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『誓約のそら―烏の飛翔編 第一部―』18

18


 僕たちは並んで歩きだした。夜の砂漠の経験はないが(いや、朝も昼も関係なく、砂漠にいたことはない)、スミヤマ君がくれたパーカーのおかげか、想像よりも寒くない。ただしここは僕が知る現実世界の砂漠ではなく、あくまで冥界の、そしてまたもや幻覚のように本物らしく見せられている世界なのだと、僕は自分に言い聞かせた。

 夜空には金や銀、ピンクにオレンジ、青みがかった光を放つ巨大な銀河が地表から天へと流れ、その周辺にはまるでバラの花のような形の鮮やかな光のうねりと小さな光の粒が点在している。それらの光の渦をじっと見つめていると、僕はもはや地表を歩いているのか天の光に吸い込まれて導かれているのか、頭の芯がその瀬戸際でゆらゆらとぐらついて、どちら側に行くべきか分からなくなってきた。


「テンイチ、君はなぜ人はいつか死ぬことを知った上で生きられるのだと思う?」


 思わぬ問いに驚いてスミヤマ君を見ると、横に並んで歩く彼の横顔が少し大人びて見えた。


「なぜって……、気づいたら生まれていたんだから、命が終わるまで生きるしかないよ」


 僕はどう答えれば良いのか迷ったが、結局当たり前の答えを選んだ。いや、こんな単純な答えしか持ち合わせていなかった。そうだ、特別な才能も叶えたい夢も目標もない、中身空っぽな平凡な人間――そんな僕がどうしていつかの死にむかって平然と生きているのだろう。


「私はね、君が想像できるよりもずっとずっと長い間、地上で生死を繰り返すあまたの人間たちの営みを見てきた。生まれてすぐに病で亡くなる赤ん坊、命の時間を自ら終わらせる青年期や壮年期の人間、災害や戦争であっけなく死ぬ老若男女――怒りで他者を殺して自分は生にしがみつく者もいれば、憎しみや嫉妬、憐憫といった個人的な感情も共感もなく、ただ誰かの意思のままに他者を傷つけ死に追いやり、自らも死に急ぐ者もいる。一方で、与えられた命の最期の一滴まで使い切り、生者との別れを惜しみつつ地上から離れる者もいれば、与えられた生の時間に疲れ切り、死を進んで迎える者もいる。最期の最期まで満足できずに切をつけられない者も少なくはない。切をつけられないのは、地上に残された者も同じだがね――不安、恐怖、絶望、後悔……、人間はなぜそんな幻想を小さな頭のなかで生み出し、生き死にを自分で掌握しようとしたがるのだろう」


「……それは冥王の専門分野じゃないの」


 専門分野か、とスミヤマ君は噴き出した。遠くのほうで雷鳴のような深く重い音がしている。空気が膨張しているのだろうか。一雨あるかな。


「雨はまだ、降らない」

 スミヤマ君が僕の心を読んだように言った。その言い方が、なんとなく僕が雨を期待していると解釈しているようにも聞こえて、表情をうかがうために彼のほうを向いた。


 スミヤマ君は、十代後半の少年と青年のあいだの姿になっていた。ついでに僕の姿も、気づけば元の大きさに戻っている。僕たちは歩いている間に大人になるのだ、この世界では――僕たちは歩き続けた。


「……まあでも、少なくとも」と僕は沈黙を破った。一歩踏み出すたびに僕たちの足跡が並んで連なり、冥王にも足跡ってあるんだと頭の片隅でぼんやりと思いながら。


 そこで言葉が詰まった。唇がかすかに痙攣する。僕のいつもの変なクセだ。出力したいのかしたくないのか自分でも分からなくなって、頭のなかで機械がショートしてプスプスと煙を吐き出すイメージ。言いたいことがあるのに、喉の奥に言葉の角が引っかかって、柔らかな気道にぶざまな傷をつけていく。


