父さんと何を話していたのだろうか。まったく覚えていない。


 ビーと音がして、劇場が暗くなる。映画が始まるのだ。子ども向けなのかマニアックな大人向けなのかよく分からない、恐竜の特撮映像が流れる。翼竜のプテラノドンが羽ばたきもなく風に乗って颯爽と滑空し、空を欲しいままに占拠している。


 その時、三列前の席に座っているお父さんのシルエットが、ゆっくりと「今の僕」のほうを振り返った。お父さんの表情までは暗くて良く見えないが、こちらを見ているのは確実だ――目が合った、気がした。


 するとお父さんは、おもむろに右手を上げた。その手にはなにか筒のような物が握られているようだった。お父さんはそれをあえて掲げるように今の僕に見せると、右手を下ろして上半身ごと座席の下にかがみこんだように消えた。小さな僕の頭のシルエットは、まだほんの少しだが背もたれから覗いている。どうやら映画に夢中のようで、隣のお父さんの不自然な動きにはなにも気づいていないらしい。

 今の僕は立ち上がって、お父さんたちの座席にまで行こうとする。だが、身体が動かない。そしてお父さんは消えてしまい、大きなスクリーン上では恐竜たちがギャーギャーと激しい戦いを繰り広げている。


「お父さん」と、僕は自分でも驚くほど大きな声で叫んだ。だが、目の前に広がっているのはもはや劇場のスクリーンではなく、巨大で薄汚れた建造物がそびえたつ広場のような寂しい場所だった。そして僕は劇場内の深紅のイスではなく、背もたれもない朽ちた石段に腰掛けていた。


「目が覚めましたか」


 その声にハッとして後ろを振り返ると、僕が座る石段の斜め上から子どもが――おかっぱ頭の夢泉丸が冷めた目つきで僕を見下ろしている。夢泉丸、と呼ぶと、彼(「彼女」かもしれないが)はほんの一瞬眼の色が変わった。


「ここは……地獄?」僕は、まだよく働かない頭で思いついたことを訊いた。

「地獄はこんなものでは済みません」

 夢泉丸は怖いことをさらりと言うと、石段を下りて僕の横で立ち止まり、僕の目をじっと見つめた。僕も彼の両目をじっと見つめ返そうとしたが、まだあの映画館の映像が頭に残っているのと全身のけだるさが勝って、夢泉丸の顔がゲシュタルト崩壊しそうで気持ち悪くなった。

「眉毛の上の丸丸が……」僕は彼の顔から視線をそらし、両目をぎゅっとつぶった。


 夢泉丸は僕の独り言は聞こえなかったのか、それとも無視することにしたのか何も反応せず、しばらくの沈黙の後でこう言った――お父上に会われたのですね。


「会ったというか、そうだね、見たよ。あれはいつもの映画館だった」僕はさっきまで見ていた光景を整理して思い出そうとした。「小さな僕とお父さんが、昔一緒に何回か行った映画館に入っていって……」

「そこで、『お父さん』は何をされていましたか」

「お父さんは……小さな僕の隣の席にすわって……映画が始まって……こちらを振り返って……」僕はゆっくりと思い出していた。

「なにか、なにか筒みたいなモノを持っていたような……」

「ではその筒を、お父さんはどうされましたか?」夢泉丸が誘導する。

「筒、筒を……座席の下に置いていたような……」

「お父さんは、映画館の座席下に筒状のものを置いたのですね」曖昧な僕の説明を、夢泉丸が確認する。


 目の前の崩れかけた建造物にはところどころ緑の葉が覆い、かつて窓だった空洞からは、はるか下の地表に向かってしぶとく生きる意志を示す植物の太いツルが何本も垂れ下がっていた。だがそれらの崩れかけた建造物から伸びる植物と僕たち以外、生物の気配はない。空には厚い墨色の雲がもうもうと地上を覆い、天の光などもはや期待しないほうがよいと楽観的な緑の葉たちに警告する――ここは世界の終わりなのだろうか。


 僕は立ち上がると、ぐるりと周囲を見渡し、座っていたのは古い大きな円形劇場の石段で、すり鉢状になった劇場の底近くに僕たちはいるのだと気づいた。


「テンイチ様」と夢泉丸が、あまりに嘘のような殺伐とした景色に驚きながらぐるぐるとその場で回転する僕に言った。

「テンイチ様はあまりに無防備にすべてを話しすぎです」

「え……、だって夢泉丸が訊くから……」

「はい、今回の場合は私が冥王に仕える『本物の夢泉丸』だから良かったのです。ですが、もしも私が『にせものの夢泉丸』だったら、どうするのですか」


 確かにそう言われれば、僕はあまりに無防備だったかもしれない。

「だけど、僕は君が『本物の夢泉丸』だって分かるんだよ」と僕はぐるぐると回るのを止めて、真っ直ぐに夢泉丸の顔を見ながら答えた。「どうしたって分かるんだよ」


 夢泉丸は僕の顔を冷たい視線でじっと見つめ返してから、そうですかと言い放ち、ですが念のためにこれからはもっと用心深くなってくださいませ、と続けた。


「ところで夢泉丸、これからどうするの? もしかして……」

「はい、お察しのとおり、映画館に行きます」「お父さんが隠したものを取りにいくんだね」


 夢泉丸は返答しなかったが、おそらくそれはイエスの意味だろう。夢泉丸はなにか思案しているようだったが、意を決したように僕の顔を見ると、「テンイチ様は生者ですので、川をもう一度渡らなくてはいけません。川を渡らなければテンイチ様の世界に戻ることはできません」と言った。


「川を渡る……」

 夜平が漕ぐギッギッという音が聞こえたような気がした。

「じゃあ早く川のある場所へ行こう」

「はい、しばらく歩きます」

 夢泉丸は階段を降り、円形劇場の中心に向かって歩き出した。だがすぐに僕のほうを振り返ると、「決して、走らないでください。何があっても歩いてください」と言った。


 円形劇場の中心部分に到着すると、夢泉丸は華奢な両腕をまっすぐ上に伸ばし、両手の平をパッと天にかざした。夢泉丸の両手の平に青い光の粒が集まり始め、見る間に手の平が見えなくなるほどに増えていく。すると、夢泉丸はその光に包まれた両手をゆっくりと下ろすとともにしゃがみ込み、地面に青く光った両手を押し当てた。


 ぐぐぐぐぐぐぐ……、という低い地鳴りが足元から響き、夢泉丸の両手が置かれた位置から上下左右まっすぐに、しゃがみ込む夢泉丸の両足のあいだを通って、十字の形で青い光を放つ細い亀裂が伸びていく。夢泉丸から少し離れたところにいた僕は、その亀裂を避けつつも、あっけに取られて棒立ちになっていた。


 夢泉丸は地面から両手を離して立ち上がり、両足のあいだを走る光の道をまたいで僕のほうにやってきた。そして僕の右手をおもむろに握ると、さあ参りましょう、と言った。

 彼の手はすでに光を失っており、触れられた瞬間の氷の冷たさに僕の腕が反応して鳥肌が立ったが、僕はその手をギュッと握った。とても小さな子どもの手だった。


 夢泉丸は僕の手を引いて、先ほど地面に両手を押し当てていた場所――十字の亀裂の交差点――まで戻った。そして、ピュッーと口笛を吹いた。すると、僕たちの目の前の亀裂の一筋から青い光が一斉に天に向かって吹き出し、波の揺らぎをたたえたような巨大な光の壁がそびえたった。夢泉丸は僕の手を引いたまま、無言でその壁の中に向かって進む。


 僕たちは手をつないだままで、光の壁の中へと突き進んでいった。

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