 僕の言いよどんだ言葉を、スミヤマ君がつないだ。


「たしかにテンイチのお母さんの死は、満足のいく死ではなかった。不測の事故死というのは、そういう死のひとつではある。特に、養護しなくてはいけない子どもや家族、命あるうちに成し遂げたかった事が強く心を占める者たちにとっては。残された者たちも、その突然の死を受け入れることを拒絶したり、運命、いや死そのものを呪ったりすることはよくある」


 死そのものを呪う――彼の口調は変わらず淡々としていたが、その言葉はまるで、彼が無数の人間の傷みを長年独りでうけおってきたように哀しく僕の耳に響いた。


「……おばあちゃんも、満足してはなかったと思うよ。きっと僕のこと、心配しながら独りで逝ってしまったはずなんだ。おばあちゃん自身、口では弱気なことも言っていたけど、内心はまだまだ生きるつもりだったろうし……僕は最期の時にそばにいなかったし……」


「それもまた、満足な死とは言えないだろうな――もちろん、あの烏も。一応伝えておくが、もう彼の名前は烏ではない。彼の『元』主の望みで、私が別の名を与えたからね」とスミヤマ君が言った。


「名前を与えたってことは――」僕の心臓がどくどくと音を立て始めた。「存在するってことだよね。その、前の器ではないにしろ、『烏』だった魂、みたいなものは……」


 彼はなにも答えない。少し口もとをゆるませて微笑んでいるようにも見える横顔が、前方の巨大な砂丘の峰を見つめている。彼はまた少し成長したようで、少年のかけらは無くなり、二十代後半あたりの大人の姿になっていた。さっきまでの子どもの頃の服装ではなく、膝まで届くゆるいチュニックにパンツを重ね着している。


「テンイチ、あの木の下で少し休もう」スミヤマ君が僕の視線に気づいてか気づかずか、話を替えるように声をかけた。


 スミヤマ君が指さす方向には、地平線から発せられるドーム状の紫色の光を背にした、一本の巨大な木のシルエットが浮かんでいた。太くまっすぐに伸びた幹の上方から伸びるいくつもの枝と尖った葉の塊が、大きな逆三角形の扇形を形づくって僕たちを待っている。なんだか巨大なブロッコリーっぽいよなと僕は思ったが、この神秘的な風景にはあまりに似つかわしくないので、口に出すのはやめておいた。代わりに、星が動いているね、と言った。

 銀河は今、ネオンのような明るい水色を主とする光を発しながら、砂丘の峰から天空へと斜め上方に向かって巨大なうねりを描いていた。


 僕たちはその木の下まで行くと、並んで木の根元に腰を下ろした。緩やかな風が吹き、頭上の葉がカサカサと音を立てた。生きている音がした。「テンイチ、あそこにカシオペア座があるのが分かるかい?」


 さらに年を重ねて中年になったスミヤマ君が、星空を指さしていた。そこにはこれまで見たことがないほど大きく美しいカシオペア座のWの形が見て取れた。僕はうん、と答えた。


「あの一番よく目立つ赤い光に包まれた球体部分が、カシオペア座のNGC7635バブル星雲だ。君のいる地球からだとおよそ7100光年、直径は6光年以上のちょっとした可愛いヤツ。私はいつもあいつを見ると、あのバブルを口のなかに入れて奥歯でパチンとおもいっきり破裂させたい衝動に駆られるんだ。みんなには内緒だぜ」


 目の出来が違うのか、僕の目には、スミヤマ君が言うような赤い光なんてものは見えない。だが、大人のスミヤマ君はさっきの子どもの姿の時よりも子どもっぽく、木の幹にもたれかかってあぐらをかく無防備な姿で星空を眺めていたので、僕も余計なことは言わずに同じようにあぐらをかきながら星空を眺めた。

 ときおり吹く風がスミヤマ君のチュニックの裾と僕の前髪を揺らした――今僕たちが座っているこの地面も僕たちを覆うこの天空も僕たち自身も、この瞬間だけは本物であって欲しかった。そう僕は願った。


しばらくして、スミヤマ君が口を開いた。


「なあ、人間のテンイチ君。私は人間のことが未だによく分からないことがある。だからもう少し聞かせてくれ――君はなゼ自分がわざわざ生まれて、必ず迎える死に向かってわざわざ生きているのか、そもそも考えたことがあるかい」


「冥王は本当に難しい質問ばかりするね」と僕は、大げさにあきれたように言った。本当は、僕の心の内を見透かすスミヤマ君の質問に心臓がドキンとしたのだ。だがすぐに、声の調子を落として「正直、僕はなぜ自分が生まれて生きているのか、分からなくなることがある」と打ち明けた。


「僕は本当になんの取柄もないし、友達も少ない、ていうかすごく仲が良い友達なんていないし、勉強も運動もなにもかも平均そこそこで目立つこともないし、将来の夢とか希望とかもよく分からないままここまでぼんやり生きてきたから……」


 話しながら、本当に僕ってなんもないな、と改めて思った。スミヤマ君と出会った小学生のころとなんも変わらない、入れ替わっても気づかれないような目立たない普通の脇役のひとり。ただその頃はお母さんがいて、お母さんにとっては僕は唯一無二の存在だった。代わりのいない「僕」という命だった。じゃあお父さんにとっても僕はそうなのだろうか。


 多分久しぶりにスミヤマ君に会って、小学生だった自分に戻ったのだろう。お父さんと暮らすようになってから、あえて考えないようにしていた家族についての想いが、どんどんと湧き上がってきた。僕は自分のなかの「家族」の顔を思い浮かべていた。


「テンイチはこれからどうしたい? お父さんを探してカギを守るのは、君にとっては降って湧いたような話だろ?」

 僕の感傷に反比例するように、スミヤマ君が乾いた声で話し続ける。

「君も異法者の反乱者に狙われているんだから、身を隠したほうが良いかもしれないよ。ほら、烏の最期を見ただろ。君もああいうことになるかもしれない。君はこれまで何も知らなかったのに、理不尽にも突然やっかいな騒動に巻き込まれてしまった。いわば被害者だ」


 僕は、自分の両足のあいだにある空間を見つめながら、ポツポツと話した。


「僕が怖がっているかどうかを知りたいなら、もちろんめちゃくちゃ怖いよ。烏が消えてしまったことも、お父さんももしかしたらこのまま永遠にいなくなるかもしれないことも、僕自身がやつらにどうにかされるかもしれないことも、それに……地球が消滅するとか宇宙がどうこうとかさ、もう全然僕みたいな普通の人間には現実味なくて、でも今こうして不思議な世界にスミヤマ君……、冥王とかいうヤツと一緒に並んで座っててさ……なにがなんだかってやつだよ」


 僕は大きく息を吸って吐いた。心臓の鼓動がさらに速く大きくなる。


「でもさ、もうこれは僕やお父さんだけの話じゃなくて、ていうか、烏はずっと僕の家族みたいなもので、なんていうか『僕が生きていることの証』みたいな存在で……キタたちもみんな、まだ知り合ってからそんなに時間が経ってる訳じゃないし、すごく変なんだけどさ、家族っていうと大げさだけど友達とか仲間っていうか……。僕、これまで烏を除けば、本当の仲間なんて呼べる存在、いなかったんだよね。アキラ君でさえ、ずっとあんなに仲が良かったはずなのに、いつの間にか僕のいない遠い景色の一部になってって……。だから僕は、お父さんと暮らすようになってから、誰かとまた最初から始めて新しく繋がっていつか遠くなるがちょっと怖くてさ……」


 僕はその時、「ひとりでいることを選んだ」という言葉を続けようとした。だが、その言葉を口にしたとたん、本当にこれまでの自分が「ひとり」だったことを認めてしまうようで、そんな自分にうっかり同情してしまいそうで、僕は口をつぐんだ。


 スミヤマ君は何も言わないが、僕の心の内を全て分かっているようだった。それとも、彼が見てきたあまたの人間が昔から同じようなことを繰り返しやってきたのかもしれない。僕が抱えるこの気持ちは、よくある平凡な人間の感情そのものなのだろう――そうして僕がとつとつと不器用に話している間に、彼はまた少し年を取ったようだった。僕は自分の小指の側面をちらりと眺めた。そこには細かな星のきらめきがまだ残っている。


「でもとにかく今は、お父さんとお父さんが守っているカギを守るために、僕ができることをやるしかないんだと思う。目の前のことしか、いや、目の前のことさえ全然理解できてないけど、僕は僕が守りたいモノたちを僕なりに守るためにこのまま進むことにする。本当は足も手もぶるぶる震えているけど……実際、もう怖いとかなんとか言い訳してる時間も選択肢もなさそうだしね。後戻りはできないよ」


 僕が自分に宣言するようにそういうと、夜空に星が一筋流れた。思わず、あっと声をあげたが、スミヤマ君は何も言わない。僕の声が消えると、あたりは静まり返っていた。雷鳴ももう聞こえない。そういえば、宇宙の星の数は地上の砂粒の数よりもはるかに多いと聞いたことがある。僕たちが暮らす地球なんて、誰かにとっては取り替え可能な星のひとつなのだろうか。宇宙の均衡を保って地球や星々を消滅から守るって、結局どういうことなんだろうか。


 僕は手近にある砂粒をひとつかみすると、拳のあいだからそれらの砂粒を地面にサラサラと落とした。月と星々の灯りだけが光源の砂漠にいる僕の拳のなかの砂粒は、僕の手の内から離れた瞬間からキラキラと小さな輝きを放ちながら地面の砂に混じっていった。


「なんか、不思議だな。こんな話をスミヤマ君とするなんて。あの頃の君はとっても嫌なヤツだったから」


 僕は正直に思ったことを言葉に出した。どうせスミヤマ君は僕の言葉を――誰の言葉も――気にしないのは分かっていたからだ。

 だが予想に反してスミヤマ君は僕のほうに少し不思議がっている表情を向けて、「嫌なヤツ? アレは君たちが望むような人間になってあの場にすっかり溶け込んでいただろ」と、誰に確認するでもなく独り言ちた。それから「烏が話す人間がどういうものか、直接見たくなってね。ちょっとからかいに、ほんの一部の私の気をそっちの世界に飛ばしたんだ。まあ、冥王にもたまには気分転換が必要なもんでね」と少し昔を懐かしむような口調で続けた。


 冥王にも烏は僕の話をしていたということが何を意味するのか、内心どきりとしたが、僕はそのことにはあえて触れなかった。

「それで、どういう人間なのか分かったの?」と代わりに僕は訊いた。


「まあ、だいたいね」冥王が答えた。「今もそれほど変わらない」「成長してないってことかよ」僕は鼻で軽く笑った。


「そうとも言えるし、少し違うとも言える――テンイチ、何かを守るためには、その価値に見合った力が必要だ。それは、想定しうるあらゆる結末を根底から覆すことができると信じられる力、とも言える。覚えとくといい」


 スミヤマ君はそう言うと続けて、もういいぞ、と目の前の空間に向かって言った。するとその瞬間、僕は背後に奇妙な気配を感じ、両腕に鳥肌が立った。反射的に立ち上がって後ろを振り返ると、僕たちが背中を預けていた木の幹のうろから、何者か人間のような手が一本、チラチラと見え隠れしている。


「スミヤマ君、あそこに手が……」

 僕は慌ててスミヤマ君のほうを見ると、スミヤマ君はあぐらをかいたままで僕を見上げた。彼の顔はもはや老人で、両目は赤く燃えるように光っていた。

「また会おう、テンイチ。それまで君の一部は預かっておく」


 冥王の最後の言葉が合図となり、木の幹のうろから手がものすごい速さで、しかも一気にでかくなって飛び出すと、なす術のない無力な僕の身体をむんずとつかみ、これまた一気にうろの中に僕を引きずり込んでいった。

